第120(135)回 コダイ・ウォーキング レポート

四天王寺参拝・ルーブル美術館(肖像芸術)展

みなさま新年おめでとうございます、今年が一層よいお年になりますようにお祈り致します。昨年を振り返りますと関東方面で大雪が降ったくらいで、私たちの生活面は平穏な一年でした。一方海外を見ると、タイで少年13人が18日ぶりに救出される明るいニュース、インドネシアで震災により2000人以上が死亡という暗いニュース、イギリスの宇宙物理学者ホーキンズ博士の死去、アメリカのトランプ大統領が引き起こす施策により混乱する世界とか、地球は広いことを実感できた年でもありました。

さて今年は、平成天皇のご退位と新天皇の誕生から始まり、日韓や米中の摩擦などいろんなことがますます拡大する年のように思えて、朝に読む新聞を開くのが胸躍る日々です。

さて1月の私たちは2006年第10回ブッダウォーキングで行った、日本最古の官寺「四天王寺」を参拝ののち大阪市立美術館の「ルーブル美術館展ー肖像芸術-」を楽しみ、その後は恒例の新年会へと流れてゆきました。


四天王寺

日本仏教最古の官寺として建てられました。「日本書記」には物部守屋と蘇我馬子の合戦の折、崇仏派の蘇我氏にに組した聖徳太子が不利な形勢を打開するため、自ら四天王像(多聞・時国・広目・増長天)を彫り「この戦いに勝利したなら、四天王を安置する寺院を建立する」と誓願され、勝利の後に誓いを果たすために四天王寺と命名して、593(推古元年)に建立しました。 

聖徳太子は四箇院制をとり、つまり仏法修行道場である敬田院、病者に対する施薬院、病院の療病院そして身寄りのない人や老人を収容する悲田院を建て、仏教精神の実践の場としました、四天王寺は今もなお大阪の仏壇といわれるように、弘法大師(21日)聖徳太子(22日)の命日を初めお彼岸やお盆には庶民のお参りする寺として境内は人々で溢れます、また春・夏・秋には石舞台の上で古式豊かな舞楽が親しまれています。 

伽藍配置は四天王寺式といわれ、南から北へ中門・五重塔・金堂・講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む中国・朝鮮を源流とする最古の建築様式となっています。 

この寺の歴史は過酷で、鎌倉・室町時代以降に戦火・雷火・台風・太平洋戦争の空襲によって度々壊滅の憂き目を見ましたが、その都度復興することができました、現在は五重塔をはじめ多くが鉄筋コンクリート製で、法隆寺などの木造建築の幽玄な雰囲気はありませんが、私の子供の頃にはお彼岸に西大門より大阪湾に沈む夕日を大勢の人々とともに拝みに行った記憶がありますから、庶民にとって大変親しいお寺として存在しています。今は学校や福祉事業に聖徳太子の四箇院精神を継承して盛んなことは、日本に仏教が深く根付いていることの象徴でしょう。



南大門と立柱



中門と五重塔その後ろが金堂の屋根そして「とんど焼き(去年のお札やしめ飾りを燃やす行事)」


五重塔と金堂(金堂には本尊である救世観音が 安置され、
その四方を四天王が守護しています)


ルーブル美術館展―肖像芸術展―人は人をどう表現してきたか

3000年以上も前のエジプトの棺用マスクから始まり19世紀までの肖像作品の傑作110点が大阪市立美術館へやってきました。
肖像とはある人のある日の姿を後世に残す、絵画などにおける古代からの人々の多様な有様をとどめています。
中でも写真でしか見たことがなかったアレキサンンダー大王の彫刻や、ナポレオン・ヴォナパルト皇帝の絵画・彫刻など、胸を打つ出会いの数々が迎えてくれました。これだけのいろんな国の人々の在りし日の姿と会えるなんてまるで夢のような一日でした。


































左:パンフレット表面 右: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より



1:「女性の肖像(部分)」 2世紀後半 エジプト・テーベ出土 2:「マラーの死(部分)」 ジャック=ルイ・ダヴィッドと工房 
1794年頃3:「春部分)」 ジュゼッペアルチンボルド 1573年 4:「棺に由来するマスク」 新王朝時代、第18王朝、アメンヘテプ3世の治世
(前1391・前1335年) エジプト出土 5:「ヴィーナスとキュービット(部分)」 レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 1657年頃
 6:「フランス王太子、オルレアン公フェルディナン=フィリップ・ド・ブルボン=オルレアンの肖像(部分)」 1842年 
7:「エカチェリーナ・ヴァシリエウナ・スカフロンスキー伯爵夫人の肖像(部分)」 エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ブラン 1796年 
8:「女性の肖像、通称(美しきナーニ)8部分)」 ヴェロネーゼ(本名パオロ・カリアーリ) 1560年頃            パンフレット裏面より


新年会



1945年冬、私の小学2年生からのお付き合い「蓬莱本館」での新年会(あと一人Kさんが参加されました)   
(今回のカメラはRICOH・GXR 17mm)


後 記 (ちょっと読んで下さい)

昨年をもって寺院所属の僧侶を辞しました、延べ20数年も続いた檀家さんとの交流と別れは大変つらいものでしたが、だんだんに年を取り、肝臓がんや胃の静脈瘤の破裂など死が呼ぶ環境をかいくぐってきましたので、死ぬことがすぐ近くにあることを認識せずにはおれなくなり、今年か来年に残された少ない時間をインド・ガンダーラ、パキスタン・カブール博物館での釈迦像との出会いと各地の仏教遺跡そしてクンジュラブ峠(4880m)を越えて、仏教が初めて中国へやってきたカシュガル市の仏教遺跡からシルク道路の遺跡をたどりながら西安へ着くと、仏教が日本へやってきた道のりをたどり終えることになります。

しかし、私の道には朝鮮半島が入っていませんので、西安よりソウルへ飛び韓国の寺を回ることで完全な旅となるのです。韓国の旅は私の体調で別の旅になるかもしれません。なぜなら朝鮮では仏教だけでなく、日本との交流がもっと深い朝鮮の古代遺跡も併せて歩いてみたいと思っていますので少し長期になるからです。

夢ははてなく広がりますから、どこかで休憩を入れることも、胃と食道のつなぎ目に静脈瘤があるのがわかっていますから、残り少ない命を大事にしてやらなくてはなりません。

この1月末には大阪市住之江区の別宅を引き払って、神戸の本宅へ帰ることになりました、1月27日よりこの大型のパソコンとはしばらくお別れです、2月上旬には再開できるように頑張ります、その間は小型(13.3インチ)ノートブックでメールなどは対応しますが、そのノートブックは現在海を渡っていますので、いつ着くことやらわかりません。
また、旅の途上では「風来坊主のXXX」という新しいホームページを開設して、皆さんに元気なところをお知らせできると思います。

そんなことで2月のウォーキングは下旬になります、では私の近況をお知らせして1月のHPを終ります、お元気でよいお年をお迎えくださいBye


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