特別番外編 「火炎土器のふるさと・新潟県の古代を訪ねる」

2014年6月



新潟県立歴史博物館
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

縄文時代の東北地方を知るきっかけは、2007年2月に大阪歴史博物館で開催された「あおもり縄文まほろば展」でした、そこでは素晴らしい文化遺産が私の目を開かせてくれました。そしていつか東北へ行こうと思っているうちに、2009年7月に大阪弥生文化博物館で「火焔土器の国−5000年前のメッセージ展」において新潟県の火炎土器の想像を絶する装飾性に魅せられて、ここもまた行きたい思いが募りました。

2010年3月には青森県の五所ヶ原市の亀ヶ岡縄文資料館・つがる市の縄文住居資料館(カルコ)青森市の三内丸山遺跡展示室・青森県埋蔵文化財センターそして八戸市是川遺跡展示室・八戸市博物館考古展示室を訪れることができ、2013年3月には2度目の東北行で岩手県立博物館・御所野縄文遺跡(同博物館)・青森市の県立郷土館。新設なった三内丸山遺跡(さんまるミュージアム)などを訪れました。

そして今年6月にはとうとう新潟県の十日町市の博物館と笹山遺跡など、長岡市の県立歴史博物館と馬高縄文館へ行き、火炎土器のふるさとを楽しんできました。

ご承知のように学問的なことはわかりませんので、いろんな文献資料やインターネットを通じて、火炎土器の誕生から消滅までの歴史に活用させていただきました。装飾性豊かな火炎土器を通じて縄文人の心魂に触れていただけるなら、うれしいことです。

(参考資料:「縄文の思考」小林達雄・ちくま新書、「古代日本の超技術」志村史夫・講談社、「火焔土器の国新潟」新潟県立歴史博物館編・新潟日報など)
火焔土器と火炎土器の名称の違い:
1936年(昭11)に長岡市馬高遺跡で近藤篤三郎氏によって発掘された土器につけられた名前が「火焔土器」、以降土器の上部が火焔のように装飾されている土器を「火焔型土器」と云い、王冠型に装飾された土器を「王冠型土器」と名づけられ、両方を合わせて「火炎土器」と総称され、57ヶが火炎土器として国宝に指定されています。
これらの火炎土器は一般には信濃川流域(新潟県・長野県北部)と阿賀野川流域の福島県西部で製作され、火炎土器が発見された新潟県の遺跡は500ヶ所中の170ケ所であり、製作されたのは5300年前から4800年前の約500年間であったことが分かっています。

十日町市博物館

夜行バスで柏崎に着きレンタカーを借りてR253号線を南東へ下って信濃川を渡ればそこが十日町市です、東にはコシヒカリ米で有名な南魚沼市とその奥に八海山(1778m)、そして北には麻織物で有名な小千谷縮の小千谷市があります。
十日町市の信濃川段丘の高台は、112棟もの竪穴住居があった「笹山遺跡」として現在は陸上競技場・野球場そして笹山縄文館・竪穴式住居2棟などがある広大な総合公園になっています、この遺跡は火炎土器などの出土が最も多い遺跡として知られ、出土品の多くが国宝に2011年指定されました。


十日町市博物館



館内にあった配石墓・立石遺構の復元 3500年前 市内川治下町・栗ノ木遺跡より移設



火炎土器類の国宝指定書

日本列島の成り立ちと火焔土器





国宝の数々と石器・土偶(左の字をクリックすると大画像を見れます)


         
 火焔型土器  王冠型土器  深鉢型土器  石器 土偶 縄文中期

土器の種類:深鉢型=火焔型を含めて煮炊き用、 壺型=液体貯蔵・九州では11000年〜・東日本7300年前〜、 注口型=液体を注ぐ・約15000年前〜・精巧な作りは儀礼用、 釣手型=縄文中期〜・関東地方に多い・灯火具、 香炉型=縄文後期(3200年〜)、 台付鉢=食物の盛付用・縄文全期・新潟県では火焔型土器と同じく特徴的、 器台=縄文中期・中部と関東に多い・調理台・供献台・なんでも考えらる、 異形土器=縄文後期晩期に多い・用途は太鼓説と酒造器説がある。

土偶について:これまでのHP上で土偶はたくさん紹介してきましたが、改めて簡潔にご説明すると、土偶は縄文草創期より沖縄以外の全国で作られており、早期には関西・関東へと広がり、中期には東北以外で作られなくなり、後期には東北を中心に復興しています。

土偶は当初、板状土偶でしたが中期には立体化・大型化していきます、女性像が多く豊穣・多産を意味するとの説もありますが、いずれも祭あるいは神に捧げる目的で作られたようです。中期までは小型が多くそのいずれもが足や手を折れるように作られ、そのまま捨てられたようですが、その一部分が何百メートルも離れた集落で発見されていますので、その意味がもつ目的は一体何だったのか未だ不明のもまです。

その後大型化した土偶は壊されることなく、丁寧に土中に埋められていたようで、この辺に縄文人の思想の変化がうかがえます。その後、弥生時代になると一斉に姿を消してしまうのは、社会情勢の変化によるものでしょう

      
国宝がいっぱい                                            筵を編む

                           



雪国の足元 ゴム長のない時代


笹山遺跡





笹山遺跡 笹山縄文館(展示・学習に貸し出される)と竪穴住居2棟



笹山遺跡から信濃川を望む


長岡市立科学博物館(長岡市幸町2-1-1・さいわいプラザ)

この博物館が移転したことを知らず、旧市役所付近を探し続けてだいぶんと時間を失いましたが、
ここは科学博物館ですから古代から現代までみんなが楽しめるところです。          
長岡市内で発掘された石器・土器など中心にしたコーナーは来て見て損のないところでした。  


       

          総合庁舎内の一階が博物館                            200万年前の地層より発掘された全長7m・海牛化石の復元像




20000年を一望に




縄文草創期 多縄文系土器 阿賀町室谷洞窟遺跡下層出土


(真ん中)なんと不安定な!尖底深鉢 縄文早期 阿賀町室谷洞窟遺跡上層出土


新潟県立歴史博物館




これまでみてきた笹山遺跡の火炎土器と並んで代表されるのが長岡市の「馬高・三十稲場遺跡」です。ここは地元の大地主・近藤家が親子三代にわたって石器などの発掘に努め、1936年に孫の篤三郎氏(1907から45年)によって、馬高遺跡(1979年国の史跡に指定)で初めて火焔土器が発見され、初代学芸員の中村公三郎氏(1910〜94年)が近藤家寄贈の収集品を再復元・整理作業を行い研究成果が世に出て、火焔土器の名が考古学会に知られ、世の人々を驚かせて縄文時代の象徴となりました。

県立歴史博物館では、縄文文化について全国的な視野から解説されており、大変に優れた資料館になっています。そしてすぐ近くに市立馬高縄文館が豊富な資料を保存・展示しています。ここでは地元以外の縄文時代を中心にご紹介してみましょう。


動物型土製品 縄文晩期 北海道・千歳市美々4遺跡 重文



巻貝型土製品・縄文晩期 左:岩手県宮古市・近内中村遺跡 右:新潟県村上市・元屋敷遺跡



異形石製品 縄文晩期 福井県木部東遺跡



漆塗り櫛 左:縄文晩期 埼玉県桶川市後谷遺跡 右:縄文前期 福井県鳥浜貝塚



オオカミ下顎骨製垂飾り 縄文後期 岩手県貝鳥貝塚



抜歯の習慣 愛知県稲荷山遺跡の例


       
縄文人の暮らし…山で                                                縄文人の暮らし…海辺で


馬高縄文館


手前部分が縄文村の跡

1936年に火焔土器がここ馬高遺跡で初めて発見されて以来78年、続々と発掘される火炎土器や石器・土偶のために各地に展示施設が建設され、縄文時代を再認識する機会を作ってくれました。縄文時代の日本列島の人口は25万人、稲作はなくとも自然の恵みによって平和な13000年が続き、煮炊き用の土器すら芸術的な装飾を施され、縄文人の精神性は自然の恵みに感謝し、自然を破壊することなく共存共栄を基本理念にしていたことが想像されます。

     
馬高縄文館の誕生は2009年、1978年に「馬高・三十稲場遺跡」が国の指定史跡、1990年には第一号火焔土器が重要文化財に指定され、2002年には主要出土品299点が追加指定されました。

三十稲場遺跡は縄文時代後期、火炎土器が消滅した後に馬高集落が移転して生まれた集落で、独特の刺突文と蓋をもつ「三十稲場式土器」の発祥地として知られています。館内は小規模ながら見事なレイアウトと展示物の素晴らしさは長く印象に残っていくことでしょう。


ミス馬高土偶 縄文中期 馬高遺跡 重文



  



馬高遺跡の土器類
       
       


三十稲場遺跡の土器・他



蓋の付いている三十稲場式土器



右:刺突文の深鉢・縄文後期初期・長岡市十二遺跡 中:三仏生式土器・後期中葉・小千谷市・三仏生遺跡



東北系土器:中期中葉・長岡市岩野原遺跡・高さ60cm




火炎土器の変遷 上段右より:火焔型土器の初期・古・新段階 下段右より:王冠型の古・新段階

火炎土器の終焉:縄文中期中葉に信濃川上・中流域に突然現れて、あらゆるバラエティに富み、勢いと躍動感にあふれた火炎土器が、500年間の終わりのころには規格化・形骸化してしまい、中期後葉を迎えるとその伝統を後世に伝えることなく忽然と姿を消してしまいます。
縄文人の興味が他に転化していったのではないかと思えますが、それは自然環境や精神的な変化によることであり、また近隣国との交流が増えて、より物質的な豊かさを約束してくれる「稲作」も影響したのではないかと私は想像しています。
これで「火炎土器特集」を終わります、伝えたいことはまだまだありますが、ここでいったん終わりとします。ご覧いただきありがとうございましたBye

雪国植物園:馬高遺跡の北西、北陸自動車道を隔てたところに1984年よりボランティアによる造成が始まり、社団法人として市民より公募されるボランティアによって維持管理されています。
コンセプトは長岡市の里山の植生のみ移植し、ほかの植物は入れないというもの。面積は35haで湿性植物園では、行った日から夜も開放してホタルを楽しめるそうです。素晴らしいところですが、私は植物は全然の門外漢、同行4人のうちMさんはここを目的に来られたような張り切りぶりで、花の写真はすべてMさんにお任せしました。
 

                         myuumyuuさんの雪国植物園



雪国植物園・湿性花園にて


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