「熊本県を中心とする震災を悼みお見舞いを申し上げます」


第93(108)回 4月 コダイ・ウォーキング レポート

椿の名所を訪ねる


いよいよ花の季節が巡ってきました、今年の春は椿の名所を京都に求めて歩きました、一年にただ七日または十日しか開園しない椿の名所があるのですが、いずれも今年の椿の時節にはちょっと遅すぎたようです。それに比べて桜の花はどこも満開、色とりどりの花に誘われてしまいました。訪れた寺社は6カ所、それでは皆さんと共に花を愛でてゆきましょう。



霊鑑寺にて


真如堂

992年創建、比叡山延暦寺を本山とする天台宗の寺、紅葉・桜で有名。応仁の乱をはじめ度重なる火災により堂塔は焼失し、足利将軍家や豊臣秀吉により京都市内の何カ所かを転々としたのち、元禄6年(1693年)、現在の場所に再建されました。














































落椿と本堂(重要文化財・1717年)前の桜






左:「涼しさの 野山に滿つる 念仏かな」 向井去来(蕉風十傑)

右下:真正極楽寺真如堂 境内と三重塔(1
817年)

ここには優れた庭園と元三太師堂・薬師堂などがあります



 



























大豊(おおとよ)神社


887年宇多天皇の病気平癒祈願のため藤原淑子が創建、銘木しだれ梅、日光(じっこう)・侘助などの椿が多い、神社背後の山を椿ヶ峯と呼ばれここから椿ゾーンが北へと延びてゆきます。、哲学の道の「ねずみの社」として全国より多くの参拝者を迎えています。



真如堂付近より見る東山・如意が嶽:左上の樹のないところが送り火の「大」文字












































白川疎水・哲学の道付近と大豊神社参道



こまねずみに守られた小さなお社
大国主命が野火に囲まれ困っているとき、ネズミが洞穴に導いて命を救ったという
『古事記』の記述によって1969年に制作されたのが始まりです。
































霊鑑寺


臨済宗南禅寺派門跡尼寺、1654年(江戸時代・この年近松門左衛門生まれる)後水尾天皇の皇女を開基として創建、椿の銘木があふれている、御所人形など皇室ゆかりの寺宝200点、石組に特徴のある江戸時代中期の池泉観賞式庭園がある。公開時期が短いですがさすがに立派なお寺、主要な部屋には必ずガイドがいて説明してくれます、庭のところどころにおいてある床几にも椿が活けられていました。では椿を愛でつつ進みましょう。











































利休梅(バラ科)の花と霊鑑寺山門



霊鑑寺玄関の椿



ちょっと時節が遅すぎました


霊鑑寺の庭園(←クリック下図はサムネイルではありません)



法然院
浄土宗系単立寺院、鎌倉時代初期、法然上人が弟子の住蓮・安楽と共に六時礼讃を唱えた鹿ケ谷の草庵を、江戸時代初期1608年知恩院第三十八世萬無和尚が法然上人ゆかりの地に念仏道場を建立することを発願し再興。参道の藪椿の大樹、中庭の三名椿は春秋の公開時しか見られませんが、私たちの行ったときには全て落ちつくしていました。




















ほどよいところで昼餉そして法然院へと向かいます



法然院山門のかやぶきの屋根






















京都らしい庭

手水鉢二題(←クリック)


地蔵院椿寺(北野白梅町)


726年行基菩薩が聖武天皇の勅願によって摂津国の昆陽野池(兵庫県西宮市)のほとりに建立したが始まり、その後、平安時代に衣笠山麓(京都市)に移され、室町時代初期に戦災で焼失しましたが、足利義満が金閣寺建立の余財で再建し、1589年に豊臣秀吉の命によって現在地に移りました、地蔵堂の地蔵菩薩は行基菩薩作、豊臣秀吉が寄進したという「五色八重散椿」が有名。当時の木は枯れ、現在樹齢200年の二代目です。  























銀閣寺付近の哲学の道の賑わいと地蔵院山門



豊富秀吉の「五色八重散椿」:加藤清正が朝鮮から持ち帰り秀吉に寄進した名樹の二代目、花弁が一枚づつ落ちるそうです






      椿の数々と地蔵院境内(←クリック)


「椿」
日本原産、ツバキ(椿、海柘榴)又はヤブツバキ(藪椿)はツバキ科ツバキ属の常緑樹、日本内外の近縁のユキツバキから作られた数々の園芸品種、中国・ベトナムの原種や園芸品種を総称的に椿と呼びますが、同属のサザンカは椿とは呼んでいません。

樹の大きさは平均5〜6m、中には樹高18m直径50pの例もあります、成長は遅く寿命は長い。

分布は、日本では本州・四国・九州・南西諸島、国外では朝鮮半島南部・台湾、ツバキは海岸沿いに青森県まで分布し、近縁のユキツバキは内陸標高の高いところに住み分けます。

花色・花形・花の大きさが非常に多く、地方によっても特徴が見られます。

古くから日本人に愛され、京都・龍安寺には室町時代の椿があるそうです、江戸時代に多品種が生まれましたが実から椿油を産し、葉のエキスが止血剤になり、「万葉」の時代から知られており、733年「出雲風土記」にその名が出てくるそうです。

中国では、隋王朝第二代皇帝・煬帝の詩の中に「海榴」「海石榴」として出ており、外国から来たことがわかります。

欧州には17世紀にオランダ商館員の著書によって紹介され、18世紀にイエズス会士によって花の種が持ち帰られ、19世紀には園芸植物として大流行し、小説・オペラとして名高い「椿姫」の主人公がいつも身に着けていた花で、皆さんもご存知ですね。(ウィキペディア百科事典より適宜選択)


平野神社


古く平城京より遷都の折に移された神社で、珍種の桜が10種、その他それぞれ名前のつけられた銘木がたくさんあります、最後はやっぱり桜で締めましょう。本殿は4殿2棟からなり、いずれも「平野造」と称される独特の形式の造りで国の重要文化財に指定されています。






















大変な人出でした

いろいろな桜と椿もありました(3枚ごとのサムネイル)



大変長くなりました、京都市内が花盛りなら、このホームぺージも花でいっぱい、この一日で写したのが225枚、それを編集して残ったのが77枚、そのなかからここにふさわしいのだけ集めてみました、お楽しみいただけたでしょうか?
全体的に椿は半月以上早く咲いてしまいましたが、霊鑑寺と地蔵院椿寺そして平野神社は名所として、古くから人々が愛し、より美しくと丹精込めてきた歴史を感じる一日となりました。

ここまで園芸品種としての成果を見てきますと、やはり原生種のままに生きている樹々が見たくなるのも致し方ないことで、次の週には奈良県宇陀市・仏隆寺の千年桜と9年ぶりに再会しました、前々日の市報では二分咲きだったのに、前日の強い雨風によって、ちょうど満開という奇跡的な現象に合うことができました。この様子は「おおさか物語・関西紀行・桜の記憶」編にUpしています。

関西では、はや椿も桜も散ってしまいましたが、桜前線はどんどん北上中、関西以北の方々はどうぞ美しい桜花をお楽しみください。五月には三たび東北の縄文時代を尋ね、リンゴの花を見るためにお岩木山にも足を伸ばすつもりですBye

熊本県の地震災害を悼み、お見舞い申し上げます。日赤を通じてわずかながら支援金をお送りいたします」
コダイ・ウォーキングの会


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