北海道・東北 縄文時代への旅


6月3日~25日・2000Kmのバイク・ツーリング

: 東北編


北海道編に続いて東北編を編集しました、この中には宮城県が入っていません、計画では入っていたものの私自身のトラブルで行けなくなり、岩手県も以前に御所野遺跡を訪れただけですが、いずれも太平洋側であり今回は日本海沿いを主に回りましたので、後日を期すことにしました。
青森県はこれまで4回も訪れてほとんどの遺跡を周っていますので、弘前市以外は全部通過してしまいました。ちょっと寂しい東北の旅ですが私の身体と相談の上のことですからご辛抱願います。


2000Kmの軌跡 (青森県以降)

12日(水):津軽海峡フェリー内で30枚のはがきを書く、と言っても船(ブルードルフィン2)のスタンプを押しただけ、でも3時間半の航海が瞬く間にすぎる。夜は青森で行きつけの「たか久」で夕食、いつもなら青森の銘酒を飲んでいたところだが、今回はノンアルビ-ル。

13日(木):新装なった「青森県立郷土館」へ行く、展示も館内の内装も一新され、旧知の主査に色々お話を伺う。弘前市では日本最北の五重塔のある「最勝院」へ行く。そのまま弘前の宿をキャンセルして北秋田市の鷹ノ巣まで走る。

14日(金)「伊勢堂岱遺跡と縄文館」、そして能代市の「杉沢台遺跡」には振り回される、農家の人に聞けば台風で看板もみんな飛んでしまったとのこと、一本の棒杭が遺跡であることを教えてくれる。ここから走りに走って8時間やっと秋田市内に入る。娘が予約してくれたところは何と畳の部屋!立ち上がろうにも立てない。だが、おじいちゃんおじいちゃんと呼んでくれて、なんともキャンセルしづらい。

15日(土):追分に逆戻りするためJRで能代市の「秋田県立博物館」へ行った。駅で三つ目14分、カブだと90分くらいか。いずこも同じ茶色の建物に展示方法もどこでも同じに思える。明日は港へ行き乗せてくれるならいったん帰神して傷を治して出直そうと決めたが、乗れないときのことも考えておいた。

16日(日):港へ行くと海が大荒れ、今日は乗船させられないとのことで、結局我慢して新潟まで走ることになった。ところが途中から初の暴風雨になり、停まるに停まれず、結局180Kmも走り続けて、山形県の天童市まで来てしまう。新潟港発は次の日曜日までないから、ペースを落とさなければならない。

17日(月):行基さんが開かれたという奈良時代の古刹で広大な境内を持つ「慈恩寺」と三つの古墳が復元されている「高瀬山古墳」でしばし古代を瞑想。

18日(火):高畠町のJR高畠駅は市街地から随分と離れたところにあるが、そのユニークな建物には温泉館とホテル・フォルクローロが混在している。「風土記の丘・うきたむ考古資料館」は県立だが「写真は撮るな」とか兎角役人風をふかして時代錯誤も甚だしく不愉快なところ、それに比べてちょっと東に建てられた「高畠町立郷土資料館」は懇切丁寧、風土記の丘自体はいい公園だが、考古資料館には入らないほうがいい、展示品は似たようなものだから。

19日(水)
:福島市内に入る、「宮畑遺跡」は福島市立史跡遺跡公園として素晴らしい景観を持っている。ここの「じょ―とぴあ宮畑・資料館」ではT主査に複式炉などの解説を丁寧にしていただいた。その後「和台遺跡」へ郵便局員のNさんの案内によって行ったが、ま、昔をしのぶだけの場所だった。

20日(木):猪苗代湖のほとりで半分隠れた磐梯山を眺めながら昼食、今回の旅で山が頂上まで見えたのはここが初めて、だがすぐに隠れてしまう。猪苗代のリゾート地の古い建物に入って、2泊することにした。

21日(金):温泉に入り、持ってきた食糧で賄っているが、粗食であるから今夜だけはホテルのレストランで食べる。

22日(土):会津若松市・「福島県立博物館」へ立ち寄る、大雨が降ったり晴れたりややこしい天気に困ってしまう。谷筋に雪を一杯残した多分飯豊山だとカメラを出そうとすると早やおじゃん。トンネルを二つこえると延々と新潟市へ向けて走り続け、「新潟県立埋文」のことを忘れてしまって思い出してバックしたらしいが、この辺の記憶は薄れていてカメラだけが記録している.。駅前の安宿に入って、ほっと一息今回の旅の終わりを感じる。

23日(日):佐渡島をまじかに見ながら船は一路敦賀へと進む。この「ライラック」号のレストランの味は素晴らしい。

24日(月):早朝5時半に入港、また小浜経由で山小屋に向かう、夕方岩風呂に入って体を休めれば、はるか走ったものだと思える。

25日(火):ゆっくり支度をして京都付近で162号から171号へ入り、西宮より自宅へ15:30着、ちょうど2000Kmの旅だった


青森県立郷土館


2年間の改修を終えて、内外ともに新しくなり、展示方法も大きく変わって素晴らしい博物館に変わっていました。ここでは目新しい展示品のみUpします。




















仮面をつけた中空土偶(縄文後期後葉・2700~2300年前・鰺ヶ沢町建石出土)


見違えるような郷土館

  

 

 
弘前市・最勝院

1667年に10年を要して建てられた日本最北の重要文化財の五重塔があります、広大な境内には本堂、仁王門、如意輪観音堂、五智如来堂、護摩堂、聖徳太子堂、薬師堂、庚申堂、鐘楼などが配置され、津軽藩の寺社を統括する寺院でした、真言宗智山派。
 



最勝院五重塔(重文)

 













仁王門と250年のエドヒガン



北国に生きる桜


北秋田市・伊勢堂岱(たい)遺跡


縄文後期(約4000年前)、四つのストーンサークル、掘立て柱建物跡、日時計型組石など、そして200体もの土偶が出土しています、土偶の工房があったのでしょうか。ここのユニークなことは土偶の人気投票をやっていたことです。


大湯や大平に似ている環状列石群  

北海道と北東北が世界文化遺産に登録を希望していますがこのように在りし日のままに、保存されているのは重要なことで、埋め戻された遺跡には何の価値もありません、そこのところをどう対処していくかで世界遺産としての価値があるといえるでしょう


伊勢堂岱縄文館



伊勢堂岱縄文館とわたしの愛車

岱とは:中國・山東省泰安市のある山、泰山のことで、天子が天地の神をまつったところ(「みんなの名前辞典」より)、 伊勢堂岱の名前のつけ方は、結局良くわかりませんでした。

 

様々な文様の土器



動物型土製品


土偶の数々(1ケースを4方から写しました)




 



二ツ井・風の館


青森の郷土館のさんに教えてもらった北秋田市から能代市に向かう途中にできた二ツ井の道の駅を兼ねた「風の館」に昼食を兼ねて立ち寄りました。



1万年以上前から人が住み着いていたところ



近くの麻生遺跡出土の土面(重要文化財)、左目はありませんでした(縄文中期・約4000年前)















      風の館と二ツ井道の駅



 杉沢台遺跡・秋田県能代市


今日は杉沢台遺跡に振り回された、やっと見つけて近くでキャベツを作っていた人に聞くと、台風で看板がみんな飛んでしまったとのこと、まあ、いくら作り替えたとしても、遺跡は草ぼうぼう、日本最大のの大型住居跡(小判型、長径31m、222㎡)、竪穴住居44棟、フラスコ状土坑(貯蔵庫)109基、などなど、まったく埋め戻されて見捨てられている。これはここの行政の考え方だろうがちょっと惜しい気がする。



この標識以外何もなーい



楕円形に木が植えてあるところが縄文最大の住居跡なんでしょう


秋田県立博物館


JRで後戻りして追分の県立博物館へ行った。金足という地名は去年の夏、甲子園を沸かせてくれた金足農業高校があり、その前を通って随分歩くと博物館に着く、高校では土曜日だったが野球部員が練習を終えたところだった。
立派な県立小泉潟公園の中に、どこの県も同じような茶色の建物の中に、展示の方法も何か一定の規則があるように個性がない。
それにつけて思いだすのは青森県・小牧野(環状列石)遺跡より
1.5Km離れた,閉校の小学校を改修して大きな博物館に負けない立派な展示館が造られ、身障者への配慮、子供たち向けの案内、英文解説、無反射ガラスの使用など、配慮が行き届いた「小牧野遺跡保護センター」は、全国的に調査してこられた竹中富之館長に負うところが大きく、子供たちの目線での博物館は、全国でも例の少ないもので、こういう個性あるミュージアムは一度行くと忘れられない存在として、またいつか行きたいなと思わせてくれるのです。



これまで私には秋田県は美人の多いところとの認識くらいしかありませんでしたが縄文を通じて近しい存在になりました



秋田県立博物館



素晴らしい展示品と見やすい展示方法



私たちは磨製石器を考えだした祖先の血を引いているのでしょうか



秋田県雄勝郡東成瀬村:上掵(かみはば)遺跡出土の世界最大級の磨製巨大石斧
(北海道日高山脈のみのアオトラ石製・縄文前期6~5000前・最大長さ60.2Cm)



本品は2009年大英博物館で開かれた土偶展に出品されました

 
縄文時代前期(5500年前)・秋田県最古の漆塗り製品



土面と土偶


6月16日(日)はいろんな決心をさせられる日で、まずは秋田港へ寄港する船が日曜ごとしかないので、乗れるなら乗って帰神し、傷を治して出直そうと港まで行くと、海が荒れて今日は車は乗せられないとのことで、やむなく新潟まで走ることになりました。
新潟港もまた日曜ごとにしか寄港しないので、次回は23日か30日になるので、新しい予定表を組みなおして、宮城県は行かないで、山形・福島・新潟県を周って、23日の船に間に合うようにしました。
決めてしまえば、他に手はないので、雨の降りだした中を山形県へ向かって走り出しました。途中から豪雨になり停まるに停まれない中を180Kmという今回最長距離を突っ走って、天童市までやってきました。これは国道13号線の多くが片道2車線の良い道路だったので、ろくすっぽ前が見えない雨中でも安心して走れた結果であり、着いた時には一時放心状態、怪我のことも忘れてしまう激走でした


高瀬山遺跡


ここは旧石器時代から室町時代まで続く複合遺跡。縄文時代には120m径の中に竪穴住居37棟大型住居12棟の環状集落がり、古墳時代終末期には方形周溝墓11基、円墳5基、奈良平安時代には竪穴住居528棟、掘立て柱建物245棟、大正時代の調査では十数基の古墳を確認、これらはその後の開墾により失われたが、その折に高瀬山古墳が発見され1980年より調査が始められました。



きれいに整備された高瀬山古墳


慈恩寺(山形県寒河江市)


寺伝によれば724年(奈良時代)に行基さんが全国行脚の折、この地に寺を建てたいと思い、聖武天皇はインド僧・菩提僊那に建立を託しました。元々は興福寺系の法相宗寺院でしたが、その後天台宗兼学となり、太平洋戦争後、慈恩宗として現在に至っています。



寒河江市は最上川の屈曲点にあり北山形から出るフルーツライン左沢線に「寒河江」駅があります



慈恩寺山門



大寺の経営も大変な時代、本堂右の看板は8月24日に「日野皓正クインテッド」を呼ぶと書いてありました
堂内の写真はありませんので見たい人はこのURLからどうぞ


日向洞窟(置賜郡高畠町)


この洞窟周辺に14の洞窟群(尼子洞窟群・観音岩洞窟群など)があります、5層からなり、第1層は縄文晩期の石器・土器、第2層は縄文早期から晩期、第4層は縄文草創期の遺物と旧石器から縄文文化への10000年にまたがる生活を知ることができます。



第1窟(?)以外は近づくこともできない藪と温室に埋もれていました



10000年も人が住んでいたとは



凝灰岩の下に洞窟があります



ブドウ園にて


うきたむ風土記の丘・高畠町立郷土資料館(うきたむとは置賜の古地名=日本書紀)

前に書いたようにここには県立の考古資料館もありますが、正式に申請した(そう書いてあったので)にもかかわらず、「写真はダメだなんだかんだ」と大声でいうのが筒抜けに聞こえ、今どきどえらい役人風をふかす奴がいるなとあきれ果てました。それで高畠町立の資料館に行くと、懇切丁寧な解説までしていただいて感謝感激。どっちも同じような展示品ですから県立に行って不愉快な思いをしないように、町立へ行かれることをお勧めします。



国道113号線沿い、うきたむ風土記の丘の東外れ、三重塔と阿久津八幡神社の右側にあります



今はもう見られない日向洞窟の全景



柄頭から刀身迄一体に造られ、柄頭が蕨に似ているところから名づけられました、奈良・平安時代作で北海道・東北~中部地方で出土しています


ここらでちょっと一休み

奥羽本線・山形新幹線の高畠」駅は役場の所在地から3Kmくらい離れたところにありますが、この駅が面白い。駅にはホテルと温泉が同居していて、浴衣がけの人が改札前を通ってお湯に行くなど、その発想がどこから生まれたのかと聞いてみると、みんなJR東日本の経営とのこと。そのユニークな建築からして、東北人の明るさというか、大変大好きな駅になりました。



手前よりホテル・駅舎・温泉が同居



奥羽本線も新幹線も1時間に一本の駅でした、改札のすぐ右が温泉入り口



何の像でしょう?  河童の河太郎一家です



ちゃんと高札で河太郎一家の由来が掲げてあります



高架橋ですね、町おこしの並々ならぬ努力ぶりがおかしみと好感を呼びます


宮畑遺跡(福島市岡田)


いよいよ福島県、一度も来たことのないところ。迷いながら走っていると偶然に標識があり、すばらしい景観の福島市立遺跡公園に着く。この遺跡は連続性はないけれど縄文中期(4500~4000年)、後期(4000~3000年)、晩期(3000~2500年)の遺跡で、中期は40の竪穴住宅、屋根に土をのせ複式炉を備えていたが半数の住居は焼痕があり、謎とされているらしい。後期には関東地方の特徴を持つ土器と住居の地表面に敷石を敷いた関東風がいくつかある、晩期には掘立て柱建物が円形に配置され、直径90Cmもの巨大柱穴跡がり、建物の外側に子供の墓の埋めたカメが多数ある。



宮畑遺跡史跡公園



土をかぶせた竪穴住居



石を敷き詰めた住居跡



掘立て柱建物群



捨て場あるいは送り場を残してあります、至れり尽くせりの施設ですね



これらの品物を4000年も前に使っていたことが昨日のように思えますね


じょーもぴあ宮畑(資料館)

 
































「しゃがむ土偶」重要文化財・上岡遺跡出土・縄文後期捨て場あるいは送り場で見つかった土器たち


複式炉とは:竪穴住居内に石を組んでしつらえる炉で火床の向こうに土器の甕を埋めて固定したもので、火床で出る灰をドングリなどのあく抜きに使うためにこの甕にため込んで置くようになっている(じょーもぴあ宮畑の主査兼文化財調査専門員の冨田さんよりお聞きしました)。


和台遺跡(福島市飯野町)


ここでは全国で類例がない人体文土器やそれまで出土例のなかった狩猟文土器が出土しました。縄文中期に最盛期を迎えた集落で、約230軒の竪穴住居、掘立て柱建物があった東北南部では最大級の環状集落だったが、200年後には集落が放棄される謎に包まれています。
なお現在は1ヵ所だけブルーシートがかぶせてあり、多分学生の夏休みに再開するのだろうと近在の人は言っておられた。



掘れば出てくる環境には行政も予算面などで困るでしょう



埋め戻されたのか手付かずか広大な和台遺跡

 
会津盤梯山・1819m 今度の旅で山頂まで見えた唯一のお山


福島県立博物館(会津若松市城東町)



10000年以上も同じ漁法を続けていたのですね



福島まで来ると弥生文化色が濃くなってきます


土偶はいつでも主役であり芸術ですね



いよいよかまどの出現、当時は米は蒸していたようですね(カマドは複製)


 
当時の製鉄の様子、左図は相馬における製鉄遺跡群

 

こうして弥生時代へ続いてゆきます、この辺になると関西の埴輪と変わりありません


 
日本三大提灯祭りの一つ、「二本松市の提灯祭り」毎年10月第一土日月
7台の太鼓台が引き回されるのは壮観な眺めでしょうね

 

 新潟県立埋文


私の記憶にはないのですが、カメラが記録しているので確かに行ったのでしょう。というのも新潟市へ向かう49号線から離れたところにあるので、素通りしたと思い込んでいました。数多くの訪問先の最後ですからカメラの写してくれた画像で最後を飾りましょう。



現代とは違う環境の新潟市でした

 

この地にも影響を与えた大和平野の戦乱は倭国を揺るがしそして一国として収まって行ったのですね



中世に港のあったところ

 
 
江戸時代の新潟港の繁栄ぶり、今なお日本海側随一の大都市です


かくして、縄文の旅2000Kmは終わりました、行かなかったところや行けなかったところがありますが、青森県(新潟県は東北ではないでしょう)を除く他の東北の訪問歴を書いてみますと、
2009年7月:5000年前の火焔土器を見る
2014年6月:火炎土器のふるさと、新潟県の古代を訪ねる
2016年5月:秋田県の縄文時代、秋田県埋文、払田柵跡、岩井堂洞窟
2016年5月:山形県、縄文の女神と立石寺、県立博物館
2016年5月:宮城県、東北歴史博物館、みちのく略史
などがあり、これらはいずれも「風来坊主のおおさか物語」ホームページとしてUpしてあります。
宮城県だけは多賀城市の博物館以外行けていませんので、近い機会に行くつもりです、その後は関東地方、四国、九州などが待っていますので、楽しみにしています。長らくご覧いただいてお疲れのことと存じます、私も肩の痛みをこらえて頑張ったつもりです。
もう少しよくなれば納涼大会を計画したいと思っていますBye


ちょっとうれしいこと

本日(7月9日)の新聞をご覧になった方はご存知ですが、ハンセン氏病(らい病)に対する国の施策を誤りだったとする熊本地裁の判決に、いろんな反対があったにもかかわらず、安部首相は「筆舌に尽くしがたい経験をされたご家族のご苦労をこれ以上、長引かせるわけにはいかない。異例のことだが、控訴をしない」で賠償金を支払う英断を下しました。

ハンセン氏病は弱い伝染性しか持たないという、アメリカを始めとする世界の常識と特効薬(1941年)を無視して来た国と国会議員が断じられることになったのです。私はこの記事を読んで、今なお涙がとまらないのです。

皆さんはお忘れでしょうが神谷美恵子(1914~1979年)さんという博士・精神科医はハンセン氏病者に対する医者としての勤めを「生きがい」として生涯を捧げられました。

私はこのことを知ってから、「生きがい」に対する認識を新たにし、神谷さんの全著書を熟読して、ある機関の資格取得のために「小論 神谷美恵子の生きがいについて」を拙文ながらまとめ上げました。
ちょうどその時は1996年で「らい予防法」が廃止される年に当たりました、今回の政府の英断は安倍首相のご判断と思いますが、さぞや、いわれなき差別を受けて亡くなった方も、生存されている方も、そして神谷美恵子さんも、心は青空のように晴れ渡ったことでしょう。
私の小論はホームページの片隅で今も生きています。お時間があればURLを開いてご一読下されば幸甚です。旅のレポートの紙面ながら感動を抑えきれず掲載しましました。』


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