第120(135)回 コダイ・ウォーキング レポート

  
奈良・興福寺 中金堂と国宝巡り


興福寺の奈良時代から7度もの火災にあった中金堂が300年ぶりに再建されましたので、これを拝観して、東金堂と国宝館を巡り、奈良国立博物館では東大寺二月堂のお水取りの資料展と唐招提寺の鎌倉時代を見て、県立美術館では肉筆の浮世絵展をと、まさに国宝巡りの一日となります。
近鉄奈良駅に降り立った時は手がかじかむほどの冷たさで小雨も降っていましたが、昼頃には温かくなり雨も止んでしまって、空気のすっきりした広大な奈良公園を楽しみました。
今回は館内を歩くことが多く、写真撮影もできなかったために、各所でもらった小さなパンフレットをコピーしましたので、お見苦しい点はご了承願います。そんな一日でしたがなんと歩いた距離は10000歩以上7.2Kmになっていました。

 
興福寺・中金堂

 
中金堂は東・西(=今はありません)の真ん中にある、興福寺の主たる伽藍です。創建は藤原不比等によって710年、その後6回もの消失・再建を繰り返してきましたが1717年に焼失以後、規模の小さな仮堂が再建されたのち、老朽化した仮堂を2000年に再建にかかり、2018年に、今回は創建当時の規模そのままに、東大寺大仏殿に次ぐ壮大な御堂が出来上がりました。
このため総木材の材料は日本では調達できず、遠くアフリカから運んでこられました。
内陣にはこれまでのように国宝6体と重文が安置され、ご本尊は5代目の釈迦如来像を修理して、新いく金箔と口唇の紅も鮮やかに当時の仏像のあでやかな姿を拝むことができました。


創建当時そのままに中金堂(写真はすべてパンフレットよりコピー)
 



光背もあざやかに釈迦如来坐像



内陣の国宝群


東金堂と国宝館



左:東金堂 右:国宝館



東金堂の国宝群



国宝館の主な国宝群
上の仏頭は685年に亡き曽我倉山田石川麻呂のために天武天皇が作った飛鳥山田寺(今は廃墟)講堂の本尊を、1187年(鎌倉時代)に興福寺が東金堂の本尊・薬師如来として持ち帰りましたが1411年に焼失し頭部だけ残されました。白鳳期の彫刻として高く評価されています。

興福寺には国宝の五重塔・三重塔、北円堂、そして南円堂、仮講堂、大湯屋などが残っていますが、すべてが復元されると藤原不比等などの仏教に対する尊崇と権力を一層感じることができるでしょう。


県立立美術館

浮世絵というとすぐには版画を思い浮かべる方が多いと思いますが、江戸時代の繁栄の下では浮世絵師による肉筆の美人画がたくさん残されています。その美人の立ち姿と絢爛たる衣装を、今回は心置きなく楽しむことができました。



浮世絵とは現世肯定と享受の価値観を背景として美人画ばかり描いていたようです


二月堂のお水取り

お水取りとして今なお親しまれている東大寺二月堂の行事は修二会(しゅにえ)と呼ばれ正式には「十一面悔過(けか)といい、私たちが日常に犯している罪科を、二月堂の本尊・十一面観音菩薩の前で懺悔し、万民の病を取り除き、鎮護国家、天下安泰、五穀豊穣など人々の幸福を願う法会です。
修二会は東大寺開山の良弁僧正の高弟・実忠和尚によって、732年(天平勝宝)に始められ、その後一回の休みもなく続けられ、東大寺の歴史の中で二度も伽藍の大半が灰になってしまった時も、修二会だけは「不退の行」として一回も絶えることなく、今年で1287回目となりました。元来旧暦の2月1日に始められ、15日に終わりますが、今も3月1日より15日までと変わらず続けられています。

12月16日の朝、翌年の修二会を勤める練行衆11名が発表され、翌年2月20日より前行が始められます、行中の3月12日の真夜中に「お水取り」という若狭井(井戸)から「お香水」をくみ上げ、観音様にお供えして、須弥壇下の甕に収められます。

またこの間、練行衆が二月堂へ入るための道明かりとして、夜ごとに大きな松明に火が入り、このため修二会は「お水取り」「お松明」と親しく呼ばれるようになりました。


二月堂と「お松明」
Photo::ホームページ「東大寺」より植田英介さんの写真をお借りしました

これで2月号を終わります、3月は28日に泉南地方へ出かけたいと思っています、早ければ桜にも会えることでしょう

 
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