第123(138)回 4月 コダイ・ウォーキング レポート


奈良の古い仏と藤田美術館展(国立奈良博物館)


奈良には興福寺・東大寺・元興寺などの大寺だけでなく、小さくても立派な建築や仏像を持っているお寺がたくさんあります。これまで私たちはどちらかというと大寺や有名なお寺にばかり目を向けがちでしたが、そろそろ行きどまりになりますので、これからは小さくても美しくひっそりとした寺々を巡りたいと思います。
また、今月は大阪の藤田美術館が改築のため2022年4月まで休館となり、その展示会が奈良国立博物館でありますので、春のひと日を充実した芸術で満てることにしました。


大安寺

平城右京の薬師寺に対する大安寺は左京を占める大伽藍を誇り、創建は聖徳太子の遺言によって舒明天皇が建立した「百済大寺」、やがて飛鳥の「大官大寺」として栄え、平城京への遷都によって今の地に三論宗の祖師・道慈律師が「大安寺」の名のもとに、天平伽藍を完成させました。
奈良時代には仏教の総合大学として最澄・空海など国内外の名僧たちが住み、三論宗を中心に仏教文化の華を咲かせました。
その後、中世の度重なる災禍によって、壮麗な伽藍も焼失してしまい、規模も小さくなましたが、1968年国の史跡に指定されて、奈良市によって整備が進んで小さいながらも南門、本堂などが数棟建ち並んでおり、ガン封じのお寺として有名になり、現在は真言宗のお寺として空海(弘法大師)一色に染まっています。
昔の栄光を語るのは宝蔵庫の重要文化財・仏像が7体、もっとも有名なのは木造楊柳観音立像ですが、本堂の本尊・十一面観音立像をはじめとして、いづれの仏さまも天平時代を偲ばせる立派なお仏像でした。         
(今回の画像はRIKOH・GXRを使用しました)



南大門



広い境内より本堂を望む



                                いにしえの大安寺         (以下全てパンフレット類をスキャンしました)


仏像の中から



左:多聞天像 中:不空羂索観音像 右:楊柳観音像 (いづれも天平時代・重要文化財)







































左:本尊・十一面観音立像 右:楊柳観音立像(いづれも奈良時代・重要文化財)


十輪院


静かな奈良町の一角に福智院とともにあります。もとは元興寺の子院であったとも伝えられ、715年に元正天皇の旧殿を拝領して建てられたといわれます。元々は元興寺の一角の露天に地蔵菩薩として存在していましたが、地蔵信仰が深まるなか国宝の本堂は本尊の地蔵を礼拝するために建てられた礼堂で、鎌倉時代の建築を1955年の修理時に元の姿に復元されました。南門・石仏龕・不動明王など重文が五種あります。



          昔の地蔵を礼拝するための礼堂、現在は本堂(国宝)   (撮影:風来坊主)



石仏龕(重文・平安時代中期)を取り込んだ本堂

福智院

奈良時代の玄昉創建の清水寺の跡地に西大寺の叡尊が再興したといわれ、もとは興福寺大乗院の地蔵堂として、南都における地蔵信仰の霊場として栄えましたが、一時は無住寺となり、現在は山門・本堂(重文)など寺観も整備され、本堂は小さいながらも寄棟づくりの建物で、裳階(もこし)を付けた堂々たるもので、本尊の木造地蔵菩薩坐像(重文)は「地蔵大仏」と言われるほど、高さ276Cmの丈六像です。私たち6名が押し掛けたものですから、坊守さん自らお寺のご紹介とお茶のご接待をしていただきました。


裳階(もこし)の付いた本堂(鎌倉時代・重要文化財) (風来坊主:写す)



本尊「地蔵大仏」(檜の寄木造り・重文)

地蔵菩薩:
お地蔵さんは誰からも親しまれている仏さんですね。地蔵信仰の源はお釈迦様以前のインドの地神(大地)信仰にあり、地蔵とは大地のようなあらゆる母体であり、すべてを育て成就させる働きのあることを意味します。
仏教における地蔵信仰は、無佛世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)のあらゆるものに慈悲の恵みを与えてくださる菩薩様を信仰することです。


奈良界隈
 



こんな小さな推古天皇のおやしろ(以下撮影:風来坊主)



静かな奈良町の一角



この写真がなければ奈良に行ったとは言えません:興福寺五重塔



奈良国立博物館(1895年・明治28年開創・東京に次いで二番目)


藤田美術館展(奈良国立博物館)


藤田美術館:実業家で男爵であった藤田伝三郎(1841~1912年)とその子、そして弟のコレクションは膨大なもので、伝三郎の没後3回家贓品の売り立てが行われても、残ったものは国宝9件・重要文化財53点、その他数千に及ぶ膨大なもので、すべて土蔵に収められていたため戦災にも貴重品は残って、手狭なため春と秋の2回、3ヶ月だけ公開されています。
邸宅は大阪市都島区網島町に茶室を30以上持つ大邸宅でしたが、太平洋戦争時大空襲で焼失してしまい、戦後放置されていた庭園を大阪市が整備して藤田邸跡公園として、年中公開されています。
近松門左衛門の人形浄瑠璃「心中天網島」の小春と治平が心中したのはこの地でしたが、今は「比翼の塚」ともども近くの大長寺に移転しています。

今回の国立奈良博物館の展示会では、「曜変天目茶碗」(中国・南走時代)が国宝として出されていますが、中之島の大阪市陶磁美術館の安宅コレクションの「国宝・油滴天目茶碗」(同じく南宋)は特別に間接太陽光によって照明されているほどの名品で、私はかって数回撮影に赴きましたが,三脚を使えないのとその日の天気によって光量が足りなかったりして、1・2枚の写真がやっと納得できるものでした、その後館内での撮影はできなくなりましたので、この茶碗の兄弟・姉妹に会えるのを楽しみにしていました。

曜変天目茶碗は必ず人が足を止めますので行列ができていましたが、これ一つに照明を落とした部屋があり、茶碗にあてる光もよく工夫されて、窯変の不思議をよくとらえていました。

「曜変」とは元来「窯変」を意味した言葉とされ、文献で「星」または「輝く」を意味する「曜」の字があてられるようになったのは15世紀前半ころからであり、唐物茶碗の最高級品とされてきましたが、3個の茶碗(いづれも国宝)が残るのみです。

生産国の中国では、2000年末に杭州市の工事現場から曜変天目の陶片が発見されました、杭州市は南宋の都がおかれ、出土場所はかっての宮廷の迎賓館のあったところで、宮廷用に献上された言葉が刻まれた陶磁器も一緒に発見されました。

このように天目茶碗は、現在の福建省建陽市にあった「建窯」で「曜変・油滴・灰被・禾目」茶碗が、短期間・少量生産によって幕を閉じてしまい、その技術も文献も残されておらず、世界トップクラスの日本の窯業でもその製法を明らかにするに至っておりません。



                          世界に三つのお茶碗=龍光院(京都)・静嘉堂文庫(東京都)


イタリア料理店で反省会


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