第81(96)回 '15-1月 Newコダイ・ウォーキング レポート


大阪商人の守り神「生駒の聖天さん」を行く


生駒宝山寺の聖天さん」は、江戸時代より商売の神様として尊崇され、今では全国から年間300万人の参詣で賑わっています。始まりは役行者が655年に開いた修験道場で空海(弘法大師)も修業した地として知られています。江戸時代になって1678年に湛海律師が歓喜天を祀って再興以来、京都皇室・江戸幕府・郡山藩の尊崇を受け、商売の神様として大阪商人の信仰を集めて今日に至りました。

歓喜天(聖天)は古く遠くインドの原住民ドラビタ族の祀っていたガネーシャ神に由来を発するといわれ、ヒンドゥー教の神様の一柱であり、シヴァとパールヴァティーの間に生まれた長男で、インドでは片一方の牙が折れた象の頭を持つ太鼓腹の男性,象頭人身として表され、中には象頭双身又は人頭双身で抱き合って歓喜を著わしています。古代インドではもともとは障碍を司る神だったが、やがて障碍を除いて財福をもたらす神として広く信仰されています。

ヒンドゥー教から仏教にとりいれられた歓喜天は、チベットでは
ガネーシャは観世音菩薩を本地とする護法神として信仰され、上座部仏教国のタイでも仏教徒に信仰されています。日本では天台宗・真言宗では歓喜天(大聖歓喜天・歓喜自在天)が天部の護法神として信仰され、今日に至っています。

余談ですが、歓喜天を表す造形に男女が交合して歓喜している像が、中国・チベットそして宝山寺にもありますが、これはヒンドゥーの神様の様態が受け継がれていることが、10〜12世紀のインド・カジュラホーの寺院群の彫刻からわかると思います。興味のある方は私のインド編からご覧いただけます。

近畿日本鉄道(近鉄)が1914年に大阪電気軌道(大軌)として、大阪上本町〜近鉄奈良間に開設した時は、生駒山脈を貫く3388m(現・4737m)の大工事の末、生駒駅をつくって参詣者の便ならしめ、さらに日本最初のケーブルカーを生駒〜宝山寺(乗り換えて「生駒山上駅」)へと1918年に開設したことから、一層老若男女を集めることになりました。
(本日撮影カメラ RICOH GXR:レンズF3.5〜5.5・24〜85mm)


宝山寺



近鉄・生駒駅乗換「鳥居前」発「宝山寺」行、日本最古のケーブルカー



お寺に大鳥居と〆縄、掲げられた額には「歓喜天」と



不動明王が祀られた宝山寺本堂



右の修理中が「歓喜天(秘仏)」を祀る拝殿その奥に聖天堂、多宝塔の奥に開山堂と奥の院本堂があります



「般若窟」弥勒像が祀られています、この窟の中で役行者や弘法大師(空海)が修行なさったのでしょう



雪が残る多宝塔から見下ろす寺院群と向こうは生駒市から奈良市方面



いたるところに小さなお堂が、お賽銭がいくらいることでしょう



本寺の供養塔は1000万は普通、5000万も多くてこれが最高



開山堂・奥の院へと続く道


大乗瀧寺


帰途には、やはり役行者が開いたといわれる「大乗瀧寺」へ寄りましたが、ここは江戸時代(17世紀前半)の頃、諸国を遊行していた乞食僧・沙門幽音がこの地に至ったとき、本堂の西南に十三重石塔及び経塚があり、大門の跡や創建当時の規模を忍ばせる坊舎の跡が各所に残っており、清水の滝といわれたこの滝の下に不動尊を刻んだ石がありました。

幽音は当寺を再興し融通念仏宗に属する念仏道場としました、1703年にこの地を訪れた前述の湛海律師がここを観音霊場にしたいと熱望したところ、融通念仏宗が本寺を寄付してくれたのでした。この寺が観音の霊場として再興されたのは、宝山寺第六世光善和尚の時代(1764〜1771)になってからで、当寺の中興開山を光善和尚とする所以です。

その後1880(明13)年、当時柳生藩にあって藩の子弟教育にあたっていた陽明学者岡村達(とおる)閑翁(かんのう)が、宝山寺第十四世乗空和尚の屈請を受けてこの地滝寺に移り、「広教学舎」が開設されました。

閑翁先生は、94歳でこの地に没するまで、約40年間子弟教育に尽くされ、この間、明治18年には、真言宗中学林が開かれ真言宗末寺の徒弟に対する中等教育を行い、北は奥州秋田、南は九州大分に及ぶ子弟がこの地に集まりました。また、明治23年には、向学の志に燃えながら、家貧しくそれが果たせない青少年のために、全く無償の、その名も「慈愍学校」と名付く特別な学校まで設けられたのです。

明治の中ごろから大正の中ごろにかけて、この滝寺には目的や対象を異にした三種の学校が設けられ、近郷近在はもとより近畿一円さらには遠く東北九州の子弟にまでその教育を及ぼしました。
戦後も恵まれない子供たちに愛染寮を開き、現在も何らかの理由で親元をを離れた児童(愛染寮)や乳児(いこま乳児院)がここを故郷に思える理念を中心に、広範囲の宝山寺社会福祉事業団に発展しています。



小さな御堂が建ってさみしい瀧寺本堂



岡村 達(とおる)先生の「広教学舎」跡に建つ記念碑



1月ご参加の皆さん、H・Mさんのお二人はのちに参加されました


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