第107(122)回 10月 コダイ・ウォーキング レポート


京都の秋と機関車と


いよいよ季節は巡り秋冷のころとなりました。秋の京都では恒例の日頃未公開のところを開放する行事が始まりまし

た。台風一過、秋晴れの
お天気に恵まれて、なんとはなく歩くことの楽しさを味わいました


石清水八幡宮

平安時代始め、859年南都大安寺の僧・行教和尚が宇佐八幡宮(欽明天皇・571年頃創建・44000社ある八幡宮の総本社,

南に立つ御許山山頂には奥宮として三つの巨石を祀る大元神社があり、豪族宇佐氏の磐座信仰が当初の形態であろうと

言われています)にこもり、同年京都・男山の峯(143m)に神々を勧請したのがはじまり、朝廷は860年、同所に八幡造の社

殿を造営し遷座しました。今回はただ1週間公開される本殿に参拝します。野蛮な明治政府の神仏分離政策によって失わ

れたといえども、本宮の10棟が国宝であり重要文化財が多数あります。仏式で行われていた放生会もその際に「石清水祭」

と名を変えましたが、現在も大祭として葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられています。



男山の展望台、奥に比叡山、眼下に淀川そして京都盆地が一望できます



南総門より本殿を望む



本殿は十一棟よりなりいずれも国宝・これによって国宝数で奈良県を抜いて京都府が一番になりました



本殿:織田信長、豊臣秀吉・秀頼、徳川家光によって再建


ここでは本殿に昇殿して、おはらいを受けたのちに禰宜(ねぎ=宮司に次ぐ職制)によって本殿の中を約1時間丁寧に案内していただき、左甚五郎の彫刻がいっぱいありました。私は職業柄、神社でお祓いを受けたことはなかったので興味深い体験でした。建物は複雑に構成されていますので、雨じまいも複雑で織田信長による黄金製の雨樋もありました。
なお、祀られているのは応神天皇、三人の比(ひめ)大神と応神天皇の母・神功皇后です、神功皇后は仲哀天皇の妻で、仲哀亡き後政権を守り、朝鮮の三韓(新羅・高句麗・百済)征伐に身重ながらも陣頭に立って指揮をとったのち、大分で応神天皇を生んだことが語られています。北九州に縁深い人だったようです。


東 寺

西の方から東海道線・新幹線で京都へ入るときに、いつも迎えてくれるのが東寺の五重塔(54.8m)、日本の木造建築で最も高い建物ですが、何度も落雷・失火に会い、現存の塔は5代目(1644年・徳川家光)。

794年に平安京へ遷都し、当時は東寺と西寺がありましたが823年に弘法太師・空海が唐で密教を学んで帰国したので、嵯峨天皇は東寺を空海に托し、真言密教の道場が誕生しました。

今回はその中心である講堂を参拝しました。残念ながら1489年に金堂・南大門と共に焼失しましたが、ここだけはいち早く5年後に再建されました。ここには空海自らの手になる立体曼荼羅(曼荼羅を抜け出した、如来、菩薩、明王、そして天部の二十一尊の仏像)を参拝できる良い機会でした。

今はありませんが東大寺の七重塔は96m、室町幕府三代将軍・足利義満が建立した「高さは三六〇尺(約110メートル)」という相国寺七重塔の記録が残っています。


東寺南大門(重要文化財)




































左:五重塔(国宝:1644年、創建883年)  右:梵天像(国宝・講堂内、東寺案内書よりスキャン)



金堂(1603年豊臣秀頼再建、焼失1486年、国宝)内の薬師三尊像(重文、台座の下に十二神将、仏師康正作、案内書よりスキャン)



講堂内立体曼荼羅(中央の大日如来を取り巻く五像は重文、それ以外16体はすべて国宝、案内書よりスキャン)


京都鉄道博物館

1968年日本国有鉄道(国鉄)常務会で、1世紀にわたり日本の鉄道輸送を支え続けた蒸気機関車が1960年代後半以降は急速に姿を消していくことに対し、貴重な産業文化財と位置づけをした上で動態保存を目的とした日本初の施設を設置することが正式決定されました。
その決定を受けて1972年に国鉄により日本の鉄道開業100周年を記念して京都市下京区にある梅小路機関区の扇形庫を活用して開設されました。
その後、京都交通博物館として営業していましたが、2016年にリニューアルして、鉄道博物館となりました。
面積は31000uでJR東やJR東海よりも広大で、展示車両53両という日本最大の鉄道博物館です。

鉄道というと蒸気機関車が引く列車をいちばんに思い出すのは、私の高校時代まではすべて蒸気機関車の時代であり、太平洋戦争の敗戦後、小学2年生の3学期から、鹿児島県の片田舎の叔父の家に引っ越しましたので、大阪と鹿児島間を日豊線経由で往復していましたから、山間ばかり走る日豊線はトンネルと坂道ばっかり、登り坂では這うように昇って、トンネルの連続、一度はトンネルの数を数えていたのですが、200を超えるころに眠ってしまいましたので、いったいどれほどのトンネルがあるのでしょう、夏に乗ると坂にかかると窓ガラスを全部閉めて車内は蒸し風呂のようであり、且つ石炭の煤煙で顔も衣服も真っ黒になった24時間でした。そんな蒸気機関車が懐かしく京都駅近くの交通博物館へは何度も訪れています。
それからの時代は矢のごとく新幹線の時代になり、近々リニアモーターカーも出現する技術の進歩は目を奪われるようなすごさ。今日は蒸気機関車をたくさん楽しんでください。



新橋−横浜を走りました

















国産第一号の蒸気機関車









下左・新幹線500型時速320Km右は今はなくなった博多−新大阪間の特急
       「月光」と大阪−富山間の「雷鳥」















ディーゼルと電機機関車も忘れないように


動態保存されたD51型・ 1935〜1945年に1184輌製造・ 一機関車として最多製造記録を持っています 



















転車台に乗って方向転換する8630型



梅小路機関車庫(重要文化財) 1914(大正3)年竣工 
左端の機関車は昭和天皇が皇后さまと共に敗戦後の国民を元気づけるために全国津々浦々を回られた「お召列車」の機関車
当時私は鹿児島の志布志湾沿岸を走っていた古江線で初めて天皇・皇后陛下に会いました



蒸気機関車の最速はC52型での時速129Kmでした



今月の参加者の記念撮影・石清水八幡宮南総門にて


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