第19(35)回 コダイ・ウォーキング レポート


12月・寒牡丹と竹内街道を行く



竹内街道図(山と渓谷社「関西歩いてみたい道」よりコピー)


推古天皇時代に開かれた、飛鳥から今の堺に至る日本で最も古い国道の竹内街道は、明治時代に改修され更に新しい現代の国道166号線に占領されて所々しか残っていませんが、竹内峠で奈良県と大阪府の県境を越えて太子町まで歩きました。

師走のこととて参加者はいないかもと思っていましたが、5人のウォーカーを迎えて、さんさんと冬空に輝く太陽を浴びて、途中では興味深いところに寄り道しながらの楽しいウォーキングでした。

ついに今年の10回の定例会と4回の番外編ウォーキングも、雨には一度もあわずに楽しく終わることができました、これもひとえに参加者の精進のよさと、互いにチームワーウを心がけられたお蔭と感謝しています。
 (今月よりニコンD700という大型画像のデジカメを使用し、少しでもましな絵をご覧いただけるようにしました)


今日はどこからでも二上山を仰ぎ見るウォーキングでした


石光寺

中将姫ゆかりの寺で、曼荼羅の蓮糸を染めた「染の井」や糸を乾した「糸かけ桜」が境内にあり、「染寺」とも呼ばれます。石光寺の名まえは創建時のままで、7世紀の天智天皇時代に、光を放つ霊石がこの地で掘り出され、天皇はその石で弥勒仏を彫らせてお堂を建てて祀ったという伝説があったところ、2001(平成3)年の発掘調査で実際に出土しました。この寺はボタンの名所として有名で、冬季にはわら帽子をかぶった寒牡丹が見られます



わら帽子と寒牡丹




































                                        
当麻寺と中の坊
当麻寺
聖徳太子の弟の麻呂子親王が河内国に建立した(612年)禅林寺を前身として、親王の孫の當麻国見が現在の二上山東麓の地に移して創建(681年)しました。

平安時代末期に浄土信仰が高まると、中将姫(藤原鎌足の曾孫・豊成の子、8世紀中・聖武天皇の時代に生まれ、家庭的に恵まれず17歳のとき出家)が蓮の糸を使って西方浄土を織り上げたと伝えられる「當麻曼荼羅」(国宝・非公開・中の坊蔵)が信仰を集め現在も寺の本尊となっています。

本堂(曼荼羅堂)には国宝の内陣(天平)・外陣(藤原)そして源頼朝の寄進した須弥壇上に、天平時代の六角の厨子(国宝)が置かれ、そのなかに阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩を真ん中に極楽の仏たちが迎えにこられる有様が見事に織り込められています(但しこれは織物でなく1502年に転写されたものです・重文)。

広大な境内には東西の三重塔(国宝・天平時代)を並び建てて、金堂・講堂が北と南に配置されていますが、現在の本堂は境内の奥に東向きに建てられています。金堂の本尊である弥勒菩薩像(国宝・白鳳時代)は当麻寺創建当時そのままに、粘土で作られ金箔を張られた様子は今もって神々しく輝いておられす。これはどの御堂も扉を明けっ放しにせず、電灯設備もつけないありようが効果を発しているとの3年前の堂守のお話に納得しました。

この寺は古くは南都6宗(法相・華厳・律・三論・成実・倶舎)の一つ三論宗を奉じていましたが、現在は真言宗と浄土宗が並存する珍しいかたちになっています。また中の坊の牡丹園は大変有名です。



当麻曼荼羅図−T(室町時代:文亀本 ← ここをクリックしてください

 当麻曼荼羅図荼羅図U(江戸時代:貞享本) ← ここをクリックしてください


蓮の糸を使ったというのは誤りで、実際は大きさ3・95m角の錦のつづら織でした、第一回転写本は今はなく、根本の織物も損傷がはげしく、第二回転写(1501〜3年室町時代・文亀本)は當麻寺のご本尊として金堂に(重文)、その厨子は国宝です、三回目は縮小ながら第1回目を全面転写したもの(1684〜87年江戸時代・貞享本・中の坊所蔵)。

根本は浄土教の「観無量寿経」に即した物語が綴られていて、大雑把に言って左側は史実から始まる極楽の存在を知らしめ、下側は無量寿仏(阿弥陀如来)を見る方法、右側はどうしたら極楽へ行けるのか、そうして真ん中には大きく極楽から阿弥陀如来や観音・勢至菩薩が、臨終時に迎えに来てくださる有様が、壮大な図柄で織られています。

信仰心に裏打ちされたこの曼荼羅図は中将姫の青春時代をかけた壮麗なものとして、人々の心をうたずにはおかないでしょう。



堂々とした本堂(国宝:平安時代・1161年に屋根を天平風に改めました)


当麻寺中の坊

當麻寺最古の由緒を伝える塔頭、白鳳時代(7世紀末)に役行者により開かれた道場で、8世紀、11代実雅法印(中将姫の師)の代に「中院御坊」として成立しました。 本尊・導き観音の信仰の他、後西天皇が愛でた大和屈指の名園「香藕園(こうぐうえん)」や丸窓の茶室、客殿の天井には前田青邨、中村貞以など日本を代表する画家の絵、中将姫の剃髪堂など文化財も豊富で、當麻寺1300年の伝統を最も伝える寺院として親しまれています。



中の坊境内・左は書院、右は中将姫の剃髪堂、奥は天平時代の三重西塔(国宝)


 あまりにも美しかったがゆえに継母に疎まれた中将姫像と
大和三大名園(中之坊・慈光院・竹林院)の一つ「香藕園(こうぐうえん






























  
   







香藕園(こうぐうえん)にて







































竹内街道
(奈良県葛城市當麻町〜大阪府太子町)を行く


綿弓塚 (これらの画像は12月16日に再訪して撮りました)





綿弓塚と句碑



綿弓とは:繰り綿をはじき打って打ち綿にする道具。竹を曲げて弓形にし、弦として古くは牛の筋、
のちには鯨の筋を張ったもので、弦をはじいて綿を打つ。唐弓(とうゆみ)。わたうちゆみ。(大辞林より)


竹内街道は「日本書紀」推古21(613)年のところに、「難波より京(みやこ)に至る大道を置く」と記された日本最古の国道です。江戸時代頃にはお伊勢参りや観音めぐりの人々の道でもあり、竹内部落や太子町の街道筋は商店が並び立っていました。

街道は1877年(明治時代)より改修されたり、現代の国道166号線に取って代わられて寸断されていますが、見所は當麻町の竹内部落、竹内峠、太子町山田の旧街道、また竹内部落には、「野ざらし紀行」「笈の小文」とここを二度訪れた松尾芭蕉記念館や相撲の開祖「当麻のけはや」を記念する相撲館があります。



旧商家の用水桶と消火ポンプ「龍吐水」・竹内部落にて



「日本書紀」にある垂仁天皇による初の天覧試合「当麻のけはや」と
出雲の「野見のすくね」の「けはや」のお墓、奥の建物は「けはや館」



両国の国技館と同じ土俵に登ってご機嫌



竹内峠へ向かう明治時代の旧道
                                    


竹内峠、この道は明治時代の国道の残る部分以外は現在の166号線を歩くので車の往来が激しく怖いで



峠の神社と166号線、かって峠には必ず神社があって、旅人は先ず占いで出立日を決め、
峠の神社で旅の安全を祈りました



太子町竹内街道歴史資料館



太子町の歴史は弥生時代後期に始まりました、地図の下部「葉室」の南には一須賀古墳群や「近つ飛鳥博物館」があります



竹内〜太子間のもう一つの岩屋峠を下る途中にある鹿谷(ろくたに)寺跡から出土した土器類



太子の旧街道にあった立派な大和棟の屋敷、今は公民館になっていました



恒例の反省会兼忘年会、この焼酎は2本目!、ワハハの一年でした


当麻寺や「近つ飛鳥博物館」を知りたい方は下のURLを開いてください。

 ブッダ・ウォーキング第9回 当麻寺・鹿ヶ谷寺跡・小野妹子陵・聖徳太子廟  

コダイ・ウォーキング第1(17)回 弥生文化博物館・近つ飛鳥博物館など 
 
コダイ・ウォーキング番外編 大阪府立近つ飛鳥博物館「発掘された日本列島2007」

12月号は大変長編になりました、もっとUpしたい画像もあるのですがこの辺でご勘弁ください、1月は24日(土)を予定していますが行き先未定です、年末までには「風来坊主の広場」に発表します。
今年一年色々お世話になりました、来年も楽しいウォーキングを心がけて、ご参加をお待ちしております。
末筆ですが、よいお年をお迎えになられますようにお祈りします。合掌


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