特別番外編 2020/10 北陸路の縄文遺跡を訪ねる


旅心に誘われるままに、新潟〜富山〜石川〜福井県の縄文時代を訪ねてみました、もともと無計画だったもので一県一日の行程では無理があり、

石川県は大方の遺跡が再訪しなければならないことになりました、これは行きの飛行機が大幅に遅れたことに始まるものですが、縄文人は気候の

温暖化につれて豊かに暮らしていたことがわかって、思い出多い旅になりました。


新潟県

この県には2014年6月「火炎土器のふるさと」を訪ね、十日町市博物館・笹山遺跡・長岡市立科学(愽)・新潟県立歴史(愽)・馬高縄文館などをつぶさに回っていますので、未だに写真は残っていても記憶にない新潟県埋蔵文化財センターと糸魚川の長者ヶ原遺跡へ行く予定でしたが、飛行機の遅れで糸魚川は夜になってしまい、埋蔵文化財センター(埋文)だけの訪問となりました。でも興味のある方は上記「火炎土器のふるさと」をご覧いただければ、その優れた芸術性をお楽しみいただけると思います。


新潟県埋蔵文化財センター








漆塗り技術は9000年前から日本で生まれた世界最古の技術です
 
赤漆塗り糸玉はその配置や結び目の数によって意思を伝える
手段であった「結縄」とも考えられています


新潟県埋蔵文化財センター
:ここの展示館は全国的に見ても素晴らしいところです、
展示品一点一点に誰もが持ち帰れる説明書(各一ページ )が付けられ、
照明も工夫されていました。市内から少し離れていますが是非行かれることをお勧めします

 

糸魚川へ流れる姫川流域で獲れた翡翠が当時の随一の宝石でした

ヒスイ(翡翠):糸魚川市は大断層・糸魚川―静岡構造線が南北に走って地質的に多様な構造を示しています。様々な岩石や断崖絶壁の親不知、小滝川ヒスイ峡、山岳地帯からヒスイが流れ出る青海海岸などの貴重な地形が「地質の宝庫」と評価され、一帯がユネスコから「世界ジオパーク」に認定されました(2000年)。
ヒスイは約5億2000万年前世界最古ににできており、現在では宝石扱いされていますが美しいだけでなく、非常に硬く割れにくいために日本では石を加工する道具として使い始めました。糸魚川市大角地(おがくち)遺跡は縄文前期(6500〜7000年前)の遺跡で、豊富な石材環境のもと大量の石斧が生産され、流通させていたと推定されています。



日常に使われた縄文土器の豊かな 装飾は当時の文化的な暮らしの高さを語ってくれます



ベンガラと漆製品の数々


富山県

富山県は持ち家率日本一と言われる豊かな地であり、南は屏風のように剣岳・立山連峰・薬師岳、北は富山湾、西は能登半島、大きな河川が黒部川・神通川をはじめ五本も注いでいます。
この地には飛鳥・奈良時代までに限っても国の指定史跡が10カ所、県指定が13カ所もあり、どこから訪ねたものやら迷ってしまいます。まずは埋文から行ってみましょう


富山県埋蔵文化財センター

ここでは上記した各史跡の詳細な展示とパンフレットが豊富に用意され、ここだけの訪問でも事足りるように覚える素晴らしい埋文であり、現在は「BONE 貝塚で知る生命の証」特別展で小竹人の特集を開催中でした。ここで見つかった91体の人骨は縄文前期(7000〜5500年前)では全国最多の出土です。



おびただしい小竹貝塚の貝殻のはぎとり展示



この地は富山地鉄(あいの風とやま鉄道)の呉羽駅の北側で、現在では海岸から6㎞も離れていますが当時は縄文海進でこのあたりが海岸でした、
海水面が4〜5mも高かった温暖化のすさまじさがわかりますね



当時の座布団でしょうか



女性向けの製品でしょうか、男性も長髪でしたね

抜 歯:小竹人だけの風習ではなく縄文人特有の風習に抜歯があります、これは健康な犬歯、第一小臼歯、側切歯を抜くもので、成人や婚姻ののときに行われたという説があり、小竹貝塚では左右同じ歯が抜いた成人の骨が複数出ているとのことですが、基本的に男性に限られ、15才〜18才に抜歯しているそうです。何故に抜歯したかということをいろんな文献で調べましたが、その必然性は判らずじまいでした。この風習は渡来系の弥生人にも見られ、古代中国での抜歯が伝わり縄文後期・弥生時代に習慣化したもののようです。

この抜歯の風習は古代の中国・台湾・アジア・オーストラリア・アフリカで見られ、現代も一部地域で残っているようです、抜歯は生きた歯を抜くのですから、大変な力と技と道具が要ったでしょうし、その痛さをどうしてこらえていたのか、何か麻酔の方法があったのかもしれません、でも抜歯後は物を食いちぎったり噛んだりするのに不便であったと思いますね。

 北代遺跡


縄文中期後葉(約4000年前)を中心に営まれた大集落跡、これまで竪穴住居跡が78棟、高床建物跡が4棟確認されました。こでは旧石器時代から平安時代までの出土品があり、北陸地方を代表する集落跡になっています。前記呉羽駅より東へ進んだところに北代縄文広場として縄文館とともにあります。



北代集落の復元



ほのぼのとしてきます

高床建物と北代縄文館


桜町遺跡

富山県の西端、小矢部市にある桜町遺跡は8000年前の縄文早期〜3000年前の晩期にわたる土器類が出土しています。特に晩期三叉文と呼ばれる三角形や三つ又型の文様が多く、東北地方の亀ヶ岡文化の影響を受けているとのことです。
そして巨大な栗の木を半割にして円形に並べた遺構は「環状木柱列」と呼ばれ、富山と石川県に見つかっていますから北陸地方独特のものとされています。土偶もまた多く出土していますがほとんど土偶特有の造れば割ってしまう習慣で、東北地方のような完全品の出土はないようです。



木柱の土中の柱根などの木製品、石器、土偶のカケラなど楽しい展示室でした



環状木柱列:根っこが土中に残っていただけで上部構造がどうなっていたのかはわかりません



「水さらし場」とは水を汲んだり木の実を水にさらしておく場所で縄文中期末(約4000年前)の遺構を参考に復元してありました



桜町石斧の会のさくら丸は2006年4月にヒスイを求めて小矢部から糸魚川まで手作りの丸木舟で3日間110Kmを漕破しました、
樹齢180年の杉材を約200人の老若男女のボランティアの手になる石斧で丸木舟はできています、縄文時代の交易を立証しました


石川県

真脇遺跡


この遺跡は能登半島の北・先端に近い能登町にあり有名な宇出津(うしづ)の火祭りがあります。私の若い頃はサケマス船団の乗組員が多く住んだ能登町小木へ、真冬で帰郷していた船団員を訪ねて遠心分離機の宣伝と販売に、道路に打ち寄せる日本海の荒波をかぶりながら、海岸沿いを走ったものでしたが、現在は小矢部からそのほとんどを山中で走る能越自動車道で2時間かけて行くことになります。

なぜこんな辺鄙な遺跡を訪ねたかというと、縄文前期初冬(約6000年前)から晩期終末(約2300年前)までの4000年間も長期にわたる定住生活をつづけた遺跡で、縄文文化の数々の製品が大量に出土し、219点が国の重要文化財に指定されています、ということでこんな僻地に繁栄をつづけた人々の息吹を感じるために出かけました、長駆して行ったおかげで十分な結果を得られました。この結果石川県では更に訪ねたいところもたくさんあったのですが、行けずじまいで再訪の呼び声が聞こえてくるようです。





真脇縄文館



展示室内



真脇式土器:縄文前期・愛称「お魚土器」、先端が魚の口にそして目がありますね

 
愛称「鳥さん土器」・ 縄文中期



土偶類  上記のいづれも重要文化財



重文・彫刻柱:縄文前期・2.52m0.45径 祭具として湿地帯に立てられたようです



イルカの骨々:ここではイルカが盛んに食べられたようです



環状木柱列:ここでは6回建て替えられたそうです、放射性炭素年代測定法によりこれは約2800年前、左側に門扇の遺構が見られます



ここから右奥に集落があったそうです


福井県


とうとう福井までたどり着きました、福井県には2008年10月から2018年6月までコダイ・ウォーキングで都合4回訪れています、2018年は三方五湖南岸の鳥浜縄文遺跡と若狭三方縄文博物館へ縄文時代に絞って行きました。
当県には著名な遺跡は鳥浜遺跡だけと思われますが、これはまだ発見されていない遺跡が多くあるのではないかと思っています。この遺跡には縄文草創期から前期(12000年〜5000年前)の貝塚があり、日本最古の2隻の丸木舟・最古のウルシの木片が水浸かりの状態で保存よく出土して、重要な遺跡として知られていますから、興味深い地域ではあります。 (福井県での撮影はすべてiPhone7です、他はすべてNIKON D700)

福井市文化財保護センター


楽しく古代に触れることができます



右から左へと時代が流れてゆきます、右の方は須恵器(古墳時代・3〜7世紀)



縄文時代より続く日本の土器づくり



土 偶 : この地の土偶は何故か目が鼻より下についていました


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