風来坊主のおおさか物語−1            

                                          

1:京都の旅

みなさんこんにちは、「くまもと通信」に続いて「おおさか物語」を始めますが、前にも書いたとおり

大阪市立陶磁博物館をご紹介するはずが、手違いによって画像を全て消してしまい泣くにも泣けないこ

とになり、その後行けないでおります。

ここでは、今年のお正月行きました京都で私の好きな金閣寺・龍安寺・東寺を見ていただきます、年末

に降った雪がまだ少し消え残ったところはきれいでした。


金 閣 寺

誰でも知っている金閣寺です、臨済宗の禅寺ですが鎌倉時代には西園寺公経(源頼朝の外戚、太政大臣)の別荘のあったところを足利三代将軍足利義満が譲り受けて1397年に池泉回遊式庭園として造られました。
金閣のある鏡湖池を中心に広々とした寺域は散策に格好のところ、北方の最も高い位置に金閣を望む夕佳亭という茶室が江戸時代に造られ風雅なたたずまいです。
金閣は漆の上に金箔が張ってあり、こけら葺き(椹=サワラの薄板を何層にも重ねる)の屋根の上には鳳凰が輝いています。
舎利殿とはお釈迦様の荼毘後の遺骨を祀ってあるところを云いますが、室町時代を代表する建物です。
1987年漆・金箔の張替え、2003年には屋根の葺き替えが行われました。


  



























鹿苑寺(別名・金閣寺)舎利殿(金閣)


金閣の鳳凰


安民澤の白蛇塚



今昔物語 
金閣寺では舞妓さん姿でコッポリをはいた女性一人と洋装の女性が中へ入りりました、でもどちらか
ら見てもそれらしくないし、ちょっとした坂道を登るコッポリがこれは素人さんだと分かりました。
でも誰かが撮影をお願いして彼女の周りはカメラの方列、にせの舞妓さんはさぞや良い気分だったでしょう、でもうなじのおしろいも鮮やかできれいでしたよ。

あとでタクシーの運転手さんの話では今大はやりなんだそうです。一時間が15000円位で舞妓さんになれるのは面白いですね、昨今は先斗(ポント)町などの舞妓さんが激減し、希望者の殆どが地方から出てきた女性だそうで、京都弁の勉強が大変だとか…。

それにしても京都でタクシーに乗るときはお年寄りの運転手さんの車に手を上げるべきです、それはそれは丁寧に面白い話やら楽しく聞かせてもらえます。


龍 安 寺
ここもまた、京都へお出でになれば必ず訪れるところの一つ、細川勝元(室町幕府管領、細川家は後に肥後藩主)が1450年に徳大寺家より譲り受け、臨済宗妙心寺として開山されました。
山門を入った前の鏡容池を中心にした広大な庭園と建造物のたたずまいは見事なものですが、方丈(住持の居間)の前の枯山水庭園が有名で、禅の極地を表した永遠に新しい庭だということです。 

庭の一角






















  個々の石を見ても…


龍安寺山門



庭の全景を見たい方はビデオでどうぞ 5.5MB



  東 寺 
 
JRを西から京都へ向かえば最初に迎えてくれるのは、現存する仏閣の塔として最も高い55mの東寺の五重塔です。
この塔の創建はもちろん弘法大師で826年(嵯峨天皇から空海が勅賜されたときはまだありませんでした)、しかし現在の塔は五度目の建立(1644)で徳川家光の寄進によるもの、四度も火災で焼失しています。
焼失こそすれこの塔は一度も地震では倒壊していませんが、これは一層ごとに積み重ねてあり、各層の接合部は堅くつなげない柔構造になっており、地震が発生するとそのエネルギーは上へ伝わるほど弱まり且つ各層が互い違いに振動するので、倒れるより元に戻ろうとする復元力が大きいのだそうです、地震国日本の面目躍如と云ったところでしょうか。
一層目の内部には心柱を密教の本尊・大日如来に見立てた須弥檀上に阿弥陀如来など四仏と八菩薩像が安置され絢爛豪華なものです。
東寺はこの塔だけでなく桃山時代の金堂、室町時代の講堂と大師堂、そしてそれぞれの仏像もどれもこれも国宝・重文という、日本人の密教とのつながり方を納得できる大寺です。


見事な調和






























金堂の木組み


                       
 迷 語


こうして、京都の立派な庭園や仏閣を眺めていると、時の権力者がいかに大きな財力を持っていたのかということに気づきます。この造園造閣事業を封建時代の貴族・武家の圧政の産物と決め付けることもできますが、当時のように産業のない時代には、これらの建設事業が民の雇用をつくり文化を発展させた原動力だった意義こそ大きいと思っています。
現代においても、その構造に変わりなく政治家と官僚によって多くの建設事業が(無駄と汚職を含めて)行われていますが、違うところは民間産業が大きなウエートを占めるに至ったことでしょう。

更に、神社仏閣を訪ねるならば、その壮大な建設の中に過去の日本人の神仏への帰依がいかに大きかったかということを思い知らされます。
弘法大師は今もって中国でも尊敬されるお坊さんですが、日本仏教は当時の日本の権力者がこぞって帰依し仏教者側もまた国家と貴族階級の安泰を祈祷するものとして発展してきました、これが果たして仏教の本質と言えるのかどうか、お釈迦様はその教えの中で権力者と結びついてはならないとおっしゃっています。

その辺りに現代の宗教が省みられない宗教心なき国民性を生み出しているように思えますがどうでしょうか。

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 「風来坊主の旅日誌」−V 中国を基点にタイ・スリラ
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