第143回 3月 コダイ・ウォーキングレポート


京都・嵐山附近の名所を巡る


月は京都方面に行くことになりました、というのもコロナウイルスのおかげで観光客が激減し、これまで行こうにも行けなかった京都に行きたいとのKさんのご希望によってプランニングしました。お気の毒なことにイイダシッペのKさんは奥さんが圧迫骨折で動けなくなり、欠席されました。
正に嵐山付近では、桜が満開いまだ一枚も散らない状態でそれは素晴らしい光景でした、京都の寺々のそのたたずまいだけ見れば素晴らしいものですが、ここは「きょうのみやこ」、天皇の権力の絶大だった時代に桂川や鴨川に行き倒れになった民衆の死骸が累々としていたことを思うと、複雑な気持ちにならざるを得ませんでした。私が京都を好きになれないのは、あまりにも人工的な造作、計算されつくされた花々が、なぜか失望感を与えるからです。
ともあれ、びっくりしたのはコロナ禍でひっそりしている嵐山を想像してきてみれば、渡月橋には(制限こそされていなかったものの)ひきもきらぬ人の波、そしてマスクをしている人なんて5%くらいのもでしょうか、コロナに戦々恐々としている人にお見せしたいありさまでした。
(本日のカメラはRIkoh GXRです)


大覚寺

真言宗大覚寺派の本山、平安初期に嵯峨天皇が成婚を期に離宮を建てたのが始まりで、嵯峨御所とも呼ばれています。この離宮が大覚寺となったのは皇孫が開創した876年「般若心経」写本の根本道場であり、代々皇統が継いだ門跡寺院ゆえ「嵯峨御流」として生け花の発祥の地と言われますが、これは少し史実とは異なります。それは次の文章を読んでいただければいいかと思います。

「華道家元「池坊」は日本で最も古く、最大の会員数を誇る華道の家元です。京都市中京区にある紫雲山長法寺、通称「六角堂」の住職が家元を兼ねています。
なぜ、六角堂の住職が華道の家元をしているのか?ここに小野妹子と池坊との繋がりがありました。587年、四天王寺を建設する木材を集るため六角堂近くにいた聖徳太子は霊夢を見て六角堂を建立し、そこに如意輪観音像を安置しました。
六角堂の北側には聖徳太子が沐浴したという池がありました。その池のほとりに僧達が寝泊まりする宿舎があったことから、六角堂の住職は「池坊」と呼ばれるようになったそうです。
小野妹子はこの六角堂の初代住職として朝夕、仏前に花を供え始めたことがのちの華道の始まりとされています。その後、歴代住職である「池坊」は仏前への花の添え方を工夫し続け、華道「池坊」が現在に至っているということです。」 
(Wikipediaによる)















玄関門と式台玄関



正寝殿な



諸堂を結ぶ「村雨の廊下」 床は鶯張り
















左:勅使門と左近の梅 右:嵯峨御流生け花


清凉寺(嵯峨釈迦堂)


987年東大寺・三論宗の僧「奝然(ちょうねん)」上人は平安末期983年中国にわたって五台山を巡拝し、宋の都・汴京(べんけい・現在の開封)の啓聖禅院に安置されていた、釈迦37才のお姿をそのまま彫り込んだ「釈迦栴檀瑞像」を拝して、許されてこの像を模刻し987年持ち帰り、本尊として清凉寺を開基しました。この像は国宝で4・5月と10・11月以外は閉扉していますので拝見できなくて残念でした。



頭でっかちの清凉寺仁王門




釈迦堂



釈迦堂より仁王門を見る


二尊院


嵯峨天皇の勅願により第三代天台座主「円仁」が834〜848年に建立しました。鎌倉初期には法然上人がここに住んで法を説き、1100年代には九条兼実をはじめ信望厚く、応仁の乱で諸堂が全焼しましたが、1400年代に本堂・唐門が再建されました。本尊は二尊の名のごとく釈迦と阿弥陀如来立像(いずれも重要文化財)で、その境内の広さは驚くばかりです。



総 門



小倉山の麓に広がる二尊院参道


慈覚大師「円仁」とは:794年下野国(栃木県】に豪族の子として生れ864年歿、8才より修行に入寺し15才で比叡山延暦寺に上り、天台宗の確立に苦労していた最澄に師事、21才で得度(出家)して23才より師とともに全国行脚、42才で中国五台山巡礼など唐末の苦難を耐えて9.6年間留学して帰国。

「南無阿弥陀仏」と念仏行するだけで極楽に往生できることを説いて、奈良の南都六宗の学問仏教から仏教を大衆に拡げる基点に至りました。

以後61才で第三代天台座主として、山形の立石寺、松島の瑞巌寺を開き、慈覚大師が開山・中興したと伝わる寺は、関東209寺、東北に331余寺あり、平泉中尊寺や浅草の浅草寺もその一つです。(一部分はウイキペディアより)

この留学の間に書いていたのが「入唐求法巡礼記」であり、当時の唐の有様がわかる書として、エドウイン・ライシャワー博士が絶賛、1984年に「円仁中国への旅(入唐求法巡歴記)の研究」が出版され、分かりやすい訳とともに今なお読み継がれています。(講談社学術文庫)

外国人排斥の苦難を新羅人に助けられながら、何とか難を逃れるところは正に手に汗を握るところであり、天台仏教を極めんとする高い意志に心を打たれます。


なお、円仁の孫弟子・恵心僧都源信が「往生要集」のなかで地獄と極楽に往生する法を説き、宇治の平等院鳳凰堂に代表される平安貴族をはじめ庶民に至るまで「浄土教」の説く極楽思想が広く人々に受け入れられ、その後法然親鸞が世に出て、日本仏教の進む方向が定まったといえるでしょう。

日本仏教の原点を識りたい方は第14回2006年10月比叡山延暦寺  第11回2006年5月空海の世界をご覧ください。


ちょっと一休み:静かな京都のたたずまい















サギのいる風景  京らしいお土産店

今日は小学2年生になる男の子も一緒でした、元気のよい子で片時もじっとしておれず追っかけるお母さんの大変なこと、でも学校が休校以来家に閉じこもって大きなスマホでゲームばっかりしているので、今日は思い切り外で遊ばせてやろうとのご両親の心映え。でもしつけよく本堂に上がれば声一つたてずに、何を拝んだかと聞くと「なんにも」との可愛い返事。でもいよいよ電車の駅で別れるとき、何度も抱き着いてきて「ありがとう!」と言ってくれたのには、コロナ禍の世相の中で、明るい未来を信じられる一幕でした。
















竹林の道  元気いっぱいの皆さんも約11Km15000歩に一休み


天龍寺


1345年足利尊氏開基、臨済宗臨済寺派本山、前庭と方丈の裏庭が国の特別名勝です。このお寺だけは人が一杯、渡月橋を渡った人たちはトロッコ列車などでもっと上流まで行き、保津川下りを楽しんだりして、天龍寺で終わることになるのでしょう。若いお二人さんがどちらも和服姿が多いのがいかにも京都らしい風景、コロナなんてどっかよその国の出来事みたいな立ちい振る舞いにこっちも元気をもらいました。北門から入るといきなり度肝を抜かれるのは、花々の満開の咲き具合、四季とりどりの花々が迎えてくれました。






















今日咲いてる花の案内図  ひときわ高い参拝入り口(庫裏)




シャクナゲ  ツツジ


















しだれ桜は京都のシンボル






曹源池


これで嵐山附近の名所めぐりを終わります、他にも落柿舎とかもろもろの寺社がありますが、時間的・体力的にこのくらいが限界でしょう。歩くスピードを往年の半分くらいにしなければ、仕方ない年齢になってきました。今年の12月頃に第150回ウォーキングを迎えます、特別番外編を合わせると180回くらい。
さてコロナはどうなるのでしょうか、東京では爆発しそうだとか、オリンピック騒動で手当てが遅れたのでしょうか。私たちの4月は桜を追いかけて日本海側へ行く予定ですが、予定は未定としか言いようがありません。
ま、毎日のうがいと手洗い、そして人込みでのマスクのことも忘れないようにお願いしますBye


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