第8(24)回 コダイ・ウォーキング レポート


「大化の改新」を歩く


いろんな人たちと野山を歩くのは楽しく、そこで歴史を振り返り古代の人々とのふれあいを感じてゆく…、そんなウォーキングであるように心がけていますが、10月28日のウオークはまさにそんな場所と秋晴れを得て、楽しいものになりました。
天王山古墳では石室を探しまわり、やっと見つけたところには石棺がなかったので、不思議に思いながらそこを後にしてから、石室は三つあって二つは入れると聞き、大変悔しくご同行のみなさんに見ていただけなかったことをお詫びいたします。11月3日にもう一度古墳を訪れ、石棺を写してきましたのでご覧ください。
                      
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安部文殊院


近鉄桜井駅から1.5Km南にあり、興福寺像や日本の三大文殊菩薩(京都府・天橋立/切戸の文殊、山形県・奥州亀岡の文殊)の一つとして知られています、645年に左大臣・安部倉梯麻呂が一族の氏寺として法隆寺式伽藍配置で創建、鎌倉時代に現在地へ移転、戦国時代(1563年)に焼失したのを1665年に再建されました。本尊は獅子に乗った文殊は鎌倉時代・快慶作といわれ重要文化財、学業成就の寺として受験期には合格祈願の参拝でにぎわうそうです。

文殊菩薩は文殊師利菩薩(もんじゅしゅりぼさつ)の略、梵名はマンジュシュリー、舎衛国のバラモンに生まれた実在の人物ともいわれるが純粋に大乗経典の中でうまれた菩薩。、智恵第一の菩薩とされ、普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍をつとめ、単独でも広く信仰されています。
なお、時間の都合でここは境内を通過しただけで、創建当時の安部寺跡へと向かいました。


文殊堂・桃山時代(明治に大神神社の神宮寺、大御輪寺より移築)

安部寺跡



上之宮遺跡


相当広い遺跡だと思って探し回ったところ、住宅地の中に家一軒分の広さにありましたのでびっくりしました。場所を聞いた人が「うちの家の裏にある」と教えていただいたことに納得しました。
居館遺構はなだらかな丘陵の北東斜面にひろがり、鳥見山や三輪山が見えた景勝地、当時として第一級の格式をもった四面庇付き大型建物、倉庫や掘立て柱の建物があったそうです。


こんなにちっぽけになってしまった遺跡




方形石組みの丸池


メスリ山古墳



古墳時代前期(3世紀後半)全長230mの大型古墳、鉄矛・銅製やじりの格納庫、埴輪が2.4mHと巨大


聖 林 寺

藤原鎌足の長男・定慧が757年に創建、鎌倉・江戸時代に再興、天平時代の国宝第一号・十一面観音立像が本堂裏手の堂内に安置、もとは大神神社の神宮寺だった大御輪寺の本尊でしたが明治の廃仏毀釈が始まる直前1868年にここへ移されて難を逃れた天平佛の最高傑作です。
ここの本尊は江戸時代の石造り丈六延命地蔵で安産や子授かりの霊験で有名です。境内から見る三輪山・倭迹迹日百襲姫命(やまと ととひ ももそひめ)墓といわれている箸墓古墳の眺めが素晴らしいところです。

          聖林寺への途中にて

   
ここからはまだ5〜6Km離れた談山神社の大鳥居

  
 ↓古い構えの「談山正宗」の酒造り屋さん
 




















































                     聖林寺山門へ                 本堂より三輪山を見る


大和朝廷の郷を見る、左奥は箸墓古墳、右は三輪山

国宝・十一面観音立像と右手(入江泰吉氏の絵葉書より転写)



楽しい昼食、女性は日陰を選びました、右奥は聖林寺


倉橋溜池

昭和の初めから計画された奈良県の灌漑用池で、1948年に完成その後13年かけて2000年には防災ダムとして改築されました、周囲約4Km、総貯水量1900千m3、野鳥野草の宝庫でもあります。
この倉橋の地は崇峻天皇の都があったところで、天皇は蘇我馬子に592年暗殺され、推古天皇・聖徳太子の時代へと変わってゆきます。



彼岸桜が咲いていました


天王山古墳

小山のような古墳に見えますが、6基の横穴式石室墳により形成される群集墳、天王山1号墳(赤坂天王山古墳)は一辺45mの三段築成の大型方墳、築造時期は推定6世紀末、1954年に国の史跡に指定されました。
石室は二ヶ所の墳墓にあり、南面に盗掘のときの穴があいており、かがんで入ると石室まで行けます、石室は全長15mの長大な横穴式石室、高さ1.2mの二上山白石製の家形石棺が収められています。
画像は10月28日のウォーキングのときと11月3日に石棺を探しに行ったときの二日分を合わせてご覧いただきます。



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石 位 寺


額田王の念持佛だったと伝えられる重要文化財の「石像浮彫薬師三尊像」が無住の小寺の奥の収蔵庫に安置されています、わが国現存する最古の石彫三尊佛で唇などに朱が残っています、かっては雨ざらしにあっていたそうですが、今は磨かれたのか造ったばかりの石像のように光って見えます、その端正な三尊佛は見るものに安らぎを与えてくれました。





薬師三尊佛:石位寺のパンフレットより転写


鏡女王の墓


天智天皇(中大兄皇子)の后であったが、藤原鎌足の正妻となった人で代表的な万葉歌人、額田王の姉という説もあり、鎌足の病気平癒を祈って現在の興福寺(当時は山階寺)を造りました。彼女が亡くなる前日に天武天皇が見舞いに行ったと「日本書紀」に出ています。この周辺には大伴皇女の墓や舒明天皇陵があります。


万葉集より 鏡女王

「秋山の 樹の下隠り 行く水の 我こそまさめ 思ほすよりは」  
(中大兄皇子と恋をして)

「風をだに 恋うるは
(ともし) 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ」 
(亡き鎌足を偲んで)



舒明天皇(天智・天武天皇の父)陵



舒明天皇陵前でバスの時間待ちのひととき


秋の陽は早く山間では薄暗くなってきました、桜井駅までの途中には予定していた茶臼山古墳(1945〜6年の発掘調査で、内部から鏡・玉・剣・壷等の副葬品と共に、王者の権威である玉杖が出土しています。副葬品から4世紀初頭の築造年代が推定され、磯城地方の王者の墓にふさわしい古墳と考えられています。典型的な山の尾根を利用した丘尾切断型前方後円墳で、全長207m、後円部高さ21.2m、1972年国の史跡に指定がありますが、国道を歩かねばならず車も多いので、バスで帰ることにしました。
桜井では大いに反省会をして、来月は紅葉を中心にウォーキングすることにして楽しい一日が終わりました。

中大兄皇子と藤原鎌足が「大化の改新」にむけて向かって渉った飛鳥川の「飛び石」をご覧ください。

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