第95(110)回 6月 コダイ・ウォーキング レポート


平城京跡と新装なった奈良国立博物館


私たちの行くところはいつも雨のほうが遠慮してくれて、しょぼついても雨降りにならない、110回のウォーキングで雨の記憶は二度くらい、それも半日も降らないで晴れてしまう不思議な集団です。
最終的な目的は長らく休館していた奈良国立博物館(仏像館)が4月にオープンしましたので、西新館では和紙の歴史と、新装の仏像館や中国古代の銅器館を楽しむことにして、午前中はどこに行くか思案しましたが、結局平城京跡はこれまで全体を通して歩いていませんので展示館を楽しみながら歩きました。

平城京(ならのみやこ)跡
708年藤原京より元明天皇が詔(みことのり)して710年に遷都、以後784年に長岡京へ遷都するまでの74年間奈良の都は、中国の長安城の三分の一の規模ながら、20数万人をかかえる都としての機能をすべて備えていました。

私たちは2005年11月第6回ブッダ・ウォーキングと2008年3月第12(28)回・2010年3月第32(48)回そして2010年9月第36(52)回コダイウォーキングで平城京跡を訪れていますが、2010/9に初めて大極殿に入ることができました。

今回の訪問は5回目になるわけで、訪問回数では断トツですが、これまで朱雀門から入り大極殿の裏へ出ることはなく、また展示館も今ほど充実していませんでしたから、記憶は曖昧で今回十分に見学することができました。

私が初めて平城京跡を訪れたのは高校生の頃で61年も前のこと、その時は草ぼうぼうの真ん中の木の杭に「平城京跡」と書かれていただけでしたから、現在の有様と比べて感慨深いものがあります。



ここは国道369号線をはさんだ奈良市役所前、元警察署のあったところで弥生時代の水田跡が見つかりました、
雨で誰もいないのでわかりませんがかなり広い水田らしいです、右の方向が平城京跡へと続きます。



朱雀門:1998年復元、ここより朱雀大路が現在の郡山市まで4.5Km続いていました



朱雀門より600m隔てた第一次大極殿を見る、架線は近鉄奈良線・1914(大正3)年大阪電気軌道として開通



1914年当時生駒山を貫通するトンネル工事は技術的に困難を極め、一時はケーブルカーで山越えする案まで出たとか、
社長の岩下清周さんが私財を投げうち、大林組が3338mの大工事を完成、大阪−奈良がほぼ一直線に結ばれました。
現在は阪神電鉄が相互乗り入れして神戸−奈良が乗り換えなしで利用できます。


復元事業情報館


第一次大極殿(710年)は784年に長岡京そして平安京へと遷都後は打ち捨てられ廃墟となっていました。奈良建都1300年に当たる2010年に合わせて平城宮跡に第一次大極殿が実物大で復元され、これには極力当時の工法が使用され、現在目にしている建物は奈良時代と変わらないところに、大きな意義があると思っています。







































左:墨壺・一直線に墨で線を引きます  右:ちょうな(手斧)当時はまだ鋸はありません、楔で木を割っていました











































左:やりがんな(今のようなカンナはありません)鉋屑とたたきのみ    右:和釘(砂鉄より鍛造)、錆びません








































左:古代の継手  右:木組みの様子



ひな形(ためし):当時も縮尺模型を造っていました


法隆寺・薬師寺の宮大工棟梁「西岡常一著・木に学べ」より
(1908〜1995年奈良県斑鳩うまれ、祖父を師に宮大工になる、法隆寺金堂・法輪寺三重塔・薬師寺金堂、西塔の復元を果たした最後の宮大工棟梁、文化功労者)

ヒノキという木があったから、法隆寺が千三百年経った今も残ってるんです…、法隆寺の伽藍の材料が大体か千三百年ぐらいで伐採されて…。ヒノキは最も樹齢が長く、台湾には二千六百年ものヒノキがあるんです…。その樹齢の長いヒノキが日本には残ってません…。法隆寺や薬師寺の堂や塔を建てるためには、台湾までヒノキを買いにいかなあならんのです。

西岡さんのただ一人のお弟子さんの「小川光夫著・棟梁、技を伝え、人を育てる」より
(1947年栃木県生まれ、高校の修学旅行で法隆寺を見て宮大工を志す、西岡師匠に何度も断られながら、他所で大工修行を重ねてついに内弟子となる。法輪寺三重塔・薬師寺西塔・金堂再建では副棟梁を務める。1977年独自の徒弟制度(寝食を共にする)による「鵤工舎」を設立して独立、数々の寺社建築の棟梁を務め、2003年「現代の名工」に選出される。著書:前記・「宮大工と歩く奈良の古寺」「不揃いの木を組む」「木のいのち、木のこころ」ほか)

作業や道具の使い方を教えてくれるわけでもない…、後にも先にも一回だけ、「これと同じような鉋屑を削れるようにしろ」と自分で削った鉋屑を一枚くれた…」、向こうが透けて見えるような、均一な見事な鉋屑やった。



大極殿




道に埋められた案内板



役所:律令制では二官八省が置かれ、約7000人の役人が勤務していました。
彼ら日の出とともに仕事をはじめ、正午をもって退庁していたそうです


平城宮遺構展示館


ここでは平城宮の発掘調査に基づく遺構を発見当時の状態で保存展示しています、第一次大極殿の後、聖武天皇は都を山城の恭仁京そして難波宮へ行き、再び戻ってきて745年に第二次大極殿が造営され、第一次は他の建物群に建て替えられました。



第二次大極殿跡



内裏正殿:掘立て柱、萱葺きの建物でした



掘立て柱遺構露出展示:何回も建て替えられたようですね



















上水路と下水路


奈良国立博物館


今年4月29日に「なら仏像館」は2ヶ年の改修工事を終え、リニューアルオープンしました。展示ケース・展示台そして照明設備などが一新され、免震機能・高透過ガラス・低反射フィルムなどを用いて、スぺースもゆったりとして美術館として立派になりましたが、それに比して仏像を拝む心は生まれてこないようです。
その横に「青銅館」が新設され、中国の5000年前(商・殷時代)から始まる青銅器の数々が時代・種類ごとに展示されて見事なものですが、我が国はそのころ縄文時代の土器が最も多く作られたころで、土と銅の違いが国民性までも違えているように思いました。

ここではその展示物はお見せできませんが、内外をちょっとだけご覧ください。



仏像館は元々の博物館で1894(明27)年に建造されました



















博物館中庭と奈良公園の鹿

7・8月は猛暑のためウォーキングはお休みです、8月3日(水)に大阪国立美術館へ「中国の秦皇帝の兵馬俑」展を見て以後、恒例の「納涼・カラオケ大会」を開催します。詳細は近々「おおさか物語」と広場にUpします、どうぞご参加くださいBye


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