特別番外編 第4回 青森の縄文時代を訪ねる−1
2017年11月13〜17日
2007年2月の大阪歴史博物館で開催された「あおもり縄文まほろば展」で「みちのく」の高い文化に心を奪われた私は、それから10年の間に、南は鹿児島の縄文時代まで、古代を訪ねること134回となりました。とりわけ青森県は今回で4回目となりましたが、まだまだ北海道の道南〜沖縄諸島まで行ってないところも多く、「みちのく」の宮城・秋田・山形・岩手県は取りこぼしが多く、近々の再訪を予定しています。

今回の青森行は私の娘が神戸市の五色塚古墳(兵庫県最大の古墳)近くの高級マンション2棟のエントランスを飾る作品を求められ、一つは古墳をテーマにしたものとの要求で、古墳の埴輪を作品の主眼に置いたそうですが、こんな経路でにわかに古代に目覚め、どうしても青森へ連れてほしいの再三の願いに、娘との二人旅は20年前にニューヨークの「ピカソ展」へ行ったきりでしたから、去年の5月以来の青森行きとはなりました。

道中は雨と雪と晴れ間が目覚ましく入れ替わり、リンゴの最終の収穫には間に合いましたが、岩木山をバックにしたリンゴはついに撮れずにおわりました、お岩木さんの山麓は県道は封鎖されて奥入瀬川を往復したり、青森市内に初雪が降ったりと大変思い出深い旅となりました。

今回のレポートは過去3回の青森行で重複するところは、建物が新しくなって初めて展示される出土品などにかぎって掲載し、新しく訪ねた縄文遺跡はホームページを変えてご覧いただきます。


リンゴの若木とおいわきさん


                      今回の旅程
11月13日(月):伊丹空港→青森空港→青い森鉄道→八戸→是川遺跡・是川縄文館
14日(火):八戸→十和田市・現代美術館→奥入瀬川→弘前市→りんご農園→百沢温泉
15日(水):岩木神社→大森勝山遺跡・裾野地区文化交流センター→木造・亀ヶ岡遺跡&縄文館→つがる市・(縄文住居資料館カルコ)→五所川原市・たちねぶた館・五月女萢(そとめやち)縄文展&立佞武多
16日(木):青森市・小牧野遺跡&三内丸山遺跡→青森県郷土館
17日(金):大平山元(おおだいやまもと)遺跡→青森空港→伊丹空港


是川遺跡・縄文館


前回は2010年3月に是川を訪れていますが、遺跡はすべて埋め戻されています、また展示館は建設途上で学習館に出土品が展示されていました。今回は見事な縄文館ができており、学習館や八戸博物館にあった国宝・合掌土偶などもこちらへお引越し。新しい展示品以外は前回のホームページを見てください。
是川遺跡は、八戸市南東部の新井田(にいだ)川沿いの標高10〜30メートルの台地に広がる縄文時代の集落遺跡。 縄文晩期を中心とする中居遺跡、縄文前期中期の一王寺遺跡、縄文中期の堀田遺跡の三つの遺跡と新井田川対岸の風張遺跡などを総称して是川遺跡と呼ばれています。
日本海側の亀ヶ岡文化圏の広がりと生活文化の高さを知るには、ここの縄文館にすぐるものはないでしょう。



屋根の下の壁に特徴がありますね、これは地面を浅く掘って建てた例の竪壁式だそうで、北海道には竪穴が2mに及ぶ
ところがあるそうです。



















新しい縄文館  右:素晴らしい館内の様子



漆塗台付浅鉢・重要文化財


風張遺跡出土・重文


1993年までに963点が重要文化財に指定されています



やはりこれだけはUpしましょう、是川唯一の国宝・合掌土偶  国宝室に鎮座 風張出


青森現代美術館

娘のたっての希望で十和田市にやってきました、広大な面積にユニークな美術館、私は中より外ばかり楽しんでいました。

































奥入瀬川

去年5月新緑のころに来ていますが、冬枯れのおいらせも見たくて、ルートを十和田湖まで遡って、北西の弘前市へ出るところ、はやこの辺の県道はすべて通行止めになっていました、仕方なく十和田市まで出ましたので、まだ行ったことがなかった弘前のねぶた館へは行かずに、岩木山の南面・岩木神社前の百沢温泉の旅館に、道路が凍るまでには着くことができました。


奥入瀬の清流と激流


岩木神社

昨年は一の鳥居のところから中へ入ってゆかなかったので、今回は神社の正面の旅館・一の鳥居前の2階に泊まりました、暗くなってから着いたので、朝起きてびっくり、おいわきさんが真正面!神々しい雰囲気でやはり津軽の守り神でした。
岩木神社の由来:780年岩木山の山頂に社殿を造営したのが起源とされ、800年、岩木山大神の加護によって東北平定を為し得たとして、坂上田村麻呂が山頂に社殿を再建し、その後、十腰内地区に下居宮(おりいのみや)が建立され山頂の社は奥宮とされました。1091年、神宣により下居宮を岩木山東南麓の百沢地区に遷座し、百沢寺(ひゃくたくじ)と称したのが現在の岩木山神社となっています。

1589年、岩木山の噴火により、百沢寺は全焼後再建、江戸時代には津軽地方の総鎮守とされ、津軽氏により現在の拝殿(当時は百沢寺の本堂)や本殿(当時の下居宮)が再建されましたが、明治の神仏分離により寺院を廃止、津軽総鎮守・岩木山神社とされました。本殿・拝殿・奥門・楼門等が重要文化財に指定されています。

祭神:顕国魂神(うつしくにたまのかみ)=大国主神、多都比姫神(たつびひめのかみ)、宇賀能売神(うかのめのかみ)、大山祇神(おおやまつみのかみ)、坂上刈田麿命(さかのうえのかりたまろのみこと)


岩木神社と岩木山


楼 門(1628年)



中門より拝殿(1628)


拝殿より本殿(1694)


リンゴ農園にて

青森りんごの花が咲くのは5月前後、収穫時期は8月〜11月、生産地は北海道〜岐阜県、2016年の全国生産量は765000トン、青森県447600トン、長野県142100トン、青森では約50種が栽培され出荷されるのは約40種です。



     上:収穫まじかのリンゴ園
     左:こんな若木にも可愛いですね
     右:収穫されたリンゴ
     下:リンゴを育てています

























大森勝山遺跡と裾野地区文化交流センター
昨年訪れていますが、通過のついでに再訪、裾野分画流センターの現状をメールで問い合わせましたがなしのつぶてでした、案の定、去年より展示品も少なくなっていましたが、わざわざここへ来る人もいないのでしょう。でもこの山麓は縄文人が、あちこちに村落を造って暮らしたところですから、縄文時代に立ち替わってたたずむときが私は好きです。 

 
案内板が新しくなっていました、せっかくの遺跡をなぜ埋め戻したのですかね、
有名な秋田県の大湯環状列石は発掘した現状を保存なのにね、残念です。



これはイノシシを象ったものです、イノシシを飼育して豚としたのは弥生時代以降のようで


亀ヶ岡遺跡


遺跡入り口に建つシャコタンと娘 本物の国宝土偶はこちらをクリック
青森県つがる市の亀ヶ岡遺跡に生きた人々は、海の幸と落葉・広葉樹林に生活を守られながら、縄文時代における最高の文化をもっていました、亀ヶ岡土器は近畿地方にも及ぶ広がりを見せていますが、彼らは交易のために土器を作ったのではありません。彼らは縄文時代特有の上下の身分の差を持たず、男女・生物すべて平等の精神を基本して生きていました。
その証拠は彼らの生活の場所はすべて円形に象徴され、中心部は祭祀のための聖域、次は死者の墓域、その外が竪穴住居域、最も外は不要になったものなどを葬るところと決まっていたのです。

亀ヶ岡式土器は器面を研磨して、組成と精製を作り分けて、入組み磨消の縄文など華麗な文様で装飾性を強調しています、また土器の薄さも3mm前後と製造技術の高さでも群を抜いています。
亀ヶ岡を代表する遮光器土偶は自然界と生活の豊饒を祈るために作られた女性像で「シャコタン」として現在でもあちこちの場所で見ることができます。日本の東北部を覆いつくした亀ヶ岡文化は遠く九州までシャコタンを普及させました。



風雨にさらされて見にくいですがインターネットでは出てこない案内板です


亀ヶ岡式土器の数々







これは面白いですね遮光器土偶にもあるようです、接着剤はアスファルト

亀ヶ岡焼・「しきろ庵」のこと
亀ヶ岡遺跡はつがる市木造舘岡付近にありますが、その道中に亀ヶ岡焼・しきろ庵という一軒家があり、何となく訪れたところ、そこの土器はすべて縄文の模様が施され、遮光器土偶も大中小焼かれていました。ご主人の一戸広臣さんは故郷へ帰って33年、縄文と共に生きてこられて、毎年個展を開かれ大賞も受けられています、私たち親子は何となく話が合って長時間おじゃまをしてしまいましたが、縄文人への愛情は半端でなく、なんと庭には本物の竪穴住居が造られて、いろりを囲んで親しい友とお酒を酌み交わされるのだとか。なんとうらやましい生活かと感銘を覚えて、ここにご紹介しておきます。














竪穴住居  庵主と娘


駅でお迎えするのも遮光器土偶でした


五所川原市 立佞武多(たちねぶた)館

たちねぶた館は毎回訪れていますが、毎年作るねぶたが変わりますので今年もUpすることにしました。ねぶた館では同じ五所川原市でも北方・十三湖の北側で発掘された「五月女萢(そとめやち)」展を開催中で、大変すばらしい
発掘品がありました。これは第4回−2の方でご紹介します。






















右:東京の展示会に運ばれる3台目ねぶた、トラック20数台とのことでした


三内丸山遺跡


三内丸山は青森市内から近くすでに3回訪れています、遺跡や展示品に変わったところもありませんが、展示方法には多少の見やすさが工夫されています。青森最大の集落ですから発掘品の展示が他所に比べて大変少なく、多くは青森県郷土館にあると思っていますが、聞くところによると縄文時遊館を増設して発掘品の充実を図られるそうですから、完成時にはまた訪れてみましょう。


土偶の数々 以前は陳列棚に並べて置かれていましたがずいぶん見やすくなりました


可愛い土偶、作っている人の心が伝わるようですね


「青森郷土館」は県下の優れた発掘品で知られていますが、現在は展示場の改装中で文物がかたずけられていますので来年3月末まで見ることはできません。以前「青森県埋文」でお会いした主任学芸員主査のSさんがこちらに移動されていましたので、青森県の考古学調査などいろんなお話を聞かせていただきました。

        これで第4回−1を終わります、次回は新しい遺跡を4−2編にてご紹介します

    
青森空港のガラス越しに晴れ渡った八甲田連山


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