第103(118)回 4月 コダイ・ウォーキング レポート

2 days walking :徳島県の古代を歩く


今回は初めて四国へ渡りました、日帰りではいくらも行けませんので二日間のマイクロバスでのウォーキングとなりました。

徳島県はその全域を吉野川か貫いていますが、吉野川の本流は愛媛県・石鎚山脈の瓶ケ森(1896m・かめがもり)に発し、源流部は高知県境の所々になる日本で第12位194Km(1位は信濃川367㎞)の大河です。また三大暴れ川として有名で坂東太郎(利根川)・筑後三郎(筑後川)そして四国三郎と呼ばれています。

徳島県の下流域には古墳時代の古墳が立ち並び、古代から多くの人が住む土地でしたが、開発され埋め立てられた歴史は江戸時代に始まります。

今回は縄文時代から古墳時代までの主要な遺跡を訪ねるともに、大塚国際美術館で世界の名画を精細に陶板に焼き付けた永久に劣化しないその技術と、名画の数々を楽しみました。ついでと言ったら阿波の人々に怒られるでしょうが阿波踊りも楽しんできました。訪れた順にレポートします。


大塚国際美術館

鳴門市の鳴門大橋のたもとにあって、大塚製薬の創立75周年を記念して1998年に設立された日本で第2位の規模を誇る陶板画美術館です。世界25ヵ国・190あまりの美術館が持っている名画1000点以上を、原画に寸分たがわぬ複製の陶板画で、永遠に色あせない素晴らしい歴史を奏でています。年間22万人が訪れるそうです。レンズがボロッチイのできれいな長方形になりませんでした。



システィーナ礼拝堂主祭壇の『最後の審判』ミケランジェロ・ブオナローティ



ミケランジェロ 「システィーナ礼拝堂」天井画 (中ほど左の女性を覚えておいてください)



ミケランジェロ 「システィーナ礼拝堂」天井画 人間誕生を物語っています(下から上へ)



「ヴィーナスの誕生」サンドロ ボッティチェッリ(イタリア) 1483年頃 172.5 cm × 278.5 cm































「牛乳を注ぐ女」 ヨハネス・フェルメール 「真珠の耳飾りの少女」



レオナルド・ダ・ヴィンチ 「モナリザ」 77×53 cm























上:「最後の晩餐」の前でガイドさんの解説を聞く人々 右:天井画の中ほどの女性の陶板画の大きさ 下:地下三階、地上二階の大美術館




















大塚国際美術館-2 2018/1/2
きりがないのでこれで終わりますが、地下3階から地上2階まで約4kmにわたって絵画を楽しめます、神戸からも直通バスが出ていますが、駐車場との間をひっきりなしにコミュニティバスも出ています。とても一日では回れない美術館ですが、ちゃんとボランティアガイドさんが案内もしてくれます。


田井縄文遺跡

徳島市から約70 km南下した海部郡美波町が2001年に道路建設に伴う発掘調査により、縄文時代前期末~中期(約5,000~4,000年前)にかけての、主に石器を製作した跡とみられる遺構が発見されました。出土した遺物として土器・石器類が多く、なかでも注目されるのは様々な石を材料とした石器の道具やアクセサリー類です。石鏃にはサヌカイトや堆積岩、石斧には結晶片岩、耳飾には滑石や蛇紋岩というように、それぞれの道具に適した石を選んで製作していますが、これらの原材料は北九州・瀬戸内・東海などの産出であり、遠いいにしえに縄文人が、丸木舟などによって広く交流をしていた様子が各種の遺物から分かります。(美波町教育委員会) 

発掘品は徳島埋文センターにありますが、レプリカがJR由岐駅二階にあるポッポマリンで展示されています。海部郡美波町は
観光に大変力を入れていて、この縄文遺跡の38ページもあるカラー版の立派な無料冊子、かっての回船業の起点・日和佐港や23番札所の医王山薬王寺など、ゆっくりと歩きたくなるところでした。



















遺跡をそのまま保存してあります































  左上:いろんな石材の石器 
  右上:約11000年前のサヌカイト製モリなどの穂先 
  左:いつも乗ってくる10~15人乗りマイクロバス
  右下:石器の前で楽しくおしゃべり
  左下:由岐駅内の水槽には太平洋の魚たち























阿波おどり

日本三大祭り(秋田県羽後町の盆踊り「西馬音内の盆踊り」、岐阜県に伝わる「郡上踊り」)の一つ、誰もが知っているけれど実際に見たことのない人がほとんどですね。徳島市が造った会館では阿波踊りの400年余の歴史を紹介しており、実際に踊って見せてくれます。

徳島駅から新町橋を渡った500mのところにあり、夜の公演「毎日おどる阿波おどり」は、33連が毎日交代で出演し、各連とも趣向を凝らせた演舞を披露するそうですが、私たちが行った日は「ささ連」(1960年結成)という有名連の出演で、迫力とよく統制のとれたお囃子と個性的なおどりに感動しました。

始まりは阿波の藍商人が上方から買い付けに来る人々を接待するお座敷踊りから、次第に庶民のお祭りになっていったようで、毎年8月12~15日に徳島県各地で行われます。

観客の参加する場面もあって、お囃子に乗って踊ってみましたが楽しく踊っている間に、いつのまにか優秀賞の3人のうちの一人になっていました。


お囃子方→2016年の踊り風景をyou tuveでご覧ください



左端の女性は2016年徳島県阿波踊りのポスターに選ばれました




























          ささ連のシンボルと表彰式の風来坊主




総踊りで締め


徳島県立博物館


1959年に開館し1990年に現在の地「文化の森総合公園」に移転しました、広大な敷地内には近代美術館・文書館・図書館・21世紀館などがあります。このミュージアムの優れたところは広いスペースに誰もが楽しめる資料の展開がなされていることで、数多くミュージアムを訪ねてきましたが、その中でも五指に入るところでした。ここではこれまであまり見たことななかった古代の動物たちをご紹介します。


















建物自体が素晴らしい造形美でした



















      メガテリウム(オオナマケモノ)


















              スクレロカリプッス

















           パノックス



ステコマストドン象の巨大な牙 右の小さな象は1/5の縮尺


トクソドン:サイに似てカバのように水陸両用、草食性 南アメリカ 1万年前まで生きていました



マクラウケニア 南米大陸 ラクダかバクか


馬の仲間ヒッピディオンと猫の仲間スミドロン 南米大陸 1万年前に消滅




















     

     ヤベオオツノジカ(角の長さ4mを越えるのもいたそうです、
     岐阜県郡上郡)と日本の全域にいたナウマン象

































「鳥居龍蔵記念博物館」


人類学の先駆者「鳥居龍蔵博士」

鳥居博士のことは雲南省の少数民族を勉強している途中で知りました。それも大阪の国立民族学博物館で見つけた朝日新聞社刊(1990年)の鳥居龍蔵著「中国の少数民族地帯をゆく」という本からでした。

先生は明治3年(1870年)に徳島に生まれ16才のとき東京に人類学会が発足したことを雑誌で知って入会し、22才の時上京して東京大学の人類学教室の標本整理係となり、人類学の本格的勉学が始まりました。先生は小学校も出ていなかったのですが教授の好意によって理学、文学部のさまざまな講義の聴講を許されました。

1895年には中国の遼東半島、東北地方南部の調査に参加、1896~1900年まで東大から派遣されて4回の台湾高砂族の実地調査、北千島における千島アイヌ調査を行いました。

1898年には東大の助手となり、1902~03年には西南中国の少数民族調査、その後1906から08年には夫妻によって蒙古、中国東北部(満州)、朝鮮、シベリヤ東部を調査、1921年には東大の文学博士、翌年東大助教授、以後国学院、上智大学の教授そして1939~1951年まで北京の燕京大学から客員教授として招かれ定年で帰国するまで遼代文化を研究、1953年83才で逝去されました。1965年には徳島県が鳥居記念博物館を鳴門市に設立しました。
                         
      
1902年7月から9ヶ月にわたる西南中国の少数民族調査は、台湾の高砂族と貴州省の苗族との共通点を調査することを基本とし、武漢を出発貴州・雲南・四川省を経て重慶に至る、通訳一人を連れた調査行でその地を管轄する官憲が保護の任に当ってくれました。これらの地の辺境は宣教師や通行人が殺されたり誘拐されるなど不穏な土地だったのです。調査記録をまとめた「人類学上より見たる西南支那(=中国)」の主用部分を収めたものが、「中国の少数民族地帯をゆく」で、写真は先生自ら写されたものです。
                                   
この本を読めば100年前の西南中国の様子がありありと再現され、今日を知るものから見ればいかに困難な調査行であったかが偲ばれ、先生の偉大さが一層中国少数民族への興味を深くしてくれます。このホームページでも当時の昆明をご紹介します。

博士の自叙伝として「ある老学徒の手記」(全集・12巻)があり、日本の民族・人類学の先駆者として大きな足跡を残され、特に日本民族の起源論として北方系とインドネシア族、そして雲南を中心とする苗族系を指摘され、共通文化として銅鐸、米、草履、下駄、横穴墓、高床家屋、倭人のいれずみ、神話伝説などを挙げておられます。

(この項は拙著「風来坊主の旅日誌」中国編「風来坊主の写真館-24」よりコピーしました」
















































内モンゴル「遼」の第7代皇帝・興宗(1031~1055年在位)の東陵内部部分復元 日本の高松塚とは比較にならない大規模墓陵



南米ペルーの土器




先生収集の蘆笙(貴州省)



先生撮影の蘆笙を持つ少年・貴州省



























   左:現代・中国雲南省で吹く(風来坊主撮影)  右:日本の笙




鳥居先生の博士号


阿波国分寺と国分尼寺




















阿波国分寺跡に建つ曹洞宗薬王山金色院山門と聖武天皇時代の七重塔の心礎











































 上:門前にあった四国八十八か所霊場の看板
                      右下:この一帯が矢野遺跡



矢野遺跡:(矢野町・阿波史跡公園)縄文時代から中世にかけての非常に大きな遺跡、特に弥生時代は徳島県内の中心的 な役割を果たした集落でした。遺跡内では、竪穴式住居群跡 が見つかっており、弥生時代の中ごろから終わりごろにかけ ての竪穴式住居跡が100軒ちかく検出されています。集落内で 銅鐸埋納坑が検出され、これは全国的にも類例が少なくまた 銅鉾埋納坑に柱穴や建物跡が伴う例は、矢野遺跡と島根県の 荒神谷遺跡だけです。


徳島市立考古資料館

縄文~奈良・平安時代の考古資料を約700点、大変見やすく展示されています。ま、発掘品は他の地域と同じようなものですから、それは割愛して他では見られなかったものだけご覧ください。















































    
   三谷遺跡は徳島市内、眉山の南麓にある貝塚遺跡です、考古学の   発展に伴い米作りの年代がどんどん早まっていきます。




聖武天皇の全国に発令した国分寺・国分尼寺建立のみことのり(詔)実際には漢文で書かれています。


藍住町歴史館藍の館


藍は紀元前3000年前にインダス文明の遺跡から藍染めの染織槽跡を発見されたのが最も古く、藍はインド・エジプトをはじめとして世界中で人々の暮らしを彩ってきたのです。日本では飛鳥・奈良時代には藍の栽培がおこなわれていたそうで、弥生時代に米の栽培と共に入ってきたのかもしれません。安土桃山時代に徳島藩で藩の殖産事業となって貴族から一般庶民まで広く普及してゆきました。

阿波の藍商として栄えた旧奥村家屋敷の13棟の建物が昭和62年に11代当主奥村武夫氏から藍住町に寄附され、併せて13万点におよぶ奥村家文書も町所有となったのを機に、旧屋敷内に展示1号館を新設し平成元年8月1日に開館しました。設立目的は旧屋敷・奥村家文書・藍関係民俗資料(国指定)の恒久的保存と学術的利用をはじめ、藍の専門博物館として阿波藍の知識を普及するとともに、藍の生活文化の創造と藍の情報センターとしての役割を担っています。






















                                              旧奥村家の門前























藍こなしの作業

藍の作業工程:
栽培:3月中旬に種をまき7~8月下旬に藍葉刈りをして、その日のうちに1cm程度に切り刻む。
あいこなし:細かく刻んだ葉藍を庭で乾燥し、たたいて葉と葉脈を分離し、葉は葉、葉脈は葉脈で俵に詰め寝床に保管する。
寝せこみ:9月になると俵から出した藍を山積みしながら水を打つ、4~5日すると発酵して、摂氏65~70度の高温となる。
きりかえし:そこに積んだ葉藍が万遍に発酵するように20回ほど移動するこの重労働が100日ほど続く。
ふとんかけ:むしろで葉藍を覆い、平温になるまで待つ、12月初旬に蒅(すくも)が出来上がる。
すくも:むしろを外すと水分を含んだ蒅(すくも)は団子状になっているので、蒅が痛まないようにとおしでおろす。
俵詰め:蒅が出来上がったら俵に詰め(60kg)て保存、現在は蒅を溶かして染液をつくるが、昔は藍玉にして出荷した。


楽しんでいただけましたか?これですべて終わりです、
長らくお時間をいただきましたが2日間のレポートですからご容赦願います。


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