第90(105)回 2016年1月 コダイ・ウォーキング レポート


壱岐島(一支国)の古代を学ぶ

さて、壱岐島とは玄界灘に浮かぶ小さな島、佐賀県の北方・沖合にありますが、そのさらに北方の対馬とともに所属は長崎県。2004年までは島内に四町ありましたが,現在は全島が壱岐市になっています。南北17q・東西15q高さは100m前後の丘陵地帯が続き、最高所で213m、人口は約29000人、産業は漁業と農業・焼酎(大麦)・壱岐牛。

この島が「魏志倭人伝」に弥生時代の「一支国」として登場している処であり、王都が国の特別史跡の「原(はる)の辻遺跡」、古墳時代にも国史跡「壱岐古墳群」として「笹塚・双六古墳」の出土品が重要文化財に指定され、東南アジアとの交流の窓口として倭国「やまと王朝」そして他の国々へと大きな役割を果たしてきました。

今回、壱岐市立一支国博物館と大阪府立弥生文化博物館が共同して展示会が開催され、一支国の多くの資料を通じて古代の人々の活動ぶりを知ることができたのは、単独では行けなかった地域でしたから、大変興味深く楽しむことができました。

このホームページでは、王都・原の辻遺跡と長崎県でも最大の前方後円墳・双六古墳を中心にご紹介してゆきます。
(参考文献:弥生文化博物館発行「海の王都・原の辻遺跡と壱岐の至宝」、ウィキペディア、コトバンクなど)
中国「魏志倭人伝」の見た一支国
『対馬国を南に千里ほど海を渡ると一支国がある、対馬国との間の海を「澣海(かんかい)」と呼んでいる。この国も対馬国同様、大官(卑狗)と副官(卑奴母離)がいる、広さは約三百里平方、深い森はなく林がある。家は三千余り。良い田が多いが一支国の人々が食べるに足らない、やはり対馬国と同じように北や南との交易で暮らしている』。
参考:現在の所帯数約11600戸(2015年12月現在)


壱岐島における弥生遺跡一覧(全65遺跡)


 赤印:14〜16カラカミ遺跡、24・28〜31車出遺跡群、44・50・52原の辻遺跡                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     

古墳一覧(全115号墳)


赤印:34国史跡・双六古墳、25・28・37・67・68いづれも国史跡


原の辻遺跡の歴史
1:石器時代・縄文時代を通して人々が定着生活を送った形跡がない
2:BC300年、日本に農耕文化が伝わり弥生時代が始まる
3:BC200〜100年、原の辻に集落が誕生し、船着き場が造られ、多重の環濠によって海上都市が確立される
4:BC0年、朝鮮半島との交易が盛んになり、対外交流の拠点となる、大水害により原の辻が壊滅し他所へ分散
5:AC57年、倭の国王が後漢に朝貢し、「漢倭奴国王」の金印を授かる
6:AC107年、原の辻集落が再整備され、祭祀場が造られる、倭国乱れ卑弥呼を立てて争いが終わる
7:100〜200年、一支国の王都として最盛する
8:239年、邪馬台国の卑弥呼が魏に朝貢する、248年卑弥呼没する、古墳時代の幕開け、船が大型化し航海術が上がる
9:266年、女王壹与が西晋に使いを送る、伊都国に一大卒が配され交易の拠点となる、この頃集落の解体が始まる
10:350年、原の辻集落が終焉を迎える
   (伊都国についてはここをクリックしてください)


いえねこの始まり:従来兵庫県姫路市の味野古墳6号墳から猫の足跡のついた須恵器が発見された(6〜7世紀)のが
最古とされていましたが、古墳時代よりさらに500年も古く、渡来人が大陸より持ち込んだ猫が最古となりました




大きな甕は交易品の貯蔵・保管・運搬に使われたのでしょう



これは車出遺跡から出土したもので真ん中の取っ手のついた石はクド石で
三角に並べてその上に土器を載せて煮炊きをしたものです、一支国独特の製品です



祭祀用の人面石



双六古墳出土の大陸の土器


双六古墳

標高100mほどの丘陵に構築された長崎県最大の前方後円墳、全長91m後円部直径43m高さ10m、石室は横穴式で全長11m、この古墳の北方にある円墳の笹塚古墳は直径70m高さ10m、ここからは副葬品として多種の金銅製馬具、アクセサリーなどが出土しています。折角ですから弥生文化博物館の「壱岐の至宝」ガイドブックよりスキャンした画を見ていただきましょう。
私は今回、どうせ撮影禁止だろうと小型カメラしか持ってゆかなかったので、ガラスの反射は写るはでいい画像が少ないのです。

















































笹塚古墳出土の金銅製金具類:



左図の文様はパルメット=図式化した花弁または葉文が扇状に広がった模様をいう。シュロを意味する palmから派生した語。
ギリシアではこの形をアンテミオン (忍冬〈スイカズラ〉) という。その原形は古代メソポタミアに始り、古代エジプトの
ロータス(ハスの花の文様) とともに、ギリシア時代に現今のような形式ができあがり、古代世界一帯に広く伝播した。
 

さて、壱岐の弥生時代を満喫した私たちは、恒例の新年会。蓬莱本館でたらふく中華バイキングを食べて満腹し、そのあとはこれまた恒例のカラオケでお腹をすかせて帰りました。



2月は兵庫県、丹波龍を訪ねてのちに篠山でイノシシ鍋を楽しみます、たくさん来てくださいねBye


表紙に戻る