第122(137)回 3月 コダイ・ウォーキング レポート


泉州の桜を尋ねる

春が来たなと思った矢先に寒い春となりました、ちょっと早いとも思ったのですが桜の開花が待ちきれずに、7年ぶりに日根野の慈眼院を中心に、山中渓周辺を歩いてきました。うれしいことに地福寺の枝垂れや姥桜が満開で、思う存分温かい一日と桜を満喫しました。













山中渓はJR阪和線の大阪府と和歌山県境にある無人駅で桜並木・若葉・紅葉の四季折々のトンネルを超えたところにあります












向こうは和歌山県、今日は初めて六歳の子供さんも一緒でした




葛城二十八宿・桜地蔵:役行者が開いた行場の一つで下に川が流れています(大阪府側にあります)



江戸時代1857年、敵討ちにも許可がいったそうで、ここが最後のかたき討ちの現場



熊野古道・中山王子(和歌山県)

熊野古道と熊野詣:
熊野詣は平安中期908年に行われた宇田法王のの御幸が最初と言われ、以後374年間上皇の御幸が100回以上続き、庶民にもその習慣が流行しました。

「王子」というのは熊野三山の神をまつったところで、休憩所が99王子あります。熊野三山は本宮・新宮・那智の三神(家都美御子大神・家都御子大神・熊野速玉大神)をいいます。中山王子は紀州に入って初めての王子で、江戸時代には周囲36間のお社があり、王子権現さんが祀られていました。

11・2世紀、院政期の上皇方が熊野詣を繰り返すようになったのは、1090年の白河上皇からで、彼は合わせて9回の御幸、次第に上皇・法王そして女院方や貴族が同行し、後白河上皇は33回も詣でており、1201年に後鳥羽上皇に随行した藤原定家の日記によれば、旅は原則徒歩で移動し、荷物は馬で運ばせたとあり、それにつれ道が整備されてゆきました。源氏や平家の信仰も厚く、一遍や文覚上人などの僧侶、源頼朝の妻・北条政子も2度にわたり熊野詣を行っています。

上皇方は宿場ではその地の名士を集めて歌会を開いたことは「熊野懐紙」として残されています。私たちは2006年5月第11回ブッダ・ウォーキングによって初めて熊野古道へゆきました


熊野古道





庄 屋
















右:この地は雨が多いため、街道には石畳が敷かれいました、江戸時代の街道の一部を残してあります


地福寺・子安地蔵




























地福寺参詣路と境内の枝垂れ桜



満開のしだれ桜:樹齢僅か60年ですが、枯れた巨木の根っこに挿し木して育てられこんなに大きくなりました



慈眼院


金堂より国宝・多宝塔

多宝塔は三名塔の一つで(石山寺、高野山・金剛三昧院)国宝、慈眼院は673年天武天皇の勅願で創建、815年弘法大師(空海)によって諸堂が再建されましたが、1585年豊臣秀吉の根来攻めで金堂と多宝塔を残して全山焼失、その子秀頼が1602年より諸堂の再興をはじめました。この地は日根荘と呼ばれ一帯は国の史跡になっています。



鎌倉時代を彷彿とさせる端正な金堂(重文)



















お寺の横にある日根神社の歴史も古く、716年に制定された和泉五社のうちの一つで、秀吉により焼失、秀頼が再建はお寺と同じで、近世まで慈眼院は日根神社の神宮寺とされたていました。
  
本 殿



樹齢400年以上の慈眼院の姥桜のちょっと寂しい咲き加減



東岸和田のインド料理で反省会


4月は16日(火)
に奈良市内の小さいながらも古い歴史ある古寺を訪ねるとともに、国立奈良博物館で、現在建て替え中の国宝の宝庫・藤田美術館(大阪・都島区)のすべてを拝観に行きます、近々詳細プランをUpします。


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