第85(100)回 6月 Newコダイ・ウォーキング レポート


飛鳥ウォークと10周年・第100回記念祝賀会



6月の花はアジサイ(国立飛鳥資料館にて)


2005年3月に始めたウォーキングはとうとう100回目を迎えました。初めは会でもなく一人も参加者がなくても一人で毎月続けてゆこうと考えていました。

第1回目は参加5人で飛鳥へ行きました、また真夏の7・8月は行かないことにしました。当初はだいたい20~25Kmを歩きながら、寺社や博物館には必ず寄って拝観することが当たり前のこととして実行しました。その小さなウォーキングの集まりが14名までふくれあがった当時は携帯電話の普及も少なく、迷い子が出たりしましたので、これ以上参加者をふやさないようにしてきました。

100回のうち中止になったのは2014年12月と今年2月の2回、これは私の発病によるものでやむなく中止しましたが、番外編として行った回数が15回ありますから、100回を唱えても間違いではないでしょう。
最近はいずれも高齢となり歩く距離も10~15Kmに落ち、場所によっては私の運転するレンタカーのマイクロバスによって移動し、東北・北陸・中部・山陰・中国・北九州の平安時代以前の古代の遺跡・寺社と博物館を訪ねたところは、数えたこともありませんが、何百か所にも及んでいることでしょう。

こんなウォーキングを続けることによって、歴史観と土地土地への愛着が、拙いカメラと文章でホームページに記録してゆきましたところ、現在では全国に読者をもち毎月約300人前後の方にご覧いただいています。

始めたのが68才で参加者のほとんどが同世代、10年間の間に肝臓病や脳梗塞、脚が不自由になった人もいますが、いづれもその後もウォーキングに参加できている方は精神力と奇跡的な回復力だろうと敬服する次第です。小さな会ですがご参加の方々の長きにわたるご支持によってここまでこれたことを改めて御礼申し上げます。

今月は第1回のウォーキングと同じ飛鳥で来し方を偲び、また祝賀会を開催することになりました、そして9月からは少し趣がかわっても参加者が誰もいなくなっても、私の健康が許す限り続けていくつもりです。


国立飛鳥資料館から祝賀会まで

ちょうど「はじまりの御ほとけたち」展を開催していましたので、まずはこちらから出発しました。ここで私どものウォーキングの原点である飛鳥をあらためて学習することができました。ここでは明日香村を中心にご紹介しましょう。
「飛鳥」という地名の意味
接頭語「ア」と浅洲や平らな砂地をさす「スカ=洲処」に由来するのが有力な説だそうです。アスカの枕詞「飛ぶ鳥のアスカ」はこの地に鳥が大変多いことからつけられたようです。
飛鳥は本来、飛鳥川東岸の飛鳥寺・板葺宮跡、飛鳥川西岸の川原寺を中心とする南北1.6Km東西0.8Kmの狭い範囲をさしていたそうですが、現在では明日香村を中心に橿原市・桜井市・高取町の一部を含めた範囲を呼んでいます。
飛鳥時代の年代は史学・美術史学で異なりますが、飛鳥資料館では飛鳥寺造営の開始588年から藤原京期(694~710年)までとしているそうです。
伝板葺宮跡の歴史
明日香村岡にあるこの遺跡からはいくつもの宮殿跡が発掘されています、最古の1期は舒明天皇の飛鳥岡本宮(630年)、Ⅱ期が645年蘇我入鹿暗殺のあった皇極天皇の板葺宮、Ⅲ-A期は斉明天皇・天智天皇の後飛鳥岡本宮、Ⅲ-B期が天武・持統天皇の飛鳥浄御原(673~693年)と建てかえられ、その間に難波宮や大津宮へ遷都していた期間もあります。

仏教伝来と仏像製作の歴史
552年   欽明天皇代 百済より金銅釈迦仏像など献上
553年   楠材で最初の仏像を作る
577年   敏達天皇代 百済より僧・比丘尼・造寺工ならびに造仏工を献じる 
596年   飛鳥寺の造立はじまる、このころ初期金銅仏製作はじまる
7世紀   日本在地の鞍作鳥(止利仏師)、飛鳥大仏・法隆寺金堂釈迦三尊仏などを製作
7世紀後半白鳳時代   金属板による押出仏、粘土焼成の塼仏、土を成型する塑像など多種の仏像が出現
                                  (「はじまりの御ほとけたち」飛鳥資料館図書より抜粋)

木造仏像は日本の特徴ですが、奈良時代は銅造・乾漆造・塑造の仏像が数多く制作され、奈良・唐招提寺講堂に安置されていた木彫仏像群はカヤ材が用いられて、鑑真和上に同道した工人の参加が想定されています。平安時代にはヒノキをはじめ、カツラやケヤキなど多様な素材が用いられようになりました。
どの方面の歴史を見ても日本国の確立には中国・朝鮮の技術と指導がなければ今日がなかったことでしょう、海を隔てゝいても古代から結ばれていたことを忘れてはいけないですね。                      (ウイキペディアより抜粋・加筆)



浄御原宮の模型写真



南法華寺の鳳凰塼・7世紀




































左:橘寺 右:川原寺 いずれも7世紀



石人像(近隣の石神遺跡=7世紀・斉明天皇代)庭園の噴水として使用 重要文化財 



飛鳥坐神社(祭神・事代神)100回続いた御礼をしました 大国主命が高津媛をめとって一男(事代神)一女を設けました


























飛鳥寺本堂、596年蘇我馬子の発願により朝鮮の先進技術で日本初の瓦ぶき寺院として
建立、平城京遷都ともに建物は元興寺に移転。ご本尊は飛鳥大仏として有名な銅製釈迦如来坐像(7世紀初・重要文化財)






2年前新装なった明日香村埋蔵文化財資料室



明日香の縄文時代





















牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)八角墳で天智・天武天皇の母・斉明天皇の墳墓と考えられています、右は墓内の内扉



小墾田宮推定地 

603年、豊浦宮(とゆらのみや)で即位した推古女帝は新宮として小墾田宮を造営しここに居を移したといわれます。その後女帝が崩御するまでの間に、蘇我氏・聖徳太子らを中心として、冠位十二階の制定・十七条憲法の制定・遣隋使派遣などの重要施策がこの宮で行われました。



甘樫丘より「心のふるさと飛鳥」


そして10周年代100回記念祝賀会(橿原オークホテルにて・宴の前後)




「皆さんおおきに


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