87(102)10月 2days walking レポート

錦繍の信州と縄文時代



尖石縄文遺跡集落の復元


長野県は縄文時代に最も栄えた地域の一つであり、今回紅葉のど真ん中を楽しみながら遺跡を巡ることとしました。
霧ヶ峰・諏訪湖(標高798m)の南方、八ヶ岳西麓と南アルプス北端に位置する茅野市を中心とする中部高地には、紀元前4000年頃の縄文時代に最も繁栄した大小300以上の集落遺跡があり、狩猟・採集と一部栽培の生活をおくり多彩な土器制作技術を持っていました。土器は4500年前頃・縄文中期に人面把手付土器の出現を初めとして、3000年前頃より弥生時代へと移ってゆきます。

私たちは201211月に滋賀県の
ミホミュージアムの「土偶コスモス展」で茅野市発掘の国宝「縄文のヴィーナス」など主要な土器を見ることができ、また同年12月には大阪弥生文化博物館で規模こそ小さな展示でしたが、「八ヶ岳山麓の縄文世界」展で、中部高地の概要を十分に伝えてくれました。(詳細は左の青字をクリック)

そんな山間に展開する縄文世界をこの目で見るべく今回の企画となりました。ここでは代表的な特別史跡・尖石遺跡と隣接する「茅野市尖石(ちのし・とがりいし)縄文考古館」を訪れ、国宝第1号「縄文のヴィーナス」と2014年に新たに国宝に加えられた「仮面の女神」をはじめ、優れた出土品を見ることができました。

その後一路錦秋の蓼科高原・白樺湖を北上し、縄文時代にこの地方が栄えた原点である黒曜石のミュージアムなどを経て千曲川へ、戸倉上山田温泉で一泊して千曲市の長野県立歴史館で信州の古代を総括して、安曇野にある「安曇野ちひろ美術館」にメルヘンを訪ねながら松本市へと向かいました。


塩尻駅までJRを利用し、以後松本まではレンタカーで回り、帰りは高速バスを利用しました
。紅葉には少し早かったようですが好天気に恵まれて、かいま見る後立山の稜線には新雪が消えずにこのまま冬へと向かうのでしょう、つるつるに凍った稜線を歩いた日々を昨日のことのように思い出していました。


縄文時代の信州と他の世界の動き

長野県立歴史館にて撮影(平安以降は削除してあります)


茅野市尖石縄文考古館



縄文考古館

尖石遺跡は昭和初期から発掘調査が始められ、日本で初めて縄文時代の集落研究が行われました。発掘された膨大な資料のために1955(昭30)年に「尖石考古館」が建設され、1979年に現在地に移転増設、史跡内の土地の公有化がすすめられ、更に2000年に史跡公園のセンターとして再建設されました。館内には国宝の土偶二体をはじめ約2000点の遺物が展示されているさまは圧巻です。余分な解説をせずひたすら縄文時代に立ち返られる展示は素晴らしいと思いました。では館内に入ってみましょう。











































国宝・「縄文のヴィーナス」棚畑遺跡・縄文中期


































国宝・土偶(仮面の女神) 中ッ原遺跡・縄文後期



深鉢・富士見町徳久利遺跡・縄文中期 こんな複雑な文様の土器が多いのです



土器につけられた顔面把手



国宝・鉢型土器・中ッ原遺跡・縄文後期前半(約4000年前)他にも土器4点国宝があります



縄文人の衣服・試着できます
編布(あんぎん)と呼ばれ麻やイラクサ科のカラムシの糸を簡単な織機で布にしていたようです



諏訪湖を中心にした遺跡の分布 上部中央が尖石遺跡群・左上は霧ケ峰高原・左下中央はJR辰野駅


尖石縄文遺跡


































 縄文時代の考古学の発展に尽くした人々


尖石遺跡の住居跡(219軒)の分布



33号住居跡から埋め戻された集落跡地を見る



































左:1952年特別史跡にしてされました 右:遺跡の名前の元になった三角石・左上の部分で黒曜石を研いだようです


















左:八が岳西麓(右奥・天狗岳2646m)  右:白樺湖


黒曜石体験ミュージアム


約30000年もの間、割れば鋭く加工しやすい黒曜石は石器の材料として使われてきました。
黒曜石の実用になる産地は限られていて、北海道網走西部の白滝村、長野県霧ヶ峰周辺や和田峠、静岡県伊豆天城(筏場や柏峠)、熱海市上多賀、神奈川県箱根(鍛冶屋、箱塚や畑宿)、東京都伊豆諸島の神津島・恩馳島、島根県の隠岐島、大分県の姫島、佐賀県伊万里市腰岳、長崎県佐世保市周辺などの山地や島が知られています。

超古代における黒曜石の流通は驚くほど広範囲に伝えられ、例えば伊豆諸島神津島産出品が、後期旧石器時代(紀元前2万年)の南関東の遺跡で発見されているほか、伊万里腰岳産に至っては、対馬海峡の向こう朝鮮半島南部の櫛目文土器時代(紀元前8000年から1500年)の遺跡でも出土しており、隠岐の黒曜石はウラジオストクまで運ばれているそうです。

尖石遺跡を中心とする中部高地の集落群は前記の和田峠から車で1時間程度の近さですから、生活用具・狩猟用など縄文社会が発展する原点になったことは明白です。和田峠の麓にある男女倉遺跡(和田村)や大門峠の付近にある鷹山遺跡(長門町)は、出土した遺物が豊富で規模の大きい遺跡として知られています。そして黒耀石の産出地をひかえているこの依田窪地方は、旧石器時代には黒耀石の交易路として、重要な意味をもっていたことでしょう。



黒曜石体験ミュージアム正面



黒曜石の誕生(カメラブレです)



直径3m深さ3mの穴を掘って黒曜石を探しました



竪坑の地層をはぎ取って再現されています



右端は鹿の角に細かい黒曜石を埋め込んだ槍です



超古代と現代への変遷



これはおっきい!北海道・白滝産の黒曜石



千曲川より戸倉上山田温泉



戸倉上山田温泉・名月荘にて


長野県立歴史館

ここは1994年(平成6)11月に開館した長野県千曲市の科野の里歴史公園内にある博物館で、他に埴科古墳群、隣接して復元された森将軍塚古墳(全長100m・4世紀代)と古墳館、科野のムラがあります。
昨年の冬は「縄文土器展}今年の秋は「樹木と人の交渉史−発掘された樹木製品、樹木信仰に見る3万年の歴史展」を開催していました。時間のなかった私たちは常設展示の「原始・古代」を見るだけに終わりましたが、縄文人口密度の高かった信州だけあって、その内容は充実していました。

縄文時代の人口分布(100Km2あたりの人口)インターネットより抜粋
   縄文前期6〜5000年前  中期5〜4000年前  後期4〜3000年前
 東北地方  29  71  66
 関東地方  130  300  160
 中部地方  91  260  79
 東海地方  40  108  61
 北陸地方  17  100  64
 関西地方  5  8  13
 中国地方  4  4  8
 四国地方  2  1  14
 九州地方  14  13  24
後期になると寒冷化(「八が岳山麓の縄文世界」を参照)してきて人口が減ってきました




狩猟時代から定住生活へ



「縄文のヴィーナス」「仮面の女神」が生まれ、装飾性の高い土器が作られ人口の増えた縄文中期


















縄文中期(小諸市・郷土<こうど>遺跡)から後期(小諸市・三田原遺跡)へ



そして弥生時代になり人も社会も変わってゆきます



時代とともに固く焼しめられてきた土器もいよいよ水漏れしない須恵器の登場です




弥生時代になると土器の装飾性が失われ実用的になってゆきます、これは農作業などで忙しくなり楽しんで土器を作るのではなく、専門の工人が制作するようになったのでしょう。
縄文人はどうして世界的にもまれな複雑な文様を考えだしたのでしょうか、これは日本人のもつ芸術に対する特性といえるのかもしれません、でもこれらの土器で煮炊きをするのは効率が悪かったと思えます。
でも彼らには自然の恵みの豊富な食糧があり、あくせくするという心は生まれなかったのでしょう、そんな生活が10000年以上も続いたのですから、これこそ平和な世界といえます。現代人はもはや行き着くところまで来てしまったと思えてなりません。
お伝えしたいことはまだまだありますが2daysとはいえ、長くなりましたのでこれで終わりにしますBye



皆さんよくご存じの「いわさきちひろ」さん(1918〜74年)の安曇野ちひろ公園内にある美術館


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