第78(93)回 10月 Newコダイ・ウォーキング レポート


古都奈良の昔を旅する

10月は恒例の正倉院展があり、すぐ近くの奈良県立美術館では「大古事記展」が開催されましたので、両方を見ることにして、正倉院が屋根をふき替えて元の姿になったのと、元興寺をゆっくりと拝観しました。ご覧いただきたい資料は撮影禁止ですから、ホームページとしては物足りないものですが、レポートとしてまとめてみました。


元興寺(がんごうじ)


蘇我馬子が飛鳥に建てた法興寺(現在の飛鳥寺)が始まり、平城京遷都で元興寺として奈良へ。南都七大寺(朝廷の保護を受けた、興福寺・東大寺・西大寺・薬師寺・元興寺・大安寺・法隆寺)の一つで、東大寺・興福寺に並ぶ大伽藍が現在の「奈良まち」を境内としていました。

その後廃れてしまい現在は東大寺・西大寺の末寺として二寺が存在しますが、極楽坊(西大寺)の方は鎌倉時代の本堂・禅堂・五重小塔が国宝であり、五重小塔は東京での国宝展に出張中。もう一方の元興寺の本尊・木造薬師如来立像(国宝)は奈良国立博物館に寄託。

また、元興寺は民間唯一の研究機関として「元興寺文化財研究所」をもち、全国各地の文化財の保存、修復、調査に活動しています。

極楽堂を曼荼羅堂と言われるのは、奈良時代末期にこの寺の「智光」は三論学僧として有名でしたが、晩年「浄土教」の日本最初の研究家として知られ、極楽を表した「智光曼荼羅」(板絵2面・重文)を残し、本尊として現在も民衆から親しまれています。
原画は何を書かれているのか判明しがたいのですが、デジタル近赤外線撮影画像を見ると精細なところもよく判明し、鎌倉時代の模写作品ということがわかるそうです、現在本堂にあるのは現代の絵師によるものです

        

         元興寺(極楽坊)山門                    極楽坊本堂(曼荼羅堂)












                                                                  




本堂と禅堂(鎌倉時代・国宝)


大古事記展



堂本印象「木華開耶媛(このはなさくやひめ)」(1929年) 朝日新聞 2014・9・25 夕刊よりスキャン


「古事記」は、中大兄皇子(天智天皇)が蘇我入鹿を暗殺し、これに憤慨した蘇我蝦夷は大邸宅に火をかけ自害しました。 この時に朝廷の歴史書を保管していた書庫までもが炎上し、「天皇記」など数多くの歴史書がこの時に失われました。これらの歴史書に変わる古事記や日本書紀の編纂が天智天皇の弟である天武天皇の命により行われ、まずは稗田阿礼の記憶を元に太安万侶が「古事記」を編纂し、712年(奈良時代)に元明天皇に献上されました。

古事記は日本書紀ほど重んじられていなかったのですが、江戸時代後半・本居宣長の研究によってその豊かな内容の価値が認められることになりました。

古事記には神々が生まれ世界を創造するところから始まり、推古天皇の時代までを全3巻にわたって、戦い・ロマンス・親子の情愛等のエピソードが語られています。そしてこれらの場面を富岡鉄斎・横山大観・安田靫彦・前田青邨・堂本印象などによって生き生きと描かれています。上の絵は1929(昭4)年に描かれた堂本印象の横4mもあろうかという「木華開耶媛(このはなさくやひめ)」(京都府立堂本印象美術館蔵)です。

この「大古事記展」では古事記を取り巻くあらゆる事象が展示されますが、中でも一番なのは、普段は見られない石上神社(いそのかみ)の秘宝「七支刀」の現物(国宝)展示です、それと古事記の原本は失われていますが、最も古い南北朝時代の真福本の複製品と本居宣長の「古事記伝」の数々は印象的でした。

12月14日まで開催中ですから、ぜひともお出かけください。

「この花咲耶姫」とは:天照大神の孫であるニニギノミコトの妻。オオヤマツミの娘、コノハナノサクヤヒメは一夜で身ごもったため、ニニギは国津神の子ではないかと疑ったので、疑いを晴らすため、誓約をして産屋に入り、「天津神であるニニギの本当の子なら何があっても無事に産めるはず」と、産屋に火を放ってその中でホデリ(もしくはホアカリ)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)の三柱の子を産んだ。ホオリの孫が初代天皇の神武天皇となっています。

本宮は富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)、日本国内約1300社の浅間神社と霧島神宮・高千穂神宮・大山祇神社((今治市大三島町)など多くのお宮さんに祀られています。



奈良県立美術館「大古事記展」


第66回 正倉院展
今年印象に残っているものは、「鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)」が4面も展示されたことでした、この絵の衣装にはもともとは山鳥の羽が張り付けてあったそうですが、ない方がきれいに見えると思っています、他にはペルシャ(現イラン)渡来の水差しの「白瑠璃瓶はくるりのへい」、聖武天皇が大仏開眼会で履かれた革製の「衲御礼履のうのごらいり」等でした。
ウォーキングは28日(火)でしたから午後3時頃で約40分の待ち、4時になると並ばなくとも入館できるようです。



こちらは新装なった正倉院



やっぱり大仏さんがなければ…


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