第15回ブッダ・ウォーキングレポート


近江・湖南三山


これまでに五回にわたって琵琶湖の周りを訪ね歩いてきました、今回が近江路シリーズとしての最終回です。

湖南三山とはJR東海道線の草津駅から東へと向かう草津線の沿線にある寺々をさしますが、いずれも飛鳥〜奈良時代に創建され、多くは織田信長によって焼失しましたが再建された建物などは国宝に指定されるなど、日本の古代仏教の広がりの早さ深さを識ることができます。

おりしも紅葉のまっただなか、私たちは北へ南へと忙しく移動しながら晩秋の近江路を楽しんできました、特に関東からもご参加いただき京都で楽しい一夕をもつことができました。

善 水 寺
710年前後中大兄皇子(天智天皇の娘)元明天皇の勅命により良弁大僧都(689〜774年・華厳宗の僧で東大寺開山)が開創、和銅寺と称していました。
のちに平安初期(790年代)桓武天皇の病気平癒の祈祷を最澄がなし、この寺の清水を献上したところ回復したことから「善水寺」の寺号を貰ったと伝えられています。
国宝の本堂は1366年再建され、入り母屋造りの檜皮葺き(ひわだぶき)屋根の曲線が優美です、本堂内には993年藤原時代の本尊・薬師如来、天平時代の金銅釈迦誕生仏(いずれも重文)をはじめ天平〜室町時代の多くの仏像などが安置されています。


善水寺本堂

鋭角の檜皮葺きの屋根


鐘楼より境内


常 楽 寺
708年元明天皇により紫香楽宮の鬼門に良弁が開基、紫香楽宮の西寺と呼ばれ、奈良時代にはこの一帯に「阿星山五千坊」といわれる一大仏教ゾーンがあったと推定されているそうです。
平安後期より天台宗の末寺になったそうですが、国宝の本堂・三重塔をはじめ平安時代の釈迦如来坐像など重文多数があり、ちょうどこの11月28日は国指定の重要美術品である「絹本着色釈迦如来および四天王像」が公開されていました。

山 門                           
元々の山門は秀吉により伏見城へ更に毛利輝元により
園城寺の大門となりました                              ちょっと可愛い仁王さんと七難即滅を願う大わらじ
































国宝の本堂と三重塔、手前の石灯籠(重文)は室町時代1406年



       他では見られないと思う複雑な木組み                  近江西国観音石仏の満願・第三十三番   
































湖南三山唯一の美しい三重塔


常楽寺さんは境内も広く大変楽しめるお寺になっています、参道に散るもみじは両側に掃き清められて、その清々しさは心まで清められそうです、ここの若住職(?)さんは毎週境内のデジカメ写真を更新して私たちに案内してくださいます、お話すれば大変に闊達な方で時間を忘れてしまいます。常楽寺さんのホームページをお気に入りに置いてお楽しみ下さい。                       


長 寿 寺


奈良時代740年前後に聖武天皇に世継ぎがなく、良弁僧正が祈願したところまもなく皇女が誕生したので、七堂伽藍・二十四坊の立派な寺を建て、行基さんに子安地蔵を刻ませ、皇女の長寿を願って寺号を長寿寺としたそうです。

この寺には住職・僧侶がいないので村の人たちが、ボランティアでお寺を守っています、拝観するには前もって連絡をしなければなりませんが、私たちは湖南三山共通の公開時期に行きましたので、村の方々大勢に大変親切にしていただきました。

国宝の本堂は鎌倉期の再建ですが、創建当時の形を保っているように思える大変荘重なものでした。常楽寺が西寺と呼ばれるのに対し1.5Kmほど離れたこちらは東寺と呼ばれ、元は三重塔もありましたが、織田信長が安土の地へ移築したそうです。

国宝の本堂内にある秘仏の本尊・子安地蔵尊(50年に一度ご開帳、2年前に公開されました)を入れる大きな春日厨子も国宝で荘厳なものでした、その他重文の阿弥陀如来坐像・釈迦如来坐像、そして高台に建てられたお堂には重文の丈六阿弥陀如来坐像が、木造の仏像としては日本最大を誇り、いずれも藤原時代の仏像で、戦火をくぐり大事に保管されてきたこの地の人々の心が伝わってきます。

山 門



              参道の紅葉                                      本 堂































                                                      
→                                   丈六阿弥陀堂
長寿寺のある村の旦那寺はすぐ隣にある十王寺という天台宗
のお寺で、この日はそのお寺の奥さん(坊守)が、阿弥陀如来
坐像の説明をユーモラスにしておられました。
丈六とはこの阿弥陀さんが立たれたときに1丈6尺(5.28m)
あるということらしいです。


三重塔跡の地下30cmのところから1956年に、口径約13cmの
素焼きの壷が見され、その蓋が菊花双鶴文様であることから、
この塔が室町時代(1450年前後)に建立されたことがわかり
ました。



                三重塔跡













   



  

同じ境内にある白山神社拝殿(重文)かって日本の神々は仏教の守護神でした



かくして近江のブッダ・ウォーキングを終わります。
12月の会でもってB.W.は一応の終了となります、京都・東寺での空海の活動をしのぶことは残っていますが市中にあって
ウォーキングの対象になりませんし、古代の仏教を訪ねる旅はますます遠方へ出かけなければならず、日帰りのウォーキングでは不可能ですから、これからの日本仏教を訪ねる旅は車・宿泊して、私の時間の許すときに出かけることになるでしょう。

このシリーズは時代順・地域別に整理して一枚のCDに仕上げる作業もこれから始めます、どんなかたちであれウォーキングで日本の農村部分を歩くことは楽しいことです、ご希望もありますので古い伝統を持つ日本文化を訪ねる旅としてこれからも続けたいと思っています。

近江路を歩くことによって日本文化の原点はシルクロード・中国につながる朝鮮半島からもたらされ、その渡来人によって育まれてきたということです、そしてその根底をなすものは仏教そのものです。

しかしながら天皇家とそれを取り巻く貴族たちの血塗られた数々の歴史、織田信長・豊臣秀吉らによる伝統文化の焼失、近代では明治政府による廃仏・廃城、現代では文化庁による高松塚古墳の損壊など、日本人の伝統文化に対する意識の低さは恥じるべきことで、ドイツ一州にも満たない国家の文化予算はそれを証明しており、これは政府を責めるだけではすまない国民性といえるでしょう。

そんな苦難の歴史にあって大和につながる近江の人々は湖北・湖南地方が示すように、今も文化財を自分たちの誇りとして大事に守り続けておられます、商業主義に落ちている京都の社寺のお粗末さに比べて、深く心打たれるところでした。


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