117/132回 10月 コダイ・ウォーキング レポート


西神戸の超古代より今日

爽やかな秋が訪れました、兵庫県明石市はアカシ象や明石原人でつとに有名であり、1931年西八木海岸で発見された原人の化石は1945年東京大空襲で焼失して、石膏だけが残されていますが、1985年に原人化石が発見された地層と同じところの発掘調査により、人工の木片を発見、この地層年代は最終間氷期後半(約8万年前)より約6万年前とされているので、縄文時代よりもっと以前、類人猿から分かれていったシナントロペス時代と考えられるようになりました。

また、1997年に近隣の藤江川遺跡の調査で、中期旧石器時代とみられるメノウ製の握斧を発見していますので、明石市は超古代の人類の夢を見せてくれるところです。

人々の移民や交流によって日本の人口は増えてゆきますが、大阪・奈良への入り口にあたる明石は交通の要として栄えて行き「源氏物語」やたくさんの文学にも取り上げられています。



JR明石駅より見る広大な明石城公園、東側に明石市文化博物館がある

明石市立文化博物館


冒頭に書いた明石原人や、小型象ながら牙だけが異様に長いアカシ象の骨格標本は興味深いものでしたが、カメラ使用ができないで、その代わりとなる展示品の案内図録もないというおかしな博物館でしたので、これ以上書くこともなくなりました。ここから公園内の登降を繰り返しながら、剛の池という多分昔のため池へと着いて、飛来した鴨を見ながら昼ごはんにし、明石城を見てプラネタリウムへと坂ばかりの道を行きました。


剛の池


















左:巽(たつみ)櫓、右:坤(ひつじさる)櫓、かっては城の四隅に櫓(地方の天守閣を移築)
があったが元々天守閣がないお城、来年で築城400年


明石市立天文科学館


JR山陽本線や山陽電車の明石駅近くに16階建の建物が見えますが、最上階の丸屋根は天文観測室で、2階がお目当てのプラネタリウム。この天文館の上を日本の中心を示す子午線(真北と真南を結ぶ線)、日本の標準時となる東経135度線が通っています。

プラネタリウムのお目当ては、今現在「ハヤブサ2号」が2014年に飛び立ち往復52億Km離れた小惑星である、岩石でできた「リュウグウ」に到着し、来年の着陸準備を始めています。地球とはやぶさ2との連絡には片道20分かかるということですが、これが早いのか遅いのかわかりません。

この活動記録をハヤブサ2の光学カメラが順次送信しており、リュウグウ(約900mの球状体)の近接写真をプラネタリウムで、直径約20mのドームに投影すると、ドームの半分に約8mの鮮明な画像が現れ、その解像力の大きさに腰を抜かさんばかりに驚きました。着陸後採集活動をして帰路に着き、帰着は2020年ということです。いやはや科学の進歩のすごさに圧倒されました。

また14階の展望台から見る360度の景観は、快晴の空の下で見事なものでした。


















左:天文館入り口 右:開館と同時に58年間稼働している現役最古のカールツァイス社の投影機



展望台より見る世界一の吊橋・明石大橋


竹中大工道具館

1984年に開設された「竹中大工道具館」は竹中工務店(創業1610年・江戸前期)の威信をかけた素晴らしい博物館です、現在はJR新神戸駅のすぐ近くに庭園・茶室・休憩所そして本館とすべて木造建築物が、民族遺産としての道具類と共に迎えてくれます。

木造建築と云えば、最初に浮かぶのは法隆寺の五重塔であり、薬師寺の東堂も忘れることができません。法隆寺の塔は1400年の風雨と地震に耐えて今も寸分の狂いもなく一直線に建っています。
創建当時には、まだ鋸(のこぎり)もなく鉋(かんな)もありませんでした、そして日本の雨風の強い風土に合った廂(ひさし)の長い建築を、中国から学ぶのではなく、独自の技術として確立させてゆきました。

日本で最後の大工棟梁(受注から落慶法要まですべを采配する、現在は建設会社が統括しています)といわれる故西岡常一棟梁は、法隆寺の昭和の大改修(1934年~1985年)にすべて携わり、古代建築技術のすべてを体得した人です。その後、請われて薬師寺の西塔や金堂などの再建に棟梁として見事な堂塔を残しています。

そんな古い時代の道具を今に伝えるのは大工道具館だけであり、現在のなんでも電気道具で早く安く儲かるようにという風潮に木造建設は合いません。木は一本一本それぞれに個性をもっているからです。

木組みの美しさ


木を割ってゆく、この方法で大木を四つ割りにして4本の柱や板などを削りだしました


















左:槍鉋 右:「のみ」の数々



大工道具一式


竹中大工道具館・本館



神戸三宮のインド料理店にて・最後のチャーイを楽しむ


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