第10(26)回 コダイ・ウォーキング レポート

やましろ古道


平城京を出たJRは奈良山を越えて木津川へと下って行きます、JR木津駅で木津川を遡って伊勢・美濃へと続く関西本線を分けて、左岸を新しい片町線が難波京へ、右岸を行く奈良線は平安京へとつながってゆきます、いづれも古代から続く人々の道でした。

平城山(ならやま)で額田王が天智天皇(中大兄皇子)とともに滋賀の新しい大津京へと(667年)旅立ち、平城京に別れを惜しんで
「三輪山をしかも隠すか雲だにも情(こころ)あらなも隠そうべしや」と詠んだ時代から1341年、私たちは同じ道を通って山背(城)古道へと入りました。

「やましろ」と聞けば現代の私たちが思い起こすのは「たけのこ」の産地、見渡す限りの丘陵地が竹林で覆われた様は壮観ですが、一日ウォーキングの大半を竹の海を通った私たちは大変でした。

なるべく自動車道を通らないようにと国土地理院の25000分の1図を頼りに竹の子畑に突っ込んで行きましたが、そこには軽自動車がやっと通る道がそちこちに通じて、前日までの大雨で下はぬかるみ、いったいどこを歩いているのか磁石が頼りのウォーキングでした。

でも竹の子畑は均等に竹が立ち並び地面には竹の葉が整然と敷かれているのを見るにつけ、竹の子作りも大変な労力を要するものだと知ったことは大きなお土産でした、そんなことで今回は写真を撮っている余裕がなくて、参加された生物楽者のMさんの画像も加えさせていただいてのレポートとなりました。

蟹満寺 
白鳳時代末期(690年代)、渡来人の秦和賀が建立した紙幡寺が前身で、後に行基によって再興されました。
白鳳末〜天平時代初期の鋳造法に共通する薬師寺の薬師三尊像と双璧の傑作と言はれる丈六の釈迦如来坐像(国宝)が安置されています。寺の名は今昔物語に出ている「蟹の恩返し」で有名、近年の調査で現本堂を包む形で薬師寺に次ぐ規模の基壇[間口7間(28.5m)奥行き4間(17,8m)]が発掘されました。
残念ながら本堂は改築が始まったばかりで完成は2年半後になるそうです、この寺にはホームページがなくて、その他のHPには改築中の情報がありませんので徒労に終わり、ハプニングNo.1でした。
なんと不動川まで戻ってみれば一緒に出発した内の後方4名が行方不明、携帯で連絡を取り合いましたが、村を通るときに辻を間違えてえらい上流へ出てしまったとのことでした、ハプニングNo.2。


観音堂の扁額・蛇をやっつけている蟹の絵です


















              左:本堂のないお寺にがっかり(Mさん撮影) 右:JR棚倉駅近くの不動川より上流の竹林を見る(Mさん)

神童寺
興福寺一乗院から移築した山門を入ると、真言宗智山派北吉野山「神童寺(しんどうじ)」です。596年(推古4年)聖徳太子が自ら彫った千手観音を安置した大観世音教寺で、後に役行者の修行中、神童が現れたので「神童寺」と改称して本尊「蔵王権現」を安置しました。
室町時代建立の本堂(蔵王堂)は国の重要文化財、また、収蔵庫には重文に指定されている木造不動明王立像・木造愛染明王坐像や木造阿弥陀如来坐像など多数安置されていましたが、現在は本堂を改修中で門前払いとなり、ハプニングNo3.



山門だけの神童寺



















神童寺広場での楽しい昼食:女性は日陰、男は陽だまり



こんな豪華な昼ごはんっ


椿井大塚古墳
木津川中流域は海部(あまべ)氏の傍流の根拠地であり、この一族の墓と推測されています。
墳丘長175m、自然地形の山を利用しているので盛り土も部分的、濠がない畿内ではまれな古墳、古墳時代初期(3世紀末)築造の前方後円墳で、32面の三角縁神獣鏡などと武具が出土しました。後円部をJRが横切り竹林の古墳内には人家がたくさんありますが、JRが通るまで古墳とは分からなかったそうです。どこを通ったのかも定かでない竹の子畑を列車の汽笛を頼りに古墳の近くへたどり着きましたがどっちを見ても竹林ばっかっり、残念ながら画像はありません。
京都府立山城郷土資料館
南山城の歴史と文化を知るに最適な、先史時代から江戸時代に至る資料が展示されていましたが、なんとここは撮影禁止の珍しい博物館でした。ここへ来るのに竹の子畑で踏み迷い、再びJRの線路に出ざるを得なくなりえらい遠回り(ハプニングNo.4)、今日はハプニングが続いています。





資料館より木津川を経て平城山・三輪方面を見る


高麗(こま)寺跡
京都府内最古の古代寺院跡、この地は相楽七郷中の大狛郷に属し、高句麗からの渡来系氏族狛(高麗)氏の氏寺として創建されたそうです。創建期には蘇我馬子の飛烏寺の瓦と同じ軒瓦が使用されており、7世紀初頭に造営が開始され、本格的な伽藍整備は、天智天皇により創建された川原寺と同じ軒瓦が使用されて、大津宮遷都(667年)前に開始されたものと考えられています。


















広大な高麗寺跡



夕日の記念撮影:なんとここでも一人足りないのです・ハプニングNo.5!


そうしてハプニング No.6 は
帰りの木津駅で信号故障とかで列車が1時間も停まってしまったこと、楽しい反省会を目の前にしながらいつ出るとも知れない列車、でも我々は退屈しませんでした。
というのも長年連れ添った杖を乗りこんだ上狛駅に置き忘れた人が、下りの列車で取りに行き、帰ってきてもまだ上り列車は停まったままで無事みんなと合流できたからです、ハプニングのお蔭でしたね。

 みゅうみゅうさんのアルバムより

Mさんは昨年の今頃は体調不良で入院中でしたが、その後よく回復されて遠く泉州から参加しておられます、しかし無理はできないので、いつも最初と最後の場面だけ参加されます。今回も蟹満寺で別れて再び資料館で再会となりましたが、木津市内で木津川の
古代の船着場などが残っておれば写してきて欲しいとお願いしました。古代にはここを発着点として難波の都へと淀川を経て行き来していましたから…。残念ながら流域も変わっているのでしょう、そのような場所はありませんでしたが、ここではMさんの画像をお楽しみください。

myuumyuuさんのホームページ



不動川の下を通るJR奈良線・トンネルには蒸気機関車の煙の跡が…



なにやら埴輪のような…

 

やましろのお茶畑



古代の木津を知る市内の運河



高麗寺跡の噴水施設?左側に水路が…



木津川を下って淀川へ・古代の港の近く

そうして楽しい反省会・ああ疲れたっ

   

反 省
1:訪問地の状況はインターネットでなく、電話で確認すること。
2:勝手な行動をとらない、時間厳守、停まるときは必ず前方へ声をかけること。
3:最後の人は人数を確認すること。

2月のウォーキングは2月24日(日)に変更です


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