第11(27)回 コダイ・ウォーキング レポート

やましろ古道ーそのUー


今年の2月の大阪は珍しく寒い日が多くて16年ぶりに雪も積もりました、翌朝お寺の屋根から次々に雪が滑り落ちてくる様子を見ているのは楽しい時間でしたが、日本海側の皆さんには雪を見て喜んでいるどころではない日々をお過ごしのことでしょう。あらためて日本の変化にとんだ風土の奥深さを感じたことでいた。
先月につづいて山城古道を訪ねました、その道中に車窓から河内平野がうっすらと雪に覆われた田畑や屋根を見ながらの旅でしたが、木津川の辺りでは雪が降った気配もなく、期待した雪景色とはなりませんでした。




加茂の町で見かけた里程標とウォーキングの皆さん
木津一里半・奈良三里・京都八里余・浄瑠璃寺二里とあります


恭仁宮(くにのみや)跡(山城国分寺跡)


740年聖武天皇によって、平城京から遷都し宮殿が造られました。都としては完成しないまま743年の末にはこの京の造営は中止されて聖武天皇は紫香楽宮に移り、744年に難波京に遷都さらに745年都は平城京に戻りました。わずか3年余りの都でしが、日本の文化史上の重要事項である「国分寺・国文尼寺建立の詔」と、「大仏建立の詔」はこの都で出され、実行に移されました。この宮殿が山城国分寺として利用され大極殿は金堂とされたのです。


巨大な礎石が残った七重塔跡



何に使われたのか知りたい石臼?(くぼみの中の石はいたずらで入れたもの)



一段と高い大極殿(のちの金堂)跡


海住山寺

寺伝では735年聖武天皇の勅願により良弁(ろうべん、奈良東大寺の初代別当)を開山として藤尾山観音寺という寺号で開創しました。その後、1137年に全山焼失し、1208年笠置寺の貞慶(じょうけい)によって中興され、現在の山号と寺号に改められました。貞慶は解脱上人とも称する平安時代末期-鎌倉時代初期の法相宗の僧で、南都仏教と戒律の復興に努め、海住山寺も法相宗に属し、近世まで興福寺(法相宗本山)の支配下にありましたが、その後真言宗に転じています。
鎌倉時代1214年に建立された五重塔は、室生寺に次いで日本で二番目に小さいのですが、法隆寺五重塔と同じく一階の屋根に裳階(もこし)をもつ堂々としたもので国宝です、また重文級の仏像など数多あります。


この寺は木津川から300mほど登った所にあるのですが、準備のよいことに女性はみんなステッキを用意してこられ、お一人はアイゼンまで持参され、その心がけの良さには頭が下がりました。残念ながら雪がなくて不要となりましたが、下山途中で吹雪になってくれて少しは冬の旅が楽しめました。



国宝・五重塔



















左:文殊堂(重要文化財・鎌倉1312年)右:本堂



休憩所の大きな茶釜を囲んで楽しい昼餉



参道にあった「やまもも」の名木



吹雪の中で幾多の人々が上下した木津川を見下ろす


浄瑠璃寺


当寺は1047年、当麻の僧・義明上人を開基(創立者)、阿知山大夫重頼を檀那(この地の豪族・後援者)とし、薬師如来を本尊として創建されたものです。
瑠璃寺は本堂に九体阿弥陀如来を安置する寺として知られていますが、本堂・三重塔(秘仏・薬師如来)が国宝、その他重要文化財が数多の山城地方きっての寺院、また庭園は国の特別名勝に指定される名園です。
ここはウォーキングでは二度目の訪問ですが、何度訪れても心癒される宗教的空間です。
この付近の名勝「当尾の石仏・岩船寺・円成寺」を知りたい方はクリックしてください。



特別名勝の庭園より本堂(国宝)堂内には平安時代作の九体の阿弥陀如来坐像
と四天王立像(いずれも国宝)



(国宝)九体の阿弥陀如来像 (浄瑠璃寺の絵葉書よりコピー)



国宝の三重塔



門前に立つ「くろがねもち」の古木



寒ーいバスの時間待ちに「あしび茶屋」でぜんざいと酒


3月のウォーキングは3周年記念として3月11日(火)に平城京跡周辺へ行きます、詳細はここをクリックしてください。


表紙に戻る