第73(88)回 3月 Newコダイ・ウォーキング レポート


「飛鳥の考古学2013」とまきむく遺跡周辺を歩く


久方ぶりに飛鳥へ行きました、前日の猛吹雪なんて忘れる雲ひとつない飛鳥は素晴らしいところです、遠く古代に大陸や朝鮮半島から渡ってきた民族は、故郷を偲ぶにふさわしい土地だったのでしょう。幾多の天皇家にまつわる血塗られた政争の数々も遠い過去として大和の人々は、山紫水明どこまでも明朗な空のもとに幾多の古墳とともにあります。


「大和は国のまほろば 畳(タタ)なづく青垣 山籠れる大和しうるはし」 万葉集・倭建命



畝傍山より二上山


国立飛鳥資料館 第8回「飛鳥の考古学2013」

独立行政法人・国立文化財機構・奈良文化財研究所・飛鳥資料館という仰々しく長ったらしい研究所は、県立橿原考古学研究所と明日香村教育委員会と協力して、国営飛鳥歴史公園にあるキトラ古墳周辺地区の発掘調査の結果を発表・展示しました。
めぼしい発掘は工房施設らしい甘樫の丘東麓、飛鳥京苑池の石造物と導水設備、飛鳥寺西方の「槻(つき)の樹の広場」の石敷きなどの開明を、楽しく見せてもらいました。
発掘された土器などに見るべきほどのものはありませんでしたが、写真パネルによって古代の人々の暮らしのありさまを知ることができてよかったです。
帰りは橿原神宮前まで爽やかなお天気のもと楽しーく歩きました。

その内一部ご紹介します、飛鳥寺西方遺跡は「日本書紀」にたびたび出てくるところらしく、斉明朝には須弥山の像を置き、壬申の乱では槻の樹の下に軍営を構え、天武・持統朝には蝦夷(えみし)・隼人・トカラ人など辺境の民を招いて饗宴を開き、大化の改新前には中大兄皇子と藤原鎌足が蹴鞠をしたという、「槻木(ケヤキの古名)の広場」があったと考えられていました。今回の発掘は石敷き・砂利敷き・土坑などで広場にふさわしいと考えられています。
場所は飛鳥寺の「入鹿の首塚」のすぐ西側、飛鳥寺西門跡から西へ40mのところです、近くに飛鳥川・水落遺跡・飛鳥宮跡があります。調査の写真をコピーします。



槻木の広場らしい石敷き すぐ上に入鹿の首塚と飛鳥寺(考古学2013よりコピー)



飛鳥資料館 常設展示は回廊の連子格子で有名な山田寺(650年頃創建)が主です


































    左:亀型石槽の導水施設 明日香村酒船遺跡 7世紀(レプリカ)右:山田寺遺跡の灯篭 金堂と塔の間に建立



回廊と土中から発掘された連子格子(今も健在の法隆寺に似ている)



高松塚古墳よりの出土品 左:馬具 右:海獣葡萄鏡(698年造立の中国・西安市・独狐思貞墓に同じものが出土)


巻向(=纏向)遺跡


いまや全国的に知られた巻向遺跡(東西2Km・南北1.5Km)、当時中国では邪馬台と書いてヤマトと呼んでいたという説もあり、卑弥呼はヤマトノヒメミコをヒミコと聞き違えたなどと、巷間騒がしいことですが、箸墓古墳のような大古墳を3世紀中に造られるのは相当な権力者がいた証し、巻向で発見された宮殿跡とされる場所と箸墓古墳とは歩いて10分もかからないところ、前回2007年2月のウォーキングで来たときは、まだ宮殿跡は発見されていませんでした。今回はその宮殿跡に立ってみようという意図のもとに出かけました。



巻向遺跡の宮殿跡、右向こうはJR巻向駅その向こうは御神体の三輪山



記念撮影



昔を偲んでグウグウ



堀の水を抜いている箸墓古墳(272mL・22mH)と三輪山



オマケ 懐かしい「汽車の停車場」・日本国有鉄道「畝傍(うねび)」駅



モヒトツオマケ 宮殿跡のど真ん中での風来坊主 Mさん写す


お楽しみいただけましたか?4月は14日(月)に京都奥の三千院・寂光院・来迎院へ桜を訪ねてマイクロバスで行き、帰りに京北町の奥にある関西大学探検部OB有志で建てたログハウスの露天風呂を楽しみます、ふるってご参加ください。希望者はメールなどでご連絡ください、詳細は近々発表しますBye


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