第2回ブッダ・ウォーキングレポート


「日本書紀」によると日本に仏教が入ったのは公式には538年、欽明天皇の時代に百済の聖明王が釈迦像などを奉献されたのが始まりですが、民間では中国・朝鮮からの渡来人によってそれ以前から仏教が信仰されていたようです。 
584年に百済より弥勒菩薩石像が将来され、蘇我馬子は奈良県桜井の家を寺院(向原=ムクハラ寺・豊浦寺=トユラ)として善信尼など3尼が出家してその後百済へ留学、用明天皇が初めて仏教に帰依、588年百済より技術者が派遣され最初の本格的な飛鳥寺(法興寺)が599年に完成、594年には推古天皇が「三宝(仏教のこと)興隆の詔=ミコトノリ」を発布して、仏教国としての発展の道が確立してゆきました…。


第2回も前回に引き続き飛鳥へ行きました、一行6人は途中で「大化の改新」*の中心人物、中大兄皇子(天智天皇)と藤原鎌足(藤原氏は明治維新まで朝廷の中枢にあった)らが蘇我入鹿を討つための密議をこらした多武峰、その山中に鎌足を祭る多武峰寺(江戸時代まで)と談山神社があり、中央集権国家を成立した歴史的な地を見ておくために談山神社を訪れ、そこから明日香村へと下りました。
明日香では、坂田寺跡・石舞台・川原時跡・犬養万葉記念館・飛鳥資料館などを回って橿原神宮前駅へと、この日は随分と歩きました。
よく晴れ渡った日で1ヶ月前の猛吹雪が嘘のよう、ところどころで遅咲きの桜や木々と野の花々を愛でつつ、楽しい一日でした。ではその足跡をたどってみましょう。


















           近鉄・桜井駅より出発                             桜か桃か??(談山神社付近)

*「大化の改新」とは
645年夏,中大兄(なかのおおえ)皇子(天智天皇)を中心に中臣(なかとみ=後に藤原)鎌足(かまたり)ら革新的な豪族が蘇我大臣(おおおみ)家を滅ぼして開始した古代政治史上の大改革。大化年間(645年−650年)の中央集権的諸改革をさすが,広義には701年の大宝(たいほう)律令制定までを含む。年号を創始して大化元年とし,都を飛鳥(あすか)から難波(なにわ)宮に移し,翌春,私有地・私有民の公地公民化,国・郡・里制による地方行政権の朝廷集中,戸籍作製と班田収授の開始,税制改革など,4綱目からなる改新之詔(かいしんのしょう)を公布,以後政治改革に努め,古代東アジア的な中央集権国家成立の出発点となった。しかし改新之詔の諸制度がほぼ実現したのは,672年の壬申(じんしん)の乱以後の天武・持統朝であった。 
(マイペディア百科事典より抜粋)

談 山 神 社

678年父鎌足を祈念して、唐留学から帰国した長男・定慧和尚と次男・不比等が建立、
1532年(室町時代)に再建、高さ17m檜皮葺き、十三重木造の仏塔としては世界唯一
(重要文化財)



左:本殿(701→1850年再建) 右:拝殿(1520年)いずれも重要文化財 日光東照宮のモデル





































下の写真は拝殿内にあった飛鳥時代から伝わる供物、全て穀物で右の写真は左から赤米・白米・黒米の籾とそれについている穂、古代の稲にはこんな長い穂が付いていたんですね、ここでは古代米を育てて供物にしています。



























   左:野の仏さま

   右:大輪の石楠花



















左:石舞台へ下る

右:坂田寺
跡で日影を求めて昼ごはん








坂田寺とは
鞍作氏の氏寺で、渡来人によって600年初期に建てられた最も古い尼寺としての伝えをもっています、発掘調査で西面する金堂と思われる建物、井戸や溝が見つかっているそうですが、私達にはどこにあるのか分かりませんでした。
尋ね尋ねて行き当てた寺蹟はただ万葉の歌碑が置かれているだけの静かな草っ原でしたが、かなり広い敷地に立てば、どんな気持ちで女性を捨てて出家し、どのような仏典を読んでいたのか…1500年も前の世界を想像するとき、今に連綿と続く仏教の深い意味合いが青い天空の広がりのように心にしみてくるのでした。


石 舞 台 古 墳
この古墳跡は横穴式石室を持つ方形墳で築造は7世紀初め頃、古墳上部の封土はなくなり天井を覆っている巨大な規模からみて蘇我馬子のお墓ではないかといわれています、石の重さは北側が77トン南側が64トン総重量は大小30数個・約2300トンという巨大さです、私が高校時代にはこの石舞台の上に立って古代人になったような感動を覚えたものでしたが、現在は入場料は取られるし登ったりできません。




















   左:玄室入口
   右:石舞台古墳(前方)と現代っ子たち


古い暦史のことは知らなくても、青空の下で夢中に遊ぶ子等を見ていると、いかに子供らには遊び空間が必要かと思いました。
また、この空間へつれて来る親の心がけが、子等を健全に育て上げるのでしょう。
万葉の時代の大らかな大和民族は、いまも私達の心がけ次第で継承されてゆくのですね。

   

川 原 寺 跡

飛鳥四大寺(大官大寺・薬師寺・飛鳥寺)の一つとして、斉明天皇の川原宮を寺に改めたのが起こりで、いまその規模がわかるよう礎石が整備されていますが、北と西に2つの金堂をもついわゆる1塔2金堂の伽藍配置。現在の弘福寺(現・真言宗のお寺)が中金堂の跡で、その礎石に瑪瑙(めのう)を使ったことで知られています。朝廷の加護のもとに隆盛をきわめた川原寺も、平安時代に入ってからは次第に衰退、ひっそりと立つ小さな弘福寺がわずかにそのあとを伝えています。






















               川原寺跡:左奥のお寺が中金堂跡に立つ弘福寺 



















一塔二金堂の伽藍配置跡


犬養万葉記念館

万葉集というと犬養孝先生を思い出す人が多いことでしょう、万葉集とその風土に一生を捧げられた方でした。私達は仏教の来た道を歩く道すがら、その風土を味あうことによって一層親しみを覚えることを知っています。
ここでは下に示すように「記念館」のホームページより先生の略歴と独特な「犬養節」での万葉歌の独唱をお楽しみ下さい。「犬養節」朗唱をクリックしていただくと先生の歌をお聞きいただけます。

 

犬養孝(いぬかい たかし)略歴
1907年 東京都に生まれる
1932年 東京大学文学部卒業
1962年 文学博士
1970年 大阪大学名誉教授
1979年 宮中歌会初め召人、昭和天皇に自詠歌を献進
昭和天皇奈良飛鳥行幸の折り、明日香村御案内
甘橿丘にて御進講
1981年 甲南女子大学名誉教授
1986年 明日香村名誉村民
1987年 文化功労者
1998年 逝去

 万葉集を生きた歌集として、その歌の詠まれたゆかりの現地(万葉故地)に立ち、研究を続けて「万葉風土学」を確立した。生涯を通じて、万葉集の研究・普及に尽力し、その教えを受けた犬養万葉愛好家は学生だけでなく、広く万葉を愛する一般人にも広がり多くのファンがいる。教え子の作曲家(故)黛俊郎の番組「題名のない音楽会」にも出演、「犬養節」を全国に響きわたらせた。
 晩年は、万葉故地が土地開発の波にのみこまれる事に抗議し、国会や議員に重要性を訴え、また多くの応援者たちと自身の揮毫を附した「万葉歌碑」を建立し続け故地を守る活動に奔走。その効果もあり、開発計画は変更された例が多くある。犬養孝揮毫の万葉歌碑は現在全国に130余基を数える。

万葉歌碑と「犬養節」


明日香・甘橿丘の歌碑


「犬養節」朗唱

志貴皇子の御歌
(万葉仮名・巻1-51)

■ 読み下し
 釆女の 袖吹きかへす 明日香風
 都を遠み いたづらに吹く

  うねめの そでふきかへす あすかかぜ
  みやこをとほみ いたづらにふく

■ 歌意
 釆女の袖を吹き返した明日香風は
 都が藤原へと遠くなったので、
 ただむなしく吹いている

犬養万葉記念館入口                                内部の様子 
 
















先生の書























     道すがら見つけた美しいアメリカ花水木(別名:アメリカ山法師)の花々でした
   



国立飛鳥資料館
最後にやってきたのは「日本書紀」の数々の舞台となった飛鳥を象徴する飛鳥資料館でした、然し長道を急いで来たにもかかわらず、入場はぎりぎりの4時ちょうど閉館は4時半ですから、全てをご紹介することはできません。
特に今は奈良文化財研究所の春期特別展「飛鳥の奥津城−キトラ・カラト・マルコ・高松塚−」が開かれ高松塚出土品 キトラ古墳出土品 牽牛子塚古墳出土品 マルコ山古墳出土品 束明神古墳出土品などを一堂に見られるのですから、時間のなかったことは次回も飛鳥に向かわせるかもしれません。
とりあえず、少しですがご紹介しておきましょう。





















     左:閉館間際の資料館に入る
     右:ここにも美しい天女が…



飛鳥時代の仏像

西暦4世紀初期の仏教伝来から7世紀中期までを飛鳥時代というそうですが、飛鳥寺の飛鳥佛(鞍作止利が作る)・法隆寺金堂の釈迦三尊(623年同じく)・夢殿の救世観音などを止利式仏像と呼び、中国北魏の系統をもって、正面を向き、杏仁形の目、仰月形の唇、左右相称の衣のひだ等に特徴があるそうです。
止利式以外の仏像には法隆寺の百済観音や京都広隆寺の菩薩半伽像が飛鳥を代表する仏像といわれています。


そしてフィナーレは?
今回も終着駅は「橿原神宮前」駅でした、そして私達は恒例の反省会(???)を開き、反省することなしの結果となりました。
好天に恵まれつつ険しい道を下って明日香の数々の遺跡にたたずむとき、仏教がこの地によって育まれてきたことに納得できる大らかな明日香村でした。



















第3回ブッダ・ウォーキングは5月28日(土)に明日香村に行きます、飛鳥は次回でお別れとなります。

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