鞆の浦旅情 2017-1-3〜5

     

鞆の浦は広島県福山市からバスで南へ30分、56月には鯛網漁で知られる漁港ですが、万葉集で大伴旅人などに詠わ

れる瀬戸内随一の風光明媚なところで、瀬戸内海の中間に位置するため東西から満潮時に潮流が流れ込み、古代〜近

世には汐待の港として栄え、江戸時代には福山藩随一の商都として栄えました。

町並みは江戸から現代までが混在していますが、街路はいずれも石畳で覆われ、大きな商家と共にいにしえの繁栄ぶ

りが偲ばれます。135日に恒例の家族旅行で出かけましたときの思い出の一端をご覧いただきます

「吾妹子が 見し鞆の浦のむろの木は 常世にあれど見し 人ぞなき」 大伴旅人

足利尊氏は鞆で1336年京に上る途中この地で光厳天皇より新田義貞追討の院宣を受け、以来200年にわたって足利時代

を築きました、足利義昭・第15代将軍の時、織田信長に追われて一時「鞆幕府」を立てましたが結局足利時代は鞆で

始まり鞆に終わる(頼山陽)こととなりました、近世では坂本龍馬率いる海援隊の「いろは丸」が紀州藩の船と衝突、

沈没しその談判が鞆の町で行われました。


鞆の浦黎明 前の島は仙酔島



沼名前(ぬなくま)神社 創建西暦190年代? 祭神:大綿津見命・須佐之男命



秀吉の組み立て式能舞台(重文)秀吉→徳川秀忠→水野勝成・福山初代藩主→神社・固定式に変更



福禅寺対潮楼より仙酔島 朝鮮通信使はここの眺めを「日東第一」と名付けました


朝鮮通信使とは:朝鮮は倭寇に苦しめられていましたので、その禁圧対策を講じるために派遣されたのが始まりとなり、14世紀室町時代から江戸時代まで11度の外交団が日朝交流を果たしましたが、必ず鞆に宿泊しましたので、江戸時代には沿道を大提灯や幕で飾って大歓迎しました。

ところで、この対潮楼で面白い写真を見つけました、幕末の志士たちが一堂に会したもので、写真にはそれぞれの名前が載せられています。私は明治には全く興味がないので、この写真を載せた「幕末 維新の暗号(上)(下) 群像写真はなぜ撮られそして抹殺されたのか」加治将一著・祥伝社文庫を買って、写真をスキャンしました。この写真は2004年に朝日・毎日・日経に
額入りで一枚100000円で売る広告が載ったという話が出ていました。興味のある方には本をお貸しします。





幕末時代の風俗と侍の身分までわかるようで面白いです



福山市鞆の浦歴史民俗資料館:箏曲家・宮城道雄像 両親が鞆出身 鞆の海をイメージした「春の海」は代表作


鞆の街並み
















































保命酒(江戸時代)発祥の家



石畳の美しい路



かっての蔵を利用した「鞆の津ミュージアム」





















懐かしさを覚えますが車が来ると大変



常夜灯の下の私の家族



鞆にはCafeがたくさんあります、蔵を利用したCafeの木組み



鞆港とシンボルの常夜灯



鞆漁港



阿伏兎観音 昔は航海の安全、いまは安産とお乳が出るようにお参りします



お乳がいっぱい



海の色が美しい



仙酔島の波止場





















仙酔島遊歩道と海水を煮詰めて天然塩を作っています



五色岩:世界で55ケ所、日本ではここだけ 流紋岩質凝灰岩の風化によっていろんな色をおびています



鞆の黄昏

                                             (使用カメラ:ニコンD700・レンズ:シグマ17〜35mmF2.8〜5.6)


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