第66(81)回 7月 Newコダイ・ウォーキング レポート


名古屋近郊の古代を訪ねる-2 days walking-8月増補版


6月のウォーキングプランが私の仕事の都合で7月に一か月延期して実施しました。大和の国と尾張・三河の強大な豪族のいた国とは遠く神代の時代から、一時的な争いもあったものの親密な関係にあり、予てよりこの地方へも行きたいと思っていましたが、日帰りでは難しくかつ費用もかかるので延び延びになっていました。

今回は6月13・14日をそのまま7月にホテルもレンタカーも延長した結果、大失敗を呼び込み一番のテーマであった弥富市にある「愛知県埋蔵文化財センター」が土日が休みであることに気づかず、門前払いとなってしまいました。よって8月に再訪して一層広範囲なレポートとなりました。
また、2017年5月27日に大阪府「近つ飛鳥博物館」土曜講座の「第98回ヤマト王権と地域社会の形成」で古墳時代の「東国尾張とヤマト王権-考古学からみた狗奴国と尾張連氏-」の講座があり、私の東海地方の古代を補足できる資料をUpし、且つ一部文書のほうも加筆することができました。


名古屋市立博物館

1977(昭52)年に開館した歴史博物館、考古・美術工芸・文書典籍・民俗に関する資料展示公開しています。時間都合で「常設展・尾張の歴史」だけを見ました、信長・秀吉・家康など見るべきところは山とありそうでしたが、詳しくは下をクリックしてお楽しみください。


常設展「尾張の歴史」



市立博物館正面



旧石器・石器時代の遺跡分布



縄文時代の遺跡分布・茶色のところが陸地でした



縄文時代の土偶と耳飾り



弥生時代の尾張地方



舟型木棺


弥生時代中期(約2000年前)・名古屋市北区平手町遺跡出土、方形周溝墓の埋葬施設で実用ではなくヒノキ材です。被葬者は足を舳先に向けられて、舟葬の観念を示しています。

舟葬とは、死者を舟に乗せて死者の世界へ送り出す葬法で、死者の世界が海の彼方にあることを物語っています、世界各地で確認されているそうです。



名古屋城の濠から出土の弥生時代最大の銅鐸


古墳時代



古墳時代の尾張  近つ飛鳥博物館・土曜講座資料より(017・5・27)



尾張と美濃の古墳一覧(数字は全長メートル) 近つ飛鳥博物館・土曜講座資料より(017・5・27)



尾張地方の古墳の大きさ:右が最大の断夫山古墳(後述)


守山区・志段味(しだみ)古墳群の埴輪


8月増補版 「あいち考古楽市2013」


愛知県埋蔵文化財調査センターへは、出発を延期していたのに土日が休みを失念して、名古屋市内から木曽川河口部の弥富市まで行きましたが無駄足を踏んでしまいました。それゆえ8月13~14日に再訪してきました。その折に弥富市歴史民俗資料館と東海地方最大の弥生時代の朝日遺跡(清須市・名古屋市西区)へも行き、愛知の古代を一層広く知ることができました。
この三つのミュージアムは「あいち考古楽市2013」を協賛して開会中でしたから、特色のある三つの展示を見ることが出ました。


愛知県埋文

今回は江戸時代の街道を知る「考古楽さんぽ展」と土器の編年研究「土器クロニクル展」が開催され、多くの発掘資料を見ることはできませんでしたが、なかなか楽しい企画になっていました。なお朝日遺跡の発掘品はたくさんありましたが、「愛知県清須貝殻山木塚資料館」でご紹介します。



        ↑館内の展示  →愛知埋文入り口




文様の美しい縄文時代の土器:左から東光寺遺跡(幸田町)・権現山(岩倉市)・朝日遺跡(清須市)・牛牧(名古屋市守山区)



古墳時代の土器:名古屋市北区・志賀公園遺跡


7~8世紀に作られたお寺でまだ調査されていませんが大量の瓦が発見されています


弥富市歴史民俗資料館


弥富市は木曽川の河口付近に広がる町ですが、金魚の生産高日本一であり、文鳥も特産の鳥だったらしいです。ちなみに金魚は室町時代に中国から伝来し、江戸後期からは町人文化として発達し、そのころ大和郡山から弥富に伝えられたそうです。
ここでは「いきもの考古楽展」開かれ、古代からの人と生き物とのつながりあいを知ることができます。



















弥富市のシンボル「きんちゃん」と立派な金魚が迎えてくれます



春日井市:二子山古墳より出土の馬型埴輪、古墳は全長96mの前方後円墳、築造6世紀


朝日遺跡-清須貝殻山貝塚資料館


ここは東海地方最大の1000名が暮らした弥生時代の遺跡です、貝塚が点在し海水から淡水までの貝殻が捨てられていました。貝塚の横に資料館があり、この遺跡が大規模な高速道路の清須ジャンクションの真下に存在し、発見から86年にして全体の発掘調査が終わりました。昨2012年には出土品の2028点が国の重要文化財として指定され、濃尾平野における弥生時代の全容を知ることができるようになりました。ここではあまり関西で見られない特色のある出土品を見てゆきましょう。
















     ↑愛知県貝殻山貝塚資料館 →貝塚を見る




清須ジャンクションの下にある遺跡群


200 m

ながーい発掘の歴史



































        ↑赤く塗られたパレスタイル土器→






























 






豊かな造形美の赤塗土器群


断夫山古墳

名古屋市の真ん中熱田神宮のすぐ近く熱田公園内の球場の隣に、東海地方最大の古墳があります。全長151m最大幅116m最大高16.2m、6世紀初めの築造の前方後円墳。

なぜ、断夫山古墳と名付けられているかというと、古より日本武尊の妃・宮簀媛(ミヤズヒメ)の墓と伝えられ、『古事記』『日本書紀』では、「ヤマトタケルは東征の折、この尾張の地で豪族の娘ミヤズヒメと結婚の約束をかわし、草なぎの剣を彼女に預けて東征におもむき、その帰途病気がもとで死に、白鳥となり飛去った」とあります。
この白鳥となったヤマトタケルの墓が白鳥古墳であり、ヤマトタケルへの思いをいだいてどこへも嫁がずに死んだミヤズヒメの墓がこの断夫山古墳であると伝えられています。この事から夫を断つ山、断夫山古墳と名前がついたそうです。

現在では 5〜6世紀に周辺の海人(当時、伊勢湾は現在より北まで入り込んでいた)に影響力を持っていた尾張氏の首長で、娘である目子媛(めのこひめ)をオホド王(後の継体天皇)に嫁がせた事で天皇の外戚となった尾張連草香(おわりのむらじくさか)の墓と考えられています。

熱田神宮のご神体は、ミヤズヒメが熱田の地に草なぎの剣を祀ったのが始まりであり、そのほかの神様は天照大神(あまてらすおおみかみ)素盞嗚尊(すさのおのみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと)宮簀媛命(みやすひめのみこと)建稲種命(たけいなだねのみこと)です。



きれいに整備された古墳


日泰寺


お釈迦さまの死後2500年の間に、1898年に北インド・ピプラワーで英国人によって発掘され、骨壺に書かれたインド古代文字によって釈迦の遺骨と判明しました。
インド政府はその仏骨を仏教国タイに贈り、1904(明37)年にその一部が日本に贈られました。この仏骨を祀るために日本仏教全宗派が協力して建立したのが「日泰寺」です、現在も全宗派から僧を出して管理に努めています。



覚王山日泰寺山門


愛知県陶磁美術館


1978年に「愛知県陶磁資料館」として開設され、35周年を記念して「愛知県陶磁美術館」として規模を拡大しました。愛知県は「せともの」の愛称とともに日本を代表する窯業の地であり、その立地、建設は滋賀県信楽市にある「県立陶芸の森」によく似ている印象を受けました。

35周年と新名称を記念して特別企画展「日本・中国・韓国 陶磁の名品ここに集う」展が開かれ、大阪市陶磁美術館から国宝の「飛青磁花生」(中国元時代龍泉窯)をはじめとして、あちこちから重要文化財級が60点集められていましたが、私たちは何度も見てきたものばかりでしたから、興味深かったのは「猿投・瀬戸:全国古窯陶磁資料展」だったと思います。
古墳時代中期・5世紀中頃、朝鮮からヤマトに新しい須恵器が伝えられ、それまで野焼きであった800~900℃から、ロクロを用い穴窯で1100℃まで上げて非常に硬い土器が造られるようになりました。
この技術は素早く尾張へ伝わり、大変良質の陶土が出る地であった猿投をはじめとする日本三大窯「陶邑窯跡群(大阪府堺市)、 猿投山窯跡群(愛知県名古屋市)、 渥美窯跡群(愛知県渥美半島)または、牛頸窯跡群(福岡県大野城市)」の一つに発展してゆきました。



正面入り口





名古屋アラカルト:

1:博物館・美術館に展示品の一覧表、館の歴史と主な展示品の解説パンフレット、図録の販売などがなく、一部有料のレシーバーはありましたが、展示品のそばの解説は私の目では双眼鏡がなくては見えないという、よそのミュージアムとは違った方策でしたから、もうちょっと見る者の側に立ってほしいと思いました。展示そのものには内容・分類ともに素晴らしかったと思います。

2:名古屋市街の道路のありようは素晴らしく大変快適に走行できるのですが、中心部では川も山もないので目標が定められず、方角がさっぱりわからないのでレンタカーのナビだけが頼り、高速道路も充実して不便はありませんが、一つ分岐点を間違えるとどこへ行くのかわからず、結局いつものように帰着予定が1時間以上オーバーしてしまいました。

3:大阪の食い倒れは有名でどこででも食堂・喫茶店の類がありますが、名古屋ではそうはゆきません。ところで夕食は名古屋名物「味噌カツ」を松坂屋の名店街で30分待ちくらいで食べられたのですが、隣の「ひつまぶし(鰻)」屋さんはなんと2時間待ち、いやはやびっくりでした。

4:往きはなんばから近鉄特急で名古屋まで2時間ばかり、帰りは新幹線1時間足らず、料金は1000円ばかりJRが高いですが、どっちも快適な乗り心地でした。


5:最近の美術館は土・日に開館して月・火あたりの休館が当たり前になっていますが、名古屋市立博物館と弥富市のミュージアム、愛知県陶磁美術館以外のところはすべてカレンダー通りに土日祝は休み、なぜなんでしょう?見せてやってると今でも思っているのでしょうか?



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