第9回ブッダ・ウォーキングレポート


天気予報は雨、それでも降られたのは午後と夕方の短時間、一行9人は昨日20Kmウォークに参加された81歳のM御大を中心に登山も含めた、飛鳥〜奈良時代の最後を飾るにふさわしいウォークとなりました。


当麻寺(タイマデラ)


聖徳太子の弟の麻呂子親王が河内国に建立した(612年)禅林寺を前身として、親王の孫の當麻国見が現在の二上山東麓の地に移して創建(681年)しました。

平安時代末期に浄土信仰が高まると、中将姫(藤原鎌足の曾孫・豊成の子、8世紀中・聖武天皇の時代に生まれる)が蓮の糸を使って西方浄土を織り上げたと伝えられる「當麻曼荼羅」(国宝・非公開・中の坊蔵)が信仰を集め現在も寺の本尊となっています。

本堂(曼荼羅堂)には国宝の内陣(天平)・外陣(藤原)そして源頼朝の寄進した須弥壇上に、天平時代の六角の厨子(国宝)が置かれ、そのなかに阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩を真ん中に極楽の有様が見事に織り込められています(但しこれは織物でなく1502年に転写されたものです・重文)。

広大な境内には東西の三重塔(国宝・天平時代)を並び立てて、金堂・講堂が北と南に配置されていますが、現在の本堂は境内の奥に東向きに建てられています。金堂の本尊である弥勒菩薩像(国宝・白鳳時代)は当麻寺創建当時そのままに、粘土で作られ金箔を張られた様子は今もって神々しく輝いておられました。これはどの御堂も扉を明けっ放しにせず、電灯設備もつけないありようが効果を発しているとの堂守のお話に納得しました。

この寺は古くは南都6宗(法相・華厳・律・三論・成実・倶舎)の一つ三論宗を奉じていましたが、現在は真言宗と浄土宗が並存する珍しいかたちになっています。また中の坊の牡丹園は大変有名ですからものすごい人出になるそうです。

以上当麻寺を簡単にご紹介しましたが、曼荼羅や金堂内部など詳しく見たい人は当麻寺のホームページをご覧ください。


東大門


鐘楼・日本最古の梵鐘(白鳳時代・国宝)

正面が本堂(国宝・曼荼羅堂)・左:金堂・右:講堂(いずれも重文)

































   天平時代の三重塔(国宝)左:東塔(手前は中の坊)右:西塔



数奇な運命をたどったと伝えられる中将姫像

岩屋峠へと登る

予定を変えて鹿ヶ谷寺跡へ行くために二上山の雌岳に通じる岩屋峠を登ることにしました、この路は登山道で
みんなしっかりと頑張って登りました。峠からは遠く下の方に花火で有名なPL教団の平和祈念塔がかすんでいました。

























岩屋峠へとがんばる



















                     岩屋峠の千年杉                   峠の名前の由来の素朴な仏塔と線刻の仏様



万葉公園・梅の下での昼食


鹿ヶ谷寺跡

奈良時代の石窟寺院跡、かつてこの周辺から日本最古の貨幣といわれる、和同開珎が出土しています。
石窟の壁には阿弥陀如来と観音・勢至菩薩像が線刻されています。


















小さな広場には庵があったのでしょう、線刻の仏様は消えかけていました


推古天皇陵


日本最初の女性天皇、欽明天皇の皇女、敏達天皇の皇后で竹田皇子・聖徳太子の妃など二男五女の母、39歳のとき飛鳥豊浦宮で即位(母方の叔父は蘇我馬子)、甥の聖徳太子を摂政とし、大陸の隋との交渉によって先進的な政治制度や文化、芸術などを積極的に吸収し、政治の改革や仏教文化を中心とした飛鳥文化を花開かせました。彼女は当時としては大変な長寿で628年に75歳で逝去しました。
途中でいつものことながら道をとり間違って、やむなくこの場所から遥拝したところ、後ろの空き地に土筆がいっぱい!のご利益にあづかりました。


推古天皇陵

小野妹子の墓
推古朝の外交官、古代和邇部(わにべ)氏の同族で近江国滋賀郡小野村(大津市)出身、日本書紀によると607年に第1次遣隋使の長官として中国に渡りました。
この時、隋の皇帝・煬帝宛ての国書に「日が昇るところの天子が日が沈むところの天子に手紙を差し上げる」と書いてあり、これは日本が隋と対等の立場に立とうとする内容だったため皇帝は怒ったといいます。
しかし、朝鮮半島の支配に乗り出そうとしていた隋にとって、日本との交流は好都合だったので国交が実現しました。
ちなみに、小野氏は語学・学問に堪能な一族で、のちに歌人の小野小町や書家の小野道風なども出しています
翌608年、留学生とともに再び隋にわたった妹子は、アジアにおける日本の地位向上や、大陸文化をとりいれることに力をつくしました。



















                    墓への上り口                             小さな塚がある


聖徳太子廟(叡福寺
聖徳太子は574年用明天皇の皇子(厩戸皇子)として誕生、593年推古天皇により皇太子として摂政に任じられました。
601年斑鳩宮を造営し、冠位十二階、憲法十七条、遣隋使の派遣、四天王寺・法隆寺の創建など仏教を中心にした政治・外交を展開し、日本国の確立に推古女帝とともに尽力しました。然し、622年48歳のとき伝染病のため皇后などとともに逝去しました。































             御廟には母と妃とともに祀られています                     美しい水煙を掲げる二重塔


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