第21(37)回 コダイ・ウォーキング レポート


古代琵琶湖と水鳥そして信長ウオーク


「冬は寒いのが一番!とやせ我慢をはって、比良連峰より吹き下ろす凍るような北風を受けつつ、古代の琵琶湖を偲びながら織田信長の里を歩いて、水郷・西の湖では渡ってきた水鳥たちを葦の茂る湿地に探しましょう」というテーマにもかかわらず9名もの参加者が集まりました。
ところが前日までの雨々々の天気はどこへやら、雲と風ひとつない汗ばむ五月晴れのような好天気に恵まれてしまいました。
高齢者の割には標高差200メートル石段にして約700段をすいすいと登って桑実寺、そして眼下に広がる西の湖へと、ハプニングを交えてそれはそれは楽しい一日でした。


ひょうたん山古墳

JR安土駅の東方に位置し、滋賀県最大そして最古の古墳です。4世紀後半・古墳時代前期に作られた全長160mの前方後円墳で、当時の蒲生・神崎両郡を支配していた古代豪族「狭狭城山君」に関連すると考えられています。
1935年、土取り作業中、石棺が見つかったことを契機に京都大学の手で発掘調査が実施され、その結果、前方部に二基の石棺、後円部に三基の竪穴式石室を持つことが明らかにされました。(これらは復元されて安土城考古博物館に展示されています)
特に後円部中央石室からは、銅鏡二面、鍬形石・石釧・車輪石などの腕飾り類、管玉、剣・刀、銅・鉄の鏃、短甲、斧、鎌、鉋などの遺物が出土しました。その種類の多彩で豊富なことから、被葬者は相当な権力者であったと推測されます。


瓢箪山古墳へ登る

桑実(くわのみ)寺
寺伝では、天智天皇の四女、阿閉(あべ)皇女(元明天皇)の病気回復を僧に祈らせたところ、琵琶湖から薬師如来が降臨し、阿閉皇女の病気を治して去り、それに感激した天智天皇の勅願により、藤原鎌足の長男、定恵が白鳳6年(677年)に創建したと伝えられています。
寺名は定恵が唐から持ち帰った桑の実をこの地の農家にて栽培し、日本で最初に養蚕を始めたことに由来します。
往時には二院十六の僧坊があり、1532年には室町幕府13代将軍足利義晴が、3年間ここに仮の幕府を設置していました。一時期荒廃しましたが1576年、織田信長によって保護されましたので戦禍を受けることはありませんでした。
ここは西国薬師第46番霊場として創建以来信仰が絶えずに栄えたことで明らかですが、本尊の薬師様は虎薬師といわれ寅年の春秋に特別開扉されるのだそうです、それにしても信仰心でこの石段を上っていった古人が身にしみてくるつらい道のりでした。



桑実寺登り口

中間点の山門と難行苦行































                                                                                           



檜皮葺きの本堂・室町時代初期・重要文化財



桑実寺より西の湖を見る  遠くの連山は雪の比良連峰


近江風土記の丘


瓢箪山古墳から1Km北方に風変わりな建物群が見えていますが、ここは風土記の丘と呼ばれる安土町を代表する文化ゾーンです、ここでは超古代から近世に至る歴史と織田信長の生涯、そして少し離れて安土城址などがあります。この辺を歩くウォーキングは大変人気があるようでした、私たちもちょっと古代から近世にうつってみましょう。


信長の館

1992年 スペイン・セビリア万国博覧会の日本館メイン展示に出展された、安土城最上部5・6階部分を、万博終了後、安土町が譲りうけ新たに復元された部分を含め、保存・展示しています。



























             
             ↑ 当時宣教師が描いた信長像
           
              安土城天守閣の5〜6層部の復元





最上階(6層)の復元:儒教、道教の世界観を表わし「孔子図」「老子図」など聖人が描かれています 



八角形の5層部(約99u)は仏教による理想郷を表わし内陣に「釈迦説法図」「降魔成道図」など、
外陣に「阿鼻地獄図」、様々な飛龍図などが描かれています


安土城考古博物館

ここでは先の瓢箪山古墳の竪穴式石室の実物大復元や出土品、弥生時代の大中湖南遺跡など古代から信長に至る展示が見られます。最近できる博物館は写真撮影を禁止し資料を買わそうとする傾向にありますが、こんな政策を取る国は日本だけのようです。美術館ではありませんから、最近のデジカメはフラッシュを光らせる必要もないので馬鹿げたことです。
















左:信長館 右:博物館 下:1876年(明治6)現高島市に建てられた初等科小学校・和洋折衷が美しい


安土城址

約100年続いた戦国時代から平和をもたらしたのは尾張の織田信長でした、天下統一のため1579年、交通の要衝であったこの安土山(198m)の上に、日本最初の高層木造建築(地上6階地下1階)高さ46mの壮大かつ豪華絢爛な安土城を建設しました。
しかし、1582年「本能寺の変」により信長の壮図はむなしくなり、その後半年後わずか3年にして落雷により焼失してしまいました。近年加賀藩のお抱え大工に伝わった図面によって安土城の全容が解明されたのです。

左:安土城址登り口 右:沙沙貴神社・瓢箪山古墳の主・蒲生、神崎地方の
古代豪族「狭狭城山君」と近江源氏「佐々木氏」の氏神神社

















西の湖と水鳥

西の湖は琵琶湖最大の内湖で、琵琶湖のヨシ(別名アシ=葦・芦・蘆)の60パーセントを有しています。ヨシは、水中の窒素・リンを吸収して水を浄化するだけではなく、水鳥や魚の棲息地を保護して、二酸化炭素を吸収するなど、琵琶湖の環境維持に大きく貢献しています。2008年8月ラムサール条約の湿地に登録されました。しかしながら昨年末この地の30Cm以上の積雪で大半のヨシが折れてしまったそうですが、この日までに例年通り地元民やボランテイアの手によって刈り取られていました。

大中湖干拓地:西の湖の東北方面に広がる農地は、かって最大の内湖・大中湖があり弥生時代から栄えていました。
しかし我が国では、第2次世界大戦の最中から食糧が不足し、国内の農地を増やすため、開拓や開墾、また干拓工事が行われました。琵琶湖のまわりには、かつて40あまりの内湖がありましたが、1965年までに15の内湖が干し上げられました。その面積は25.2km2におよびます。この大中の干拓地は大規模であったため計画に時間がかかり、1957年に着工され、総工費32億円をかけて67年に完成しました。



水鳥たちとパラモーターで飛ぶ人



西の湖畔にて 水鳥観察とMさん持参のぜんざいを炊いているところ 


水郷安土の点景


西の湖を巡る安土町や近江八幡市は水運の発達したところで、いまも水郷としての運河が街を彩っています。



マガモのお出迎え 運河の通る常浜水辺公園にて



運河風景



北川湧水:土地の古老から湧水の保存への苦労を聞く、
水路の石畳を掃除しなければ水藻が繁殖します


ハプニング
近江八幡駅で新快速から普通に乗り換えて一つ目の安土駅で皆んな下りたはずが、一人Wさんだけが下りてこない、結局下りの電車2台を待って40分後に駅に現れました。原因は乗り換えた電車の中で眠ってしまい、二駅乗りすごしてしまった・・・、だけど安土までの一駅はたった2分なのに良く眠れるものだと、反省会でもいつまでも酒の肴になってしまいました。
3月の第22(38)回のウォーキングは28日(土)に決まりました、3月はこの会が始まって満4年目を迎えますので、場所は第1回と同じ「飛鳥」になりました、詳細は3月中旬に発表します。


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