第72(87)回 2月 Newコダイ・ウォーキング レポート


広隆寺の国宝群と早春の梅を訪ねて


お正月に久しぶりで広隆寺に行きましたが、弥勒菩薩半伽思惟像をはじめとする国宝と重要文化財の素晴らしさに感動し、ウォーキングの会の皆さんともう一度来たいと思いました。

2月には
奈良の中宮寺の本尊・如意輪観世音半伽像を参拝に行き、両方の菩薩像を比較しながら味わうことができました。

今月のウォーキングでは広隆寺を筆頭に、臨済宗妙心寺派の総本山とその塔頭群を通って、平安時代886年に光孝天皇創建・その子・宇多天皇代に完成の真言宗御室派の総本山・仁和寺と
御室御所、かっての法皇の御座所より庭を拝観、そして北野天満宮に探梅、これは少し早すぎて2〜3分咲きでしたが、北野しぐれにあったり厳しい寒さに震えたりの晴天下の一日。

おまけは京都在住の一番古い会員のSさんの案内で、間もなく開かれる北野踊りで有名な上七軒の芸子さん街を歩き、祇園祭のために復元された「大船鉾」を見ることができ、大満足のウォーキングになりました。


広隆寺

603年、推古天皇時代に建てられた山城最古の寺院、名称は古くは蜂岡寺・太秦寺と呼ばれました。日本書紀によると秦河勝が聖徳太子より仏像をもらい、それを本尊として創建したそうです。

秦河勝は秦の始皇帝の流れをくむという、彼は一族郎党を引き連れた朝鮮半島からの渡来人で、養蚕・機織を主として農耕・酒造そして伎楽など当時の先進文化を倭国へ注入した集団の長であり、聖徳太子の側近として活躍、現在も秦氏系の人々がたくさん存在します。

嵐電の太秦広隆寺駅前の楼門を入ってゆくと、818・1150年に炎上しましたが、いずれも再建された阿弥陀如来を祀る講堂、上宮王院太子殿が本尊に聖徳太子像を祀っています、さらに左奥には国宝の桂宮院(八角円堂・:4・5・10・11月の日・祝日のみ公開)、一番奥に新霊宝殿があります。

広隆寺の国宝は20点を数え、重要文化財に至っては48点あるそうです、霊宝殿内には阿弥陀如来座像を中心に十一面千手観音立像と不空羂寂索観音菩薩立像が他を圧する存在感、その対面に弥勒菩薩半跏思惟像が二体、左側には十二神将など堂内の四面を像群がとりまき、適切な照明のおかげで荘厳な仏世界を表しています、これらの仏像が彩色されていた時代を想像すればそこはもはや現実世界を超えた世界観を感得させてくれたことでしょう。

有名な弥勒菩薩半跏思惟像については、別項を設けて奈良・中宮寺の像とともに比較しながら楽しんでいただきます。


特別番外編「二つの国宝・菩薩半跏像 京都・広隆寺と奈良・中宮寺



広隆寺南大門(1702年再建)



上宮王院太子殿(1730年再建)



国宝・阿弥陀如来坐像 9世紀(平安時代) 広隆寺の絵葉書をコピー






























   左:国宝・不空羂索観音像 天平時代 阿弥陀如来の右脇侍

     右:国宝・十一面千手観音立像 9世紀平安時代 左脇侍

            いずれも広隆寺の絵葉書をコピー




本尊 33才時の聖徳太子像 1120年平安後期 毎年11月22日開帳


妙心寺

臨済宗妙心寺派大本山の寺院で本尊は釈迦如来。開基は花園天皇、開山は1342年(室町時代)関山慧玄(無相大師)、日本にある臨済宗寺院約6000か寺のうち、約3500か寺を妙心寺派で占めています。

ここには46の塔頭が集まって壮大な区画を形成しており、それぞれの塔頭は塀に囲まれて庭園や芸術作品の案内をしていますが、本山には塀も何もありません。南から北へ通り抜ける折にお坊さんの姿を一人も見かけませんでしたが、妙心寺は大徳寺とともに修行を重んじる厳しい禅風を特色とする代表的寺院ですから、たぶん禅の修行中の時間だったのでしょう。


































左:妙心寺三門(重文)1599年 ここだけ朱塗りでした(一般公開なし)

右:梵鐘、かってここには国宝で698年にあたる年の銘文のある日本最古の紀年銘鐘があり、
雅楽などの黄鐘調(おうじきちょう)の楽の音の除夜の鐘で有名でした。
現在は法堂に置かれていて、現在の復元された鐘は1974年和歌山の方の寄進によるものです。
国宝は九州方面で制作されたものであり、大宰府の観世音寺(天智天皇発願・776年完成)にほぼ同型の鐘が伝わっています。



手前・仏殿(本尊・釈迦如来)と法堂(法座と座禅)いずれも重文 江戸時代 妙心寺の中心です



塔頭群より北総門を望む


仁和寺

宇多天皇は出家後、ここに住みましたので御室御所と呼ばれたそうですが、明治以降皇族が門跡にならなかったので、現在は旧御室御所と云うそうです。二王門を入って左側が御所跡で、中門を入ると左に有名な御室桜が低い姿で広がっています、その右側が886年に建造され、その後戦火にあい1637年に徳川家光が寄進しました五重塔。その奥が国宝の金堂で1613年(大坂冬の陣の前年)に建立された旧皇居の正殿・紫宸殿を移建改築したもので、屋根を檜皮葺きから瓦葺きに変えるなどの改造が行われていますが、宮殿建築の雰囲気をよく残しています。建造物の国宝・金堂を除いては重要文化財です。


二王門 1645年徳川家光が建立、1887年(明20)に焼失し大正初期に再建



白書院より南庭を隔てて勅使門(明治末再建)、右は二王門



2か月は早い御室の桜


































   左:宸殿より北庭・中門・五重塔を望む    右:五重塔、一層から五層への逓減率が少ないですがバランスよく見えます                        



国宝の金堂:本尊は国宝・阿弥陀如来坐像(886年創建時より、現在は霊宝館保存・4/1〜5/25・10/1〜11/25一般公開)
江戸時代に京都御所に建てられたものを下賜されました、屋根の檜皮葺き以外平安時代の寝殿造りの様式を保っています

北野天満宮


            参道沿いの梅、1500本もある梅園の梅は2分咲き程度で入りませんでした

















       左:国宝・拝殿に並ぶ親子連れや若い人たち
       右:国宝・本殿前の梅の木々 

「北野天満宮のいわれ」

903年、菅原道真が無実の罪で配流された大宰府で没した後、
都では落雷などの災害が相次ぎ、道真の祟りだと噂が広まっ
て恐れられました。

そこで没後20年目に朝廷は道真の左遷を撤回して官位正二位
を贈りました。その後947年に朝廷によって道真を祀る社殿が造
営されました。

さらには993年には正一位・右大臣・太政大臣が追贈され、以降
も朝廷から厚い崇敬を受け、中世になっても菅原氏・藤原氏の
みならず足利将軍家などその後も豊臣秀吉などから尊崇を受け
ました。

道真公は天神さんと親しまれ和歌・書道に優れた人だったので、
現在は受験生の神頼みにお忙しいことでしょう。



京都アラカルト



上七軒のいわれ、ほかに祇園、宮川のお茶屋があります
















左:本通り、いろんな商品を売っているところが多いです    右:少し入った辻では人影がない静けさでした



幕末「蛤御門」の変で焼失、今回33基目の鉾として復興されました

































上の板部分には40人もの囃し手が乗るそうです
総経費12000万円、不足額9000万円を寄付で賄う予定ですから、
有志の方は(公・社財団)四条町大船鉾保存会


表紙に戻る


>