第67(82)回 9月 Newコダイ・ウォーキング レポート


播州平野に国宝を訪ねる


涼風を感じる季節となりました、皆さんは酷暑をお元気で乗り切られたことと存じます。私は鹿児島の南部で育ち、暑ーいインドや東南アジアを歩き回っていましたが、寄る年波には勝てず今年はずいぶんエアコンのお世話になりました。

さて9月は足慣らしを兼ねて、大変交通不便ですが訪れる価値は大きい国宝の宝庫、浄土寺を目指しました。この寺は加古川の奥、兵庫県小野市にあり、そして7世紀後半に造られた薬師寺と同じ伽藍配置であった広渡廃寺跡へも行きました。

播州平野は加古川流域に旧石器時代より人の住む豊かなところで、飛鳥時代には聖徳太子の荘園があり、兵庫県揖保郡太子町の鵤(いかるが)寺をはじめとして、太子由来の史蹟が散在し、加古川市の鶴林寺は6世紀末に建てられたことで有名ですね。

まだ夏バテの人が多かったのか、出席者は少なかったのですが秋の涼風に助けられて楽しい一日でした。


浄土寺

もともと行基さんの開山した寺があったと言われていますが、実際には平安末〜鎌倉時代に奈良の大仏殿等を再建した重源上人(1121〜1206・東大寺勧進職)によって建てられたもので、浄土堂(=阿弥陀堂・国宝)、本尊として快慶作の阿弥陀三尊の巨像(像高503Cm・並びに両脇侍の観音・勢至菩薩・国宝)を安置しています。堂は1194年に上棟し、1197年に完成供養を行ったと記録されています。その他多数の重要文化財のあるお寺として有名です、その多くは奈良国立博物館にあります。



阿弥陀堂の麗容 創建1192〜1957年まで解体修理されることはなかった



阿弥陀三尊立像 高さ530pと370pX2 鎌倉初期・快慶作
背面の透かし蔀戸(しとみと)から差し込む夕日が天井に届かんばかりの
三尊像を西方浄土からのご来迎の姿として浮かび上がらせる雄大の極み、
天井が張られていない天竺様式の御堂もまた必見です(パンフレットよりコピー)


おことわり:’13年12月14日まで三尊像が裏表逆になっていることに気づ付きませんでした。
この像は宋様式で重源正人は3度中国に渡り、その時のスケッチをもとに快慶が刻んでいます。
阿弥陀さんは衆生に右手を差しのべておられるのです、日本の像はその反対になっている
ので画像をスキャンしたとき無意識に逆にしたのでしょう、お詫びして訂正します。



屋根瓦には「南無阿弥陀仏」と彫られています



八幡神社拝殿(1235年) 
重源上人は八幡信仰を重視し浄土寺境内の真ん中にあります、室町時代の和・唐・天竺折衷の代表的建築



左:薬師堂(荒廃した広渡寺の本尊を移設)と開山堂(いずれも重文・重源上人像は奈良国立博物館) 


広渡廃寺跡


7世紀後半頃に建立された古代寺院跡で、東西両塔、金堂、講堂などが、奈良の薬師寺と同じ伽藍配置であったことが明らかとなっています。今は史跡公園として整備復元され、基壇と呼ばれる建物の基礎や1/20の伽藍縮小模型などにより往時の姿を偲ぶことができます。



在りし日の広渡寺復元(1/20) 講堂・僧堂などはこの枠外です



南大門跡より中門、東西の塔、その奥に金堂の礎石を見る



















 規模としても同じくらい? 左:広渡寺西塔より金堂 右:奈良県橿原市の本薬師寺の東塔跡



古代に思いをはせるひととき


こうして播州の旅を楽しみましたが、加古川流域を中心とする広大な平野は今もってとても豊かなところに思えます、小野市の図書館・体育館などの素晴らしい建築など、古代から現代へと続いている人々の努力と自然の恵みだろうと思っています。


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