石舞台の南東を祝戸の方へ右折して飛鳥川沿いの道を行くと稲淵の部落に着きます、ここは飛鳥川の上流域で棚田があり日本棚田百選にも選ばれており、カメラマンが三脚を林立させています。

飛鳥川へと下るとコンクリート橋の上流に川を横切る飛び石があります、これは古代から飛鳥川を渡って稲淵へ入る道であり、この飛び石を中大兄皇子や藤原鎌足らが渉ったことは明らかです。

なぜなら、そこには南淵請安先生の塾があったからです、古代政治史の大事件「大化の改新」を断行する前に、蘇我氏打倒とその後の改革の教えを請うために、この飛び石を何度も渉ったことでしょう。

請安先生とは飛鳥時代の学問僧、南淵漢人(みなみぶちのあやひと)と称される渡来系の氏族の知識人。608年、遣隋使小野妹子に従い8人の留学生の一人として隋へ留学、32年間、隋の滅亡から唐の建国の過程を見聞して、640年に帰国、隋・唐の進んだ学問知識を日本に伝えました。

この飛び石を渉れば古代へのかぎりない慕情が湧いてきて、立ち去りがたい思いがつのりました。



飛鳥川の飛び石



中大兄皇子(のちの天智天皇)と藤原鎌足が「大化の改新」にむけて渉った道



「明日香川 明日又将渡 石走 遠心者 不思鴨」
「明日香川 明日も渡らん 石橋の 遠き心は 思ほえぬかも」

万葉歌碑・読み人知らず・犬養 孝先生の字


南淵請安先生のお墓とお社


稲淵部落と飛鳥川源流を望む


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