第13回ブッダ・ウォーキングレポート


三井寺(園城寺)・石山寺


大化の改新を果たした中大兄皇子は、667年に近江大津に遷都して天智天皇に即位し3年目に崩御、天智の子・大友皇子(後に弘文天皇とおくり名された)は壬申の乱で殺され、天智の弟・大海人皇子が天武天皇として即位、飛鳥浄御原宮へ帰りました。
大友皇子の子・大友与多王が創建し、天武が命名したのが「園城寺=三井寺」、近江大津宮の周辺は古代より栄えた地であったことは、第12回のウォーキングのときに学習しましたが、今回も平城京・平安京以前より栄えた仏教の地を訪ねる旅になりました。

9月の日曜日、空は澄み琵琶湖には多くの白帆が浮かんでよい休日でしたが、三井寺や石山寺の月見亭から望む景観は全て沿岸に建つ高層マンションに阻まれ、エコノミックアニマルぶりを遺憾なく発揮する哀しい有様でした。

大津市の市民憲章に『わたくしたち大津市民は
1.郷土を愛し琵琶湖の美しさをいかしましょう。
1.豊かな文化財をまもりましょう。
1.時代にふさわしい風習をそだてましょう。
1.健康で明るい生活につとめましょう。
1.あたたかい気持ちで旅の人をむかえましょう。 』

とうたわれていますが、琵琶湖の玄関口である大津にしてこの様子では、景観を文化財と思えない人々の暮らす滋賀は、古来人々が親しみ慈しんできた近江とは異質の存在にしか思えませんでした。


大友皇子の墓(弘文天皇陵)



大友皇子
中大兄皇子と異母兄弟であった大海人皇子は、先月にご紹介した兄が弟の妃・額田王をとってしまうように二人は仲が悪かったのでしょう、兄の支配する時代には吉野の里で静かにしていましたが、天智天皇が死ぬとたちまちに都へと攻め込み、父が天皇に指名した大友皇子を殺してしまいます、日本の皇室も度々権力争いの血塗られた歴史を持っています。


大津歴史博物館
















市役所の北隣にあるこの博物館の内容は大変素晴らしいもので、8000年前の縄文時代からの近江の歴史と文化を仔細に知ることができます、大津へ行かれた折はぜひお立ち寄りください。


園城寺(三井寺)
日本四大寺(東大寺・興福寺・延暦寺・園城寺)の一つ。大友皇子の子・大友与多王が父の菩提を弔うために創建、俗に「三井寺」と呼ばれるのは、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」に由来します。

延暦寺では第5代天台座主円珍(814〜891)の門流と円仁(794〜864)の門流が争い、993年に円珍門流は三井寺で寺門と称し、比叡山は山門といわれるようになりました。

その後、延暦寺との争いや源平・南北朝の争乱により、再三の兵火にあって焼失しましたが、豊臣氏や徳川氏の尽力で再興され、現在も国宝(金堂)・重要文化財(三重塔・仁王門・一切経蔵など)そして庭園など貴重な寺宝100余を伝えています。夜桜の名所でもあり西国14番札所、天台寺門宗総本山、また比叡山によって迫害された浄土真宗の蓮如上人を守った寺としても有名です。


三井寺おちこち(サムネイルです、クリックすると大画像に変わります)



仁王門(1452・重文)徳川家康が甲賀の常楽寺より移築寄進

日本三銘鐘の一つ「三井の晩鐘」で有名(重文)

家康が寄進、室町初期の建築(重文)

毛利輝元寄進、一切経雑重文)内の八角輪蔵


観音堂(1689再建)西国十四番札所、本尊如意輪観音(重文)は秘仏




近江を愛した芭蕉の句



国宝 園城寺光浄院客殿

最も格式の高い子院、室町時代15世紀前半に山岡家が建立し、後年光浄院の住持となった山岡道阿弥(1539〜1603年)は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三代に仕えた武将であり、秀吉の三井寺の打ちこわし後復興に尽力した彼が1601年に再建したのが今の客殿。寝殿造りから書院造りへの過渡期である桃山時代の華麗な建築で狩野山楽による障壁画が見事です。
              光浄院庭園                           総こけら葺き入り母屋造り


































 出書院と客殿(武者隠しの襖絵もある武家屋敷風です)                  穴太積みの石塀 

















石山寺

天平時代747年、聖武天皇の発願により良弁(東大寺開山)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのが当寺の初めとされ、紫式部が「源氏物語」の「須磨」「明石」の発想をしたところ、また藤原道綱の母による「蜻蛉日記」藤原高標女の「更級日記」の紀行など文学作品に関係の深い寺です。
1096年に再建された本堂(正堂)それにつながる、合いの間と礼堂は豊臣の淀君の寄進(1602年)、多宝塔(1194年)と共に国宝になっています、また西国三十三箇所観音霊場の第十三番札所としても有名です。

東大門
                            


  石山の名前の出た天然記念物の硅灰岩と多宝塔                   暮れなずむ本堂


































多宝塔・鎌倉初期



琵琶湖アラカルト

            琵琶湖疎水入口への運河

1885年(明治23)着工した疎水は 5年後に第1期を完成させますが、この工事は全て日本人の技術によるものです、土木技師には若干21歳の田辺朔郎氏(後の東京大学卒)が採用され、当時の京都市民146万人の生活を、上水道・水力発電(蹴上発電所)などで豊かにし、市電も走り始めました。写真は第一トンネル(2436m)へ導く運河です。 




石山寺観月台から見る現代の琵琶湖



あとがき

世界で初めて国立公園ができたのは、1872年(明治5)アメリカの「イエロストーン国立公園」でした、(現在のアメリカには388ヶ所、3400万ヘクタール)それが今や世界143カ国に1689の公園があり、総面積は3億5500万ヘクタール、日本の国土の10倍に当たります。

日本では1934年(昭和9)瀬戸内海・雲仙・霧島が制定され、現在では28ヶ所総面積約206万5000ヘクタール国土の約5.4%になっていますが、このうち国有地は約60%、他はドイツ・英国式に民有地ということになります、アメリカでは90%以上を国立公園局が所管しています。
(以上は日本国立公園協会及びナショナル ジオグラフィック '06/10より引用)

皆さんもご承知のように、アメリカにおいてもアラスカ北岸の国立公園内での天然ガスの掘削が始められようとしており、国立公園への予算の5%が削られそうだとか、民間の運営に委託する話題、古くなったインフラを改善する予算がないなど、問題が山積みなっており、このような問題は世界各地の公園で起こっています。

日本では毎年国立公園に3億5000万人が訪れるそうで、これは純粋な観光客数ではないとしても驚異的な数字です、にもかかわらず環境省自然環境局の予算は年々減り続け、地方自治体の受けていた国立公園管理の補助金は打ち切られてしまいました。

しかし前進もあって、2003年に自然公園法が改正されて自然風景を守る以外に生態系を守る法律ができたことです。私のような凡庸な人間は直接これら国立公園を守ることに手を貸せませんが、日本自然保護協会(純然たる民間団体)や各種NPOなどに協力し、世界に誇る自然環境を守り育ててゆけるのではないかと思っています。


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