番外編ブッダ・ウォーキングレポート


2−(琵琶)湖東編


10月中旬に湖東三山の西明寺・金剛輪寺・百済寺(飛鳥〜平安時代創建)の秘仏を訪ねました。西明寺の秘仏・薬師如来は50年に一度・住職一代一度、金剛輪寺では住職一代一度の聖観音、百済寺は聖徳太子開創1400年記念で55年ぶりの十一面観音を、同時期に見られる(9月18日〜10月27日)ことになり、観光バスでのお参りがたくさんありましたが、長ーい参道と石段に杖を突きたてつゝ登って行かれる老若男女を、必ずや秘仏さま方も微笑んで迎えてくださったことでしょう。


西 明 寺

平安初期834年に開かれた天台宗の寺院、「日本の100の古寺」にも選ばれました、本堂は鎌倉時代を代表する建物で国宝第1号に指定され、総檜作りの美しい三重塔も国宝、秘仏の本尊薬師如来は釈迦如来、不動明王そして二天門などが重要文化財に指定されています。これらの建物は織田信長の焼き討ちに遭いながらも難を逃れました。


西明寺へ分け入る



























       

           苔むした参道                      不断桜 (春秋冬に咲く、樹齢250年)



二天門より本堂(真ん中に立っている木柱はご本尊の右手と赤い紐で結ばれています)



左:国宝三重塔と一階内部を拝観(1000円)に待つ人々
  鎌倉時代巨勢派が描いた法華経の図解壁画が見事です



右下:国指定の名勝庭園「蓬莱庭」






















金 剛 輪 寺

聖武天皇の祈願所として行基上人が天平の741年に開山した寺です、850年に比叡山の慈覚大師が来て阿弥陀仏信仰を教化し坊舎百余の天台大寺になりました。信長の焼き討ちにも本堂・三重塔(いずれも国宝)・二天門(重文)が火難を免れました。

国宝の本堂



国宝三重塔


左:国指定の池泉回遊式庭園


本尊・聖観音は天平時代に行基上人が刻んだと伝えられており「生身の観音さま」とよばれているそうですが、行基さんが粗彫りを済ませてノミを入れると木肌から赤い血が一筋流れたので、彫りのを止めて本尊としたそうです。
1.3mほどの観音様は童子のように愛らしく、ちょっと別れがたいお姿でした。

   金剛輪寺と次の百済寺では本尊の写真を売っ
   ていませんので、正に秘仏といえるでしょう。
















百 済 寺

湖東三山のなかで最も古いお寺、推古天皇の時代に聖徳太子が百済人のために創建(606年)された古刹です。その後比叡山に天台宗が開創されるとこの寺も天台となり、塔頭三百余「湖東の小叡山」「天台別院」と呼ばれるほどの鎌倉室町まで荘厳な大寺院だったそうです。
後に、織田信長の兵火によって一山ことごとく焼滅、本尊など重要な仏像と経巻類はかろうじて難を逃れました。
江戸時代に入って本堂(1940年改築・重文)・仁王門・山門などが復興されてゆきました。建物に見るものはありませんが、庭園が湖東平野を眼下にして見事です。もちろん本尊の木造十一面観音(藤原時代)は彩色も残って秘仏としての存在感が十分ありました。


仁王門と大わらじ(七難即滅を願うものだそうです)




























天平時代を思い起こさせる石塔と本堂              樹齢約一千年の菩提樹(信長の焼き討ちにより幹は焼けましたが根から生き返りました、根回り約5m・直径1.6m)
     


池泉を前に書院に憩う人々

湖東の寺々

石 塔 寺

飛鳥時代、聖徳太子は近江に四十八ヶ寺を建て、この寺が48番目の満願の寺で元々は本願成就寺といったそうです。ここにある石塔は朝鮮にある塔とそっくりだそうですから、渡来人が刻んだか朝鮮から運ばれたのかも知れません。
インドのアショウカ王が8万基に上る仏塔(仏舎利塔)を全国に建てたことは、よく知られたことですが(いずれ「風来坊主の旅日誌−T」インド改訂版にも出てきます)、日本でも1006年にこの塔を中心に「阿育王山(アショウカ王のこと) 石塔寺」と改名して80余坊の大寺になり、鎌倉時代から数百年間人々が極楽往生や先祖供養のために仏舎利塔の周りに五輪塔や石仏を奉納するようになりましたが、ここでも信長の焼き討ちにより一切が焼失荒廃し、昭和初期に現在のように整備されたそうですが、いまだ多くが土中にあるそうです。


阿育王塔(重文)と仏塔群


何を願って建てられたのか





























                    無数の石塔群                             仏舎利塔に抱かれて


長 命 寺

大変長寿だったといわれる武内宿弥が、この山に登り柳の木に長寿を願う文字を彫ったとされ、その後聖徳太子が諸国歴訪の折ここに来て、この文字を見てここにお寺を建立して「長命寺」と名づけられたということになっています。ここは西国31番札所で健康長寿の観音さまがおいでになるそうです。
私は車で登りましたが下から石段で来るとなると八百八段の石段が真っ直ぐに天に届けと伸びています、今日はどこもかしこも石段登りで普段のブッダ・ウォーキングよりも疲れました…。


本堂・三重塔(江戸時代1521〜1614年再建)は重要文化財


長命寺より琵琶湖夕色


かくして湖北・湖東の旅は終わりました、1400年も前からこの地で仏教が栄えたことは、飛鳥と近江が
人的にも経済的にも大変近しい関係にあったことを物語っています、海への門戸の大阪から滋賀まで大和を中心に、広く大きな文化圏を形作っていたのですね、今月のブッダ・ウォーキングは時代を越えて
比叡山を訪ねますが、天台宗の大きさを知るきっかけになったこの旅は有意義なものでした。
11月には再び天平に戻って湖南三山を中心に歩きます、お楽しみに…


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