第71(
86)回 1月 Newコダイ・ウォーキング レポート


奈良公園周辺の社寺

新薬師寺・春日大社・奈良国立博物館「おん祭と春日信仰の美術」展


皆さん、新年おめでとうございます。今年は東北大震災被災者の方々にとって一層の復興の年となり、天候も順調に豊作の年でありますように、心からお祈りしております。

私たちコダイ・ウォーキングの会の1月の初歩きは、奈良国立博物館で開催中の
「おん祭と春日信仰の美術」展に焦点を合わせて、その付近を何度も歩きながら一度も入ってなかった、すべてが国宝の新薬師寺と春日大社の本殿を初参拝することにしました。いずれも1300年以上の歴史を持つ古い社寺で、春日大社へのお参りの人の多さと若い人々の多さにびっくりしました。

「おん祭」は春日大社の摂社・若宮神社の平安時代より大和一国をあげての大祭で、現在その規模も昔どおりに開催されています.

東大寺をはじめこれらの素晴らしい社寺をもつ奈良公園は鹿と野鳥が自由に遊ぶ、まさにこの世の楽園といえる平和なところ、のんびりゆっくり平和な日々をありがたいと心から思った一日でした。


新薬師寺


747年(天平19)に光明皇后が夫の聖武天皇の病気平癒を願って創建、当時は奈良十大寺の一つでしたが、平安時代に落雷や台風によって本堂以外を失いました。現在本堂、本尊・薬師如来そして本尊を取り巻く十二神将(一体は補作)すべてが国宝です。

薬師如来は東方・浄瑠璃光世界の仏さまで菩薩として修業中に、世界を照らし出す・人々の不足を満たす・病気を癒す・正しい道に導く・災難を取り除くなどの十二の願をかけられました。

天平時代には、国民の疲弊が極みに達したため土地の開墾を勧め、国を鎮護するために全国に国分寺そして東大寺を建立(752年)するなど、仏教国としての基礎ができて天平文化の花が咲いた時代でもありました。光明皇后をはじめ人々は、貪(とん=欲張り)・瞋(しん=怒り)・痴(痴=愚かさ)の三毒を薬師如来の前で悔悟することによって心の穢れを取り除こうと実践したのです。

当時の新薬師寺には七仏薬師がおられ、脇侍の菩薩そして十二神将が並んだ横幅60mもある金堂で、東西の塔がなどが立ち並ぶ大寺でしたが、962年の大風や落雷による火災によりことごとく倒壊し、現在の金堂は奈良時代に再建され、その他の遺構は鎌倉時代までに建立されました。



新薬師寺金堂・奈良時代、当初の本堂ではなく修法のためのお堂でした



薬師如来と十二神将(新薬師寺の絵葉書よりコピー)



伐折羅(ばざら)大将立像(々・絵葉書をコピー)


次の画像は、別棟で公開中のBVDを庭から写したもので、奈良教育大学・(株)キャド・センターなどが協力して作ったCG画像です、あまりよく映っていませんが、当時の色彩がどんなだったかはわかります。

















極彩色の伐折羅(ばざら)大将


春日大社本殿



今からおよそ1300年前、奈良に都ができた頃、藤原不比等が藤原氏の氏神である鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)を三笠山へ迎え、天平の文化華やかなる768年、称徳天皇の勅命により藤原永手によって今の地に壮麗な社殿を造営して香取神宮から経津主命(フツヌシノミコト)、また枚岡神社から天児屋根命(アメオコヤネ)・比売(ヒメ)の神々をあわせて祀ってあります。

それぞれの神様は春日造りの各本殿に祀られ、原始林に包まれた春日の森で、20年ごとに式年造替によって、朱柱・白壁・桧皮屋根の本殿社殿が美しく保たれ、年間2200に及ぶお祭り(節分万灯篭・春日祭・お田植祭・薪能・中元万灯篭・采女祭・若宮おん祭・などなど)、全国3000に及ぶ春日の分社、奉納されている3000基の灯篭は、春日信仰の広がりを示しています。



中央下の幣殿までは無料参拝できます



南 門



中門その奥が本殿



ご本殿をかいまのぞ




万灯篭の様子(藤浪之屋)


東大寺 (南大門から入り外より大仏殿を拝みました)



南大門


「天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊した。現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したもので、今はない鎌倉再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構である。
正治元年(1199)に上棟し、建仁3年(1203)には門内に安置する仁王像とともに竣工した。入母屋造、五間三戸二重門で、ただ下層は天井がなく腰屋根構造となっている。また屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもある。大仏殿にふさわしいわが国最大の山門である。

仁王像二体は、昭和63年から5年間にわたって全面解体修理が行われ、天平創建期から向かい会って立っていたことや、山口県で伐採された木材が、約1年程で搬送され、古文書の記述通り、ほぼ70日間で二体同時進行で、造像されたことも証明された。」(本文:東大寺ホームページよりコピー



仁王像より天井側



中門と大仏殿を仰ぐ



戒壇堂 

754年(天平勝宝6)、聖武上皇は光明皇太后らとともに唐から渡来した鑑真から戒を授かり、翌年、日本初の正式な授戒の場として戒壇院を建立した。戒壇堂・講堂・僧坊・廻廊などを備えていたが、江戸時代までに3度火災で焼失、戒壇堂と千手堂だけが復興された。(本文:東大寺HPよりコピー)



東大寺七重の塔の相輪 高さ23.3m 1970年大阪万博に出展 七重の塔再建は東大寺の悲願です


東大寺七重の塔:これは聖武天皇の天平時代に、東大寺の創立時(743年)に建てられた東西両塔で高さがなんと32丈(約96m)、400年間存在していたそうです(「院家雑雑跡文」1340年:「古代日本の超技術」志村史夫著・講談社より)、当時の人々の驚きは想像すらできません。ちなみに、聖徳太子が建てた法隆寺の世界最古の木造建築の五重塔は680年頃で基壇より上が31.5mで今も元気で建っていますね。
日本の歴史上、三重塔や五重塔が地震や大風で倒壊したものはどこにもなく、いずれも戦火・大火によるものだそうです、日本の大工さんの技術は今はもう忘れられて、早く安く建てて儲かることが大事になってしまいましたね。

春日若宮「おん祭」と東大寺ミュージアム


奈良国立博物館で春日若宮「おん祭」展が開かれました。このお祭は、毎年12月15日より18日に奈良を彩る一大祭事として親しまれています、このお祭は春日大社の摂社・若宮神社(天児屋根と比売神の子・天押雲根命を祀る)の祭礼で、毎年3月13日の本社の大祭・春日祭とは別に大和国一国を挙げて盛大に行われてきました。本展では平安時代以来脈々と続いている、おん祭及び春日信仰に関連する絵画・文書・工芸品などを展示されました。

ミュージアムには、光明皇后が大仏に奉納した剣のうちの二ふりの剣が、奈良の大仏の台座の下から明治40年に出土した国宝・金堂鎮壇具(こんどうちんだんぐ)の金銀荘大刀(きんぎんそうのたち)そのものが、約1250年にわたって行方が分からなくなっていた、聖武天皇愛用の「陰寶劔(いんほうけん)」と「陽寶劔(ようほうけん)」だったことが、2010年10月に最近の透視技術で柄の部分に陰剣・陽剣と刻されていることにより分かったそうで、古色蒼然しかし金色に輝く太刀として展示されています。

鎮壇具とは:寺院で堂塔を建設する際、土地の神を鎮めて安泰を願うために埋められた金銀、水晶、刀など。奈良県明日香村の飛鳥寺の塔(6世紀末)や奈良市の興福寺中金堂(8世紀前半)などで出土しています。

         「春日若宮おん祭」の様子は YouTube でたくさん見られます、日本最大と云ってもよいお祭りが楽しめます。



「おん祭」(パンフレットよりコピー)



「おん祭」の日程(パンフレットよりコピー)


東大寺ミュージアム


2011年(平23/10)の開館以来2年を経過いたしました。このたび、新たに四月堂から重要文化財 木造千手観音立像(平安時代前期)をお迎えします。その両脇侍としては(三月堂=法華堂より→風来坊主補記)国宝 塑造日光・月光菩薩立像(奈良時代)、さらに平安時代後期の制作である重要文化財 木造持国天立像・同じく重要文化財 木造多聞天立像を配し、ミュージアム内に新たな礼拝空間を創造いたします(本文:東大寺HPより抜粋)。




















左:ミュージアム 右:その前の道



千手観音と日光・月光菩薩 (人工光で参拝することに違和感がいっぱいでした、パンフレットよりコピー)


奈良公園周辺をお楽しみいただけましたか?

いずれも廃れることなく皆さんの信仰と支持を得ている古代よりの文化です、飛鳥や平城(なら)に住んだ人たちが日本国の礎として、その文化を科学技術にまで反映して現在があります。

飛鳥時代から屋根のひさしは大変深くなっていますが、これはインドや中国の建築にない、日本独特の雨と湿気から守るための工法です、(法隆寺大工棟梁・故西岡常一氏「木にまなべ」小学館文庫より)。

この素晴らしい建築技術は、錆びない鉄器などとともに当時の最先端技術であり、脈々と今日の文化につながっています。

私たちはこの尊い遺産を末永く学び、生かしてゆくために、古代をさらに知りたいと願っております。


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