第7(23)回 コダイ・ウォーキング レポート


加古川の弥生・古墳・飛鳥時代を歩く


聖徳太子は兵庫県の西部にゆかりが深く、姫路市西方の太子町には、608年に推古天皇から聖徳太子が播磨の国揖保に土地をもらって斑鳩荘と命名し斑鳩寺を建立したと伝えられています。
また、高麗(こま)僧恵便は物部氏ら排佛派の迫害を逃れて加古川にいたところ、法師を慕う太子が585年に恵便師を訪ね来て、589年に秦河勝に精舎を建てさせて寄進し、これが鶴林寺の始まりとされています。

このように加古川は北から南へ流れる距離にして約96Km、3市13町を貫き、その流域は兵庫県の21%に達しています。ここでは超古代より人々が住み着き、弥生時代には大集落を形成するなど考古学上も大変興味深い土地です、前々からブッダ・ウォーキングでも来たいところでしたが、今回ようやく訪れることができました、

参加された人たちは京都・奈良・岸和田・大阪・神戸と随分の距離を来られて、加古川の流域を弥生・古墳・飛鳥時代を楽しむことができました。

万歩計を持ってきた方がおられて当日の歩数は約25000歩だったとか、これが多いのか少ないのかは分かりませんが、健脚揃いで何とか予定の時間には終えることができました、けれども炎天のカンカン照りでなかったのは幸いしました。その分、反省会は大変盛り上がったものになりました。


西条古墳群(西条廃寺)

加古川流域には旧石器文化以来の多くの遺跡を残しています、西条古墳群にはたくさんの古墳があったようですが、開発の波に飲まれて、現在ではわずかに人塚・尼塚・行者塚古墳が国の史跡として保存されています。
西条廃寺は西条古墳群の中ほどにあり、奈良時代前期(7世紀後半)に建立された法隆寺式伽藍配置の寺院跡で、1981〜4年に発掘調査が行われ、各基壇・中門・回廊跡が復元されています。















            
                    西条廃寺跡の北山公園                        廃寺跡と人塚古墳
















           復元された中門跡に迫る住宅                       古墳の上にも住宅



塔跡とその向こうは金堂跡、左奥は講堂跡、緑の生垣の内側が回廊跡です



加古川上流を望む、この道は広い遊歩道で両岸が42.195Kmのマラソンコースになっています


廃寺跡に咲く可憐な一輪「たますだれ」(ひがんばな科)


鶴 林 寺

589年に建てられた精舎は三間四方の小さなものですが,刀田山四天王寺聖霊院と名づけられました、その後718年に武蔵の身人部(むとべ)春則が聖徳太子の遺徳を顕彰して、刀田山四天王寺として七堂伽藍を建立、9世紀には比叡山の慈覚太子円仁が入唐の際に立ち寄って薬師如来を刻んで寄贈、1112年には鳥羽天皇から「鶴林寺」の勅額をもらいました。
寺運が最も栄えたのは鎌倉・室町時代、寺領25000石、寺坊30数か坊を誇りましたが、戦国時代より衰微してゆきました、現在は国宝2件、重文18件を持つ天台宗の大寺として尊崇を集めています。


山 門
                       


















上:太子堂(平安時代・1112年)と本堂(鎌倉時代・1397年)
  いずれも国宝
    右:お寺のシンボルは高い塔ですね、時代不詳
新加古川大橋の下で、日光を避け涼しい風に吹かれながら昼食、びしょぬれのシャツが乾いて元気を取り戻し、加古川の街を通り抜けて鶴林寺へとやってきました。

この頃から雨が降り始め、いずれの写真もなんか煙っているようですね。

宝物館には外国へ何度もお出ました白鳳時代の「金銅聖観音菩薩」など重要文化財がたくさんあります。






太子堂は兵庫県最古の建築、ご本尊はお釈迦様、壁画はススで覆われて目では見えないので
宝物館に赤外線撮影の写真がありました



秋らしく萩の花とススキが迎えてくれました


大中遺跡
加古郡播磨町にあるこの遺跡は、弥生時代中期から古墳時代中期にかけた代表的な大集落です、現在は60軒が発掘されていますが、全体として300軒を越える住居跡があると見られています。

1962年に地元の中学生3人が大量の土器を発見したことから、発掘調査が行われて1967年には国の史跡となりました。出土したものは土器を中心に生活用具が多く、なかには中国・後漢時代に造られた鏡の断片が発見されています。

ここには「播磨町郷土資料館」があり出土品を見ることができましたが、ちょうどこの日以降は休館になるとかでラッキーなことでした。10月3日にオープンする「兵庫県立考古博物館」がその建設を急いでいました。そのため復元された「大中古代村」も一時閉鎖された状態でした。

この村は44000uあるとかで、完成すると大変興味深いところとなることでしょう、オープンされたらここの様子をお知らせすることにします。

















                        播磨町郷土資料館                       出土した須恵器(素焼きの土器)



後漢時代の内行花文鏡:右は復元、左は断片に二つ孔があけられ首飾りにされたらしい


「いいだこ」を採るつぼの変遷


大中古代村内の竪穴住居

おまけ:別府鉄道
別府鉄道は1915年に現在の多木肥料からの貨物を積み出すために1915年(大正4年)に設立され、1921年に野口〜別府港まで開通し、1923年に土山〜別府港の土山線も開通しました。旅客主体ではなくてあくまで貨物輸送でしたが、野口線(3.7Km)には4駅、土山線(4.1Km)には1駅設けられ、旅客の便も図っていました。
電化されることはなくデイーゼル機関車が使われて、戦後は製鉄化学工業(現住友精化)や川崎重工業の進出で貨物輸送の役目を果たしてきました。
だが、近代化される輸送業界に取り残されて、1984年2月1日に全線が幕を下ろしました。乗る人こそ少ないとはいえ長年親しまれた列車であり、廃止の一日前の1月31日はこの地方が大雪に見舞われ、他の交通機関がストップする中を、この列車だけは定刻どおりに走って有終の美を飾りました。画像は大中遺跡に記念に保存されている列車です。



こうしてよく歩いた古代の兵庫も日が暮れました、私たちは明石の有名な鮮魚店で買い物をして、いよいよ待ちに待った反省会、今夜は全員一致で「明石焼き」でビール生き返りました


次回のコダイ・ウォーキングは10月28日(日)に奈良県桜井市周辺を予定しています、詳しいことは10月初旬に発表します。


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