第63(78)回 3月の New コダイ・ウォーキング レポート


おおさか近郊の古代を歩く−U


生駒山系の西麓、今の淀川の東岸・北河内もまた、古代には海そして湖が広がり人々が住み続ける豊かな土地でした。そして淀川の流れはここ大阪平野に古代も今も高い文化を育んでくれています。
3月はそんなところを訪ねながら、ゴミ捨て場からよみがえった花の万博の跡地に広大な自然公園となった鶴見緑地公園に春を探しにゆきました。


四条畷(しじょうなわて)市歴史民俗資料館

かって国鉄(JR)の片町線は1895年(明治28)環状線の京橋から四条畷まででしたが、現在はさらに北進して枚方市・京都府京田辺市そして進路を変え奈良県木津市まで、大きな文化圏を走って関西本線となり、三重県伊賀市を通って名古屋市まで続いています。これは日本の歴史をつづって走る旅となり、一度はこの関西本線の旅をしてみたいと思っています。

四条畷市は大阪府の都市の中では小さな方に属しますが、大阪府の西側の都市では最も優れたミュージアムを持っています、ということはそれだけ考古学に力を入れてきたことでもあり、他の衛星都市は遺跡はすべて都市開発の犠牲となり、調査されることもなく宅地や工場敷地としてお金に変えられてしまった、というのが現状でしょうが、例えば隣近所の守口市や枚方市が、同じ考古学的調査をしても出土するものはどこも同じものばかりということになりますから、四条畷市の取組みには敬意を払いたいと思います、よく整理された展示はわかりよく楽しいものでした。

この北河内の地は古墳時代中期には、湖と川と山に恵まれた土地として、朝鮮半島を経てきた渡来人の人々が馬を飼ったところです、馬を生贄にしたり、古墳埋めたり馬とともにする生活が竪穴住居跡から発見されています。
馬は大和王朝などに供給され、あらゆる社会発展に欠かせないものとなっていきました、船の通れないところは歩くか馬しかなかった時代でしたね。



馬の埴輪 弥生時代後期(1800年前頃)雁屋遺跡 鉄滓・鉄片も出てきました


この雁屋遺跡の方形周溝墓からはヒノキの棺にの収められた身長164Cm、年齢40才の男性の人骨が完全な姿で発掘され、この場所に展示されています。私はその人を尊び写真にはしないで拝んでおきました。



















民族資料館入り口と内部の様子



縄文時代の始まり:12000年前に土器や弓矢が発明されました、右左下12000年前の矢じり、その左隣は9000年前の土器片



弥生時代中期(2150年前):米ができました、箱の中は占いに使った肩甲骨



馬の祭り場:古墳時代中期(1500年前) 箱の中はいけにえにされた馬 鎌田遺跡



なだらかな土地は放牧に最適でしたが、社会が発展した奈良時代以降は信濃(長野県)・上野(群馬)・
武蔵(埼玉・東京)に広大な牧場ができてゆきました


寝屋川市


寝屋川市立埋蔵文化財資料館:なぜ寝屋川市へ来たかというと、ここの施設が北河内では一番古い歴史をもち、1984年に開設されました。マンションの1階の奥にあるかわいらしい展示室は、四条畷市の人口の4倍もあるこの市に似つかわしくないものですが、考古学など考慮されない古くから住宅開発が始まったところとしてやむおえないところでしょう。ここでは主に戸外にある遺跡を巡ることにしましょう。

なお北河内では当時複雑な流路を持っていた淀川水系により、洪水や高潮が人々を困らせ、古墳時代中期に浪速高津宮にいた仁徳天皇は豊かな河内平野を造成するため、現在の寝屋川を中心とする地、約20Kmに「茨田(まんだ)堤」を築造し、米の増産に成功しました。



資料館入口



耳飾り(現代のピアス) 縄文時代中期 護良川(ささら)遺跡



弥生・古墳時代の勾玉



古墳時代後期の須恵器群



長保寺遺跡 古墳時代の古代船の残骸 古墳時代の井戸枠として発見 復元船は約10mと推定されています


石の宝殿古墳:北河内唯一の古墳時代末期に属する古墳ですが現状は土がなくなり、巨大な横口式石槨が露出しています。同様の構造の古墳は奈良県斑鳩町・御坊山3号墳、明日香村の鬼のまな板・雪隠しかないそうです。
周辺から須恵器の土器片が発見され、7世紀中ごろ築造された、この地域の有力な豪族の陵墓と考えられています。



打上の四辻:東西に東高野街道。南北に奈良・伊勢道の交わるところでした



生駒山麓の標高100m、市で一番の高地で自然林に覆われた広大な神社領域、渡来人・秦氏、高宮氏の住んだ土地
川原の氏神をまつるカワラ、渡来人の高麗がなまってコウラになった両説があります



露出した石槨(せっかく) こんな高台にこの大石を持ってくる権力を推し量りましょう

高宮廃寺跡:寺院は白鳳時代に創建され、奈良時代にかけて営まれたのち廃絶し、鎌倉−室町時代に大社御祖神社の神宮寺として再建されたと考えられています、金堂・講堂の位置や回廊が薬師寺式の伽藍配置と同じであることがわかりました。高宮廃寺跡の西側にある高宮遺跡では、高宮廃寺が建てられる直前の時期に、柵に囲まれた巨大な建物跡が見つかっており、この地方を治めていた古代豪族の居住地だったと推測され、北河内を代表する古代寺院跡として1980年に国指定の史跡になりました。
と書いておいて現地へ行ったところそこには案内板もなく藪の中を探し回りましたが、礎石の跡も見つかりませんでした。



この神社の裏が遺跡です



国の史跡としては全くお粗末な扱いでしたね



何も見つけられなっかた遺跡のある雑木林


鶴見緑地公園

1972年にごみの埋め立て処分場の再利用として広域公園が開かれ、1990年には「花の万博」会場となり、その時の施設が現在も人々を楽しませています。広大な公園には、アンズ(ふるさとの森)・桜、花桃(各所)・水仙、菜の花・チューリップ。ゆきやなぎ・レンギョウなどが咲いていました、また「さくやこの花館」は世界中の植物が見られる数少ない植物園です。
なお、それぞれの花については我らの会の生物楽者ミュウミュウさんの画像にすべてを託します。


「ミュウミュウさんの花の写真」←クリッ 



ランの花ですかね(風来坊主)



風車の丘にて:菜の花の向こうはチューリップ(風来坊主)



















               風車の丘に煙も見えないのにやってきました       そして楽しい反省会


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