春の大阪城公園


大阪は既に初夏の気配ですが、皆さんのところではいかがでしょうか?
毎年大阪城が話題にのぼる始まりは梅の花が咲いたという知らせ、その次は桜の開花を告げる情報がTVや新聞で告げられると、大阪市民は三々五々連れ立ってお花見に行くのです。
そこには自分達で建てた大阪市民の誇りであるお城が市民の訪れを待ったいます。
大阪城は他に類を見ない巨大な城郭として今もなお存在していますが、その歴史を尋ねると大阪市民のみならず、大阪城を誰しもが特別な存在として日本人の心にあることがわかってきます。
ここでは、その一大絵巻物語を大阪府と市の広報を元にしながら綴っていきましょう。


大阪城物語


大阪城天守閣

「大坂城の始まり」

1496年、浄土真宗(西本願寺)の8世蓮如上人は山科本願寺の別院として大坂御坊を建立して石山本願寺の起源となりました。「大坂」という地名が見られる最初の文献が残っています。
1532年に山科本願寺が戦国争乱により焼き討ちにあったので、10世証如らは大坂御坊を本願寺として堀・塀・土塁で武装し細川晴元らの攻撃に備て難攻不落の城砦とし、寺内町も発展してゆき11世の時代には本願寺の絶世期を迎えました。
織田信長の天下統一の野望に頑強に抵抗したのは本願寺派の門徒集団であり、その総本山が法主顕如の石山本願寺でした。1570年から11年間に及ぶ長い戦争の結果1580年天皇の仲介により本願寺は紀州へ移されました、信長はこの地に城を建てたかったのですが本能寺の変によって、その夢を果たせませんでした。


多門櫓(やぐら・重要文化財) 江戸時代1628年創建 1848年再建 面積600u 高さ17.7m

「豊臣秀吉の大坂城」

1583年秀吉は大坂城の普請を始め、秀吉存命の15年の歳月を費やして難攻不落の巨城に仕上げました、その広さは現在の大阪城の4〜5倍あり、金色に輝く天守閣はどこからでも見えました。お城と同時に町づくりが行われ近世城下町の先駆けとなりました。
秀吉死後の2年後(1600年)関が原の戦いに勝って徳川幕府が成立、再び大坂冬の陣が開戦し約10万の豊臣方は徳川方20万人の大軍の一兵たりとも城内に入れさせなかったのです、秀吉の築き上げた名城は名実ともに難攻不落のお城でした。然し講和になって二の丸の堀まで埋められて本丸ばかりの裸のお城にされてしまいました。
冬の陣から僅か5ヶ月余りで夏の陣が始まり1615年5月17日大坂城はついに落城してしました。

大坂城本丸 大阪城博物館より望む
「徳川幕府の大坂城」

1619年大坂は幕府直轄領となり、1620年2代将軍秀忠によって大坂城再構築が起こされ3代家光のときに完成しました、秀忠は「石垣を旧城の2倍の高さ、堀の深さも2倍に」と強調し、天守閣も秀吉のときより15m高くなりました。この天守閣は1665年に落雷によって僅か39年で焼失し、それ以後昭和の復興まで266年間天守閣がない時代が続きました。この間大手門、多門櫓も落雷で焼失しましたが幕府は1843年近在の町人から155万両の御用金を集めて天守閣を除く全ての建物の大修復を行いました、天守閣は当時の日本経済では修復できないほどの大掛かりなものだったことが分かりますね。
後々、15代将軍慶喜は鳥羽伏見の戦いで官軍に敗れて大坂城を逃げ出し、そのドサクサに台所からの出火で城内の殆どの建物が焼失し、再築以来250年で再度落城の憂き目にあい、明治以降、大坂城跡は陸軍の軍用地として一般人の出入りは禁止されてしまいました。


城壁の巨大な花崗岩を見る

「昭和の大阪城」

1938年(昭和3)当時の市長関一(ハジメ)さんが天守閣の復興を提案すると市民の寄付が殺到し、僅か半年で目標額の150万円に達しました、豊臣時代の天守閣の資料が乏しく苦労しましたが「大阪夏の陣屏風図」をよりどころに、永久的なモニュメントととして鉄筋コンクリートで我国初の高さ55mの超高層建築物が1941年11月7日、歴代3代目の天守閣が完成しました。
今はどこにもある近代建築の天守閣の第1号であり、内部を大阪府下唯一の歴史資料館として利用する独創的なものでした。
太平洋戦争の敗戦で米軍が占領していた大阪城が1948年に返還されたのを契機に、大阪城公園整備への努力が始められ、募金活動を含めて民・官一体の修復再建工事が今日まで続けられています。



大坂城開祖、本願寺の蓮如上人の記念碑
「平成の大阪城」

今の天守閣も60数年の歳月で老朽化し、1995年から97年にかけて大規模な改修工事が市民の寄付を元に行われました。この工事では内外にハイテク工法と部材が多用され、例えば鉄骨鉄筋の腐食を防ぐためコンクリート内部にアルカリ溶液を浸透させる電気化学的工法が採用されています、また車椅子で天守閣に入れるように身障者用のエレベーターが天主西側に新設されたのも、市民による市民のための大阪城をよく表しているといえるでしょう。

では、春の大阪城を散歩してみましょう、ぐるりと一周するのに一日はかかります。


   大阪城散歩    ここが大阪城や


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