第76(91)回 6月 Newコダイ・ウォーキング レポート


古墳時代の大和」と「縄文時代の岩手」


うっとうしい梅雨の時節、大阪以外の各地ではゲリラのような豪雨が発生し被害をもたらしています。最近の大阪の地はあらゆる災害から遠ざかっているようですが、畿内に地震等がが発生して大阪が災害を受けた歴史を開いてみると、次のようになります。

734年(天平6) 倒壊家屋、圧死者多数
1096年 近畿・東海地方 薬師寺回廊倒壊、駿河地方津波により400戸流失
1099年 近畿・東海地方 興福寺大門・回廊倒壊
1361年 近畿・四国 四天王寺金堂倒壊、阿波にて1700戸流失
1596年 畿内・阿波 豊臣秀吉の居城・伏見城で500余人圧死
1707年 宝永地震・東海・畿内・南海 死者2万人、家屋倒壊6万戸、流出家屋2万戸(大阪で死者3000人)
1854年 安政南海地震 東海・畿内・南海 津波(串本で15mH)による死傷者数千人、
1934年 室戸台風 四天王寺の五重塔吹き倒される、大阪市の小学校舎倒壊で死者750人、大阪全体で死者3066人
1938年 阪神大水害 大阪・兵庫で河川決壊・土石流 家屋倒壊流失多数 死者616人
1995年 阪神・淡路大震災 死者6437人、家屋倒壊104906戸、火災全焼7036戸(大阪市の死者なし)

地震は予測ができないで最も恐ろしい災害をもたらしますから、家の中の家具などが倒れないようにできることだけは安全を期しておくことが肝要ですね。

話は余所へそれてしまいましたが、6月は雨の中を歩かないで済むように、二つの大阪府立博物館「近つ飛鳥博物館」と「弥生文化博物館」を結んでそれぞれの特別展を見ることにしました。しかし雨はこの会の伝統に従って降りもせず涼しい1日でした。

近つ飛鳥博物館

ここでは開館20周年記念として「ヤマト王権と葛城氏」−考古学からみた古代氏族の盛衰−展が6月29日まで開催されています、葛城氏に関する私たちのウォーキングは、2007年4月(第19回)5月(20回)7月(22回)2013年5月(第80回)の4回に亘っており、この豪族の範囲の広さと、ながれやま古墳・巣山・築山・宮山古墳などの巨大な古墳群は、強大な権力をものがたっています、これまでは古墳に近づいてもそこの出土品を見る機会は少なかったのですが、ここでは先に述べた古墳群の出土品をいちどきに興味深く見ることができました。

ここは写真撮影ができなかったのでご紹介できませんが、画集を買ってきましたので暇があればスキャンしてUpしたいと思っています、けれども古墳時代の埴輪たちにはどこも似たようなものですから、高槻市の今城塚古代歴史館の埴輪群の展示に勝るものはありません、どうしても見たい人は奈良県立橿原考古学研究所付属博物館の「室の宮山古墳出土の埴輪群」をご覧ください。

それよりびっくりしたのは、この日は14時から始まる白石館長による「古墳からみた葛城氏の実像」の講演を聴くために200名限定の整理券をもらうために、はや10時半にはおおぜいの人々が待っておられたことで、考古学ブームを実感させられました。


弥生文化博物館


6月のお目当てはこちらの「縄文!岩手10000年のたび」展覧会でした、私は2013年3月に盛岡市の岩手県立博物館と御所野縄文遺跡(御所野博物館)へ行きましたから、今回は皆さんに縄文時代の東北地方を知っていただくために案内し、それぞれ平和な縄文時代を満喫していただけました、何よりうれしいのは東北地方の博物館はどこでも、写真撮影は自由であり、ものによっては手で触れることさへできることです、縄文時代の人々のおおらかさが今も残っているのかもしれません。

今回は小型のリコーGXRカメラ(レンズ:28〜85mm・F3.5〜5.5)を使っていますので写りはいまいちですがご辛抱願います。
画像は縄文時代草創期(15000〜12000年前)・早期(12000〜8000年前)・前期(8000〜5500年前)・中期(5500〜4500年前)・後期(4500〜3500年前・晩期(3500〜2500年前)・弥生時代前期・中期(2500年前〜)にしたがって並べてあります・

私は同じ6月の中旬に新潟県の「火炎土器」を訪ねる旅をしてきましたが、こちらのレポートは、このマンスリーレポートが終了次第に、作りたいと思っています。


「いらっしゃーい」 土偶 縄文晩期(約3100年前) 久慈市大芦1遺跡


岩手県・縄文遺跡分布図




深鉢 縄文早期 約9000年前 住田町・山脈地遺跡



深鉢 縄文前期 約5300年前 雫石町・塩ヶ森1遺跡 大木式土器


大木(だいぎ)式土器とは:
東北地方中・南部に前期から後期にかけて作られた土器で、多様な縄文・貼付文・竹管文が施され、縄文以外の文様が発達しています、高さ70cm以上の大形土器が特徴です。



 土偶 縄文中期 約5300年前 雫石町・塩ヶ森1遺跡



青竜刀形石器 縄文中期約4700年前 軽米町・叺(かます)屋敷1a遺跡



十腰内式土器 縄文後期 東北北部 深鉢の口縁は波状に奇数も見事にバランスしています



切断蓋付壺 縄文後期 軽米町遺跡



美しい注口土器 縄文後期約3400年前 軽米町 長倉1遺跡





































注口土器の数々 軽米町 長倉1遺跡 約3400年前



顔の付いた土器 縄文後期 約4500〜3200年前 軽米町・板子屋敷3遺跡



土偶 縄文後期約3400年前 軽米町・長倉1遺跡 新潟産のアスファルトで割れたところを接着





注口土器 縄文晩期約2800年前 北上市・大橋遺跡



笑う土偶 縄文後期約2800年前 北上市・大橋遺跡



遥かなみちのくの山地に縄文文化が豊かな暮らしとともに栄えた跡をお楽しみいただけましたか?、原始時代(160〜200万年前)から人々は火を使いましたが、世界四大文明を遡ること1万年前のアジアにおいて、火を有効に使うために発明されたのが土器(中国・江西省2万年前、日本では16000年前位)でした。人々は狩猟と漁猟が豊かな土地での定着の生活に移ってゆきました、火を使うことで食べ物の煮炊きが可能になり、木の実や植物が食べられるようになって栽培の生活がいっそう豊かになりました。
そこでは鍋での煮炊きと貯蔵のためにいろんな土器が作られ、そうして装飾性豊かな文化へと発展してゆきます。集落ごとに繰り返されるお祭りも一層面白いものになっていったことでしょうし、他の地方との物々交換が盛んになり、新潟県糸魚川市に流れ込む姫川で採集される翡翠の原石は、縄文時代に北海道から沖縄まで流通していたことは驚くべきことです。
このような祖先をもった私たちが今あることを感謝の念をもって、この国を大事に守ってゆかなければならないと思うこのごろの世相です。


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