ブッダ・ウォーキング 番外編 「若狭の仏たち」
 

ブッダ・ウォーキングで歩いていたときから、福井県小浜市には古いお寺がたくさんあることを知り、いつか行ってみたいと思っていましたが距離が遠いこともあり、日帰りウオークでは行けない内に3年余り経ってしまいました。

その間にNHKの朝ドラ「ちりとてちん」が始まって小浜を大変近しいところにしてくれました、2008年の10月良い天気が約束されてついにぐうたらなみこしを上げて、二日間の旅をしてきました。

若狭の地には130数ヶ寺があり、そのうちの10%余りが真言と天台宗の古い寺院ですが、その寺々の薬師如来や観音菩薩像などが国宝・重要文化財(その多くは明治時代制定の旧国宝)に指定されています。

なぜ若狭に集中しているかということは滋賀県同様に、この地の人々の仏教に対する尊崇の心が大変強く、古代には朝鮮・中国からの高い文化を持つ人々の中継地でもあり、室町時代1471年には浄土真宗の蓮如上人が現在のあわら市に吉崎御坊をたてて、日本最大の教団を形成するなど、仏教環境には大変恵まれた地であったことが判ります。

また、「ちりとてちん」の鯖の丸焼きに代表されるように、若狭の海産物は鯖街道を通じて、大陸の文化とともに古代の都に運び込まれ、奈良・京都との交流は堅固でありました。いま、小浜では「ちりとてちん」の続編への署名活動がなされ、街は古い町並みの再現に向けて大変な賑わいです。

そんな中にあって若狭の古寺群はひっそりとたたずみ、春から秋にかけては土日には国宝めぐりバス(4/6〜11・30・一日フリー券500円)が頻発しています。

とりあえずは、私と一緒に「若狭の仏たち」の巡礼に出かけましょう、あちこちへ行きますのでお疲れがでませんように・・・。


若狭の仏たち(堂内は撮影できませんのでこの画像でご覧ください)


小浜の資料を「必要な方は風来坊主にお尋ねください


円照寺


天智天皇時代の創建といわれ、1612年に臨済宗の寺として再興、臨済宗中興の祖・白陰禅師(江戸中期・臨済宗中興の祖)が29歳時に修行したことがあります、本尊は大日如来坐像(不動明王立像とともに重文・12世紀藤原時代)、江戸時代に作られた回遊式庭園は借景を巧みに利用し美しく、樹上にはモリアオガエルがすんでいるとのことです。



左は大きな庫裏と本堂



モリアオガエルの住む庭園


妙楽寺


719年に行基さんが岩屋の中に千手観音を奉安し、その後797年に弘法大師が諸堂を建立して尊像を安置しました、この千手観音と本堂(鎌倉時代)が重文で、若狭最古の建造物。真言宗



妙楽寺山門



弘法大師と鎌倉時代の本堂


多田寺


奈良時代の創建、眼病に効く薬師如来立像(平安時代・)と奈良時代の木造十一面観音立像はいずれも重文です、高齢のご夫婦だけが住んでおられるので普段は閉まっているそうですが、境内はきれいに整備され11月1日には開きますとの張り紙がありました。真言宗



多田薬師山門


若狭国分寺


741年聖武天皇により諸国に造営された国分寺・国分尼寺の一つ、福井県には越前市と小浜市にあります。現在は曹洞宗の寺で鎌倉時代の本尊・木造薬師如来坐像は重文、本尊の丈六釈迦如来坐像は大仏として有名、天平時代の我が国三番目の相輪が出土しています。






金堂跡に建つ釈迦堂と左は薬師堂



南大門跡と古墳


羽賀寺

行基さんが716年元正天皇の命により開山、盛時は十八坊もあった大寺で、美しい本尊の十一面観音立像は女帝の姿を行基が彫ったものと伝えられています。観音像・本堂を初め重文が多くあります。真言宗



向こうは新築の位牌堂



すっかり日が陰ってしまった本堂


ここらでちょっと一休み

小浜市役所から西の方へ進むといづみ町商店街に入ります、その通りには小浜らしい店があちこちに点在しています、この街を散歩したい人はこちらからどうぞ。
                       
小浜の街を散策する 


萬徳寺


1370年頃安芸の僧覚応が来て真言宗を広めたのを初めとし、その後若狭を領した各大名が本寺を守護し、1500年中頃の武田信玄と上杉謙信の合戦により焼失後、1602年に再建し寺号を万徳寺と改めました。庭園は1677年築造の枯山水で国の名勝庭園となり、藤原時代初期の檜の一木作りの阿弥陀如来坐像は高さ1.3mの雄大な仏像で重文、また大山もみじは天然記念物に指定されています。



万徳寺本堂



かやぶきの書院より見る庭園の一部


神宮寺


「若狭神宮寺のパンフレットより(抜粋)」
若狭は朝鮮語のワカソ(往来)がなまった地名で、奈良もナラ(都)がなまった当て字、大陸の文化が対馬海流にのって着岸した若狭浦から国府のあった遠敷(おにふ=朝鮮語ウォンフー=遠くにやる)を通り、100kmほどの直線上にある奈良・京都へと運ばれた・・・。
この地方に国造りした祖先が遠敷明神(若狭彦命)で、紀元1世紀頃根来白石に祀られていたのを神願寺に迎え、神仏両道の道場になり、鎌倉初期に神宮寺に改称されました。
神願寺の開山和氏赤麿は白石の神童(幼児)を大和に伴い、当時の名僧義淵僧正に托したのが、後の東大寺開山の良弁僧正となり、二月堂を建てお水取り行法を始めたそうです、その若狭井の水源が白石の鵜の瀬であるとされて神宮寺から鵜之瀬へ毎年3月2日にお水送り神事が行われます。
ということで、ここには本尊として桧作りの男神(若狭彦・山幸彦)女神(若狭姫・豊玉姫)の二尊(鎌倉初期・重文)と薬師如来(藤原末期)が祀られています。また、室町時代末の本堂と鎌倉末の仁王門も重文になっています。



北門にある重文の仁王門



堂々とした本堂ですがご本尊の薬師さんはただのぞけるだけでした


























北門への参道と天然記念物の椎(スダジイ)の木



若狭姫神社(創建721年)の千年杉


この杉の木はこちら側へ傾いているため裏の方へ太いワイヤーで引っ張られていました


明通寺

最後に明通寺をご紹介しましょう、ここはなんといっても若狭一の名刹です、806年に坂上田村麻呂(757年生まれ、東北の蝦夷を平定し797年には征夷大将軍に任じられ、のちに大納言になるも54才で病没、菅原道真とともに文武の神と尊崇されている)が創建。
本堂(1258年鎌倉中期再建)と三重塔(1270年・再建)はいずれも若狭唯一の国宝、深い谷あいにありながら大和の寺々に劣らぬ構えをもっています。



山門を見上げる



優美な桧皮葺の密教建築 国宝・本堂



鎌倉時代の塔婆の典型とたたえられる国宝・三重塔


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