特別番外編:奈良県吉野郡・川上村界隈の古代


ここにご紹介するのは2018年1月17~18日にかけて川上村を訪ねたときのレポートです。川上村は北西に吉野町の金峯山寺、西に山上ヶ岳、南に大台ケ原山がある、山深い吉野杉などの林業の中心地です。ここに縄文時代には既に人々が住んでいました。以前に同じ吉野川流域の宮滝縄文遺跡をご紹介したように、この地方の縄文人も冬季は多雪を避けて移動していたかもしれません。時間的制約ですべてをご紹介できませんが、私のIphone(アップル)で撮影した写真をUpします、解像度・描写には不足はありませんが、画像のゆがみを最大限修正しても本式のカメラのようにはいきませんでした。

川上村の人々は、長年住み慣れた土地を手放した代わりに「森と水の源流館」や「やまぶきホール」を建設して宮の平遺跡の紹介や源流の自然の美しさを伝えています。そして村はさらに奥地の最上流の広大な天然林を購入して、その源流の森を開発から守り、未来の子ども達にその自然を伝えていこうとしています。




丹生川上神社上社

川上村役場の上流500m位の山上にこの神社はありますが、この付近は吉野川をせき止めて大浦ダムができており、元々の神社は湖底に沈んでしまいました。
675年(白鳳4)建立、祭神は龍神で旱魃・長雨には各々白毛・黒毛の馬を奉納していましが、のちには絵馬を奉する習慣になったそうで、絵馬の始まりとなっています。



川上神社には上社・中社・下社があります


右は平安時代の祭り場の復元



川上神社より大浦ダム湖と役場の方を見る


宮ノ平縄文遺跡

元川上神社上社跡地より畿内最古(9000年前)の縄文早期前半時代よりの遺跡が発掘され、ここからはストーンサークルや数多くの土器などが出土しました。遺跡は湖底に沈みましたが、遺品は神社上社の直下にできた「森と水の源流館」に保存展示されています。


宮の平遺跡の説明(2枚つづき)






高さ30Cmほどの石棒がこのような状態で出土



石皿と栗・クルミ・どんぐりを粉砕に使われた磨り石、右下は深鉢土器片



礫(れき)群:石を焼きその余熱で食べ物を蒸し焼きにしたと考えられています

比曾(世尊)寺

ここは吉野川右岸、近鉄・大和上市えきの北西、大淀町比曾にある、聖徳太子が父・用明天皇のために建立した飛鳥時代の薬師寺式伽藍配置の遺跡です。このうち東塔は鎌倉時代に改築され、豊臣秀吉が伏見城に移築、徳川家康が大津市の三井寺に移して、現在も重要文化財として現存しています。(江戸時代より世尊寺と改名しました)
現在は曹洞宗の禅寺です。このお寺のもっと詳しい立派なレポートがありました、著作者・撮影者ともによくわかりませんが、ぜひともご覧ください。




山 門



現在の世尊寺 右は鐘楼



33代推古天皇が夫・30代敏達天皇のために建立、その後消失



太子堂 16才時の聖徳太子を祀っていました(奈良県指定文化財)


以上をもって川上村界隈の古代を終わります、前述の宮滝遺跡のある所は元吉野宮のあったところで、吉野川流域の宮滝は東・伊勢街道、南・東熊野街道、西・吉野川が紀ノ川になって紀伊水道へ、そして北は明日香を経て奈良の都へ当時の近畿の中心に存在していました。
この宮滝遺跡は縄文後期から奈良時代にかけての近畿最大の遺跡ですが、まだ20数%の発掘を終えたばかりです。ここは持統天皇(690~697年在位)が31回も行幸されたところでした。
こうしてみてくると、縄文時代から平城京までの発展の基盤になったのが、この地方だったことがわかるような気がしています、これからも機会があれば再訪してゆくつもりです。今なお、いいところですよ奈良の奥地は

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