東北 がんばろう

第62(77)回 2月の New コダイ・ウォーキング レポート


おおさか近郊の古代を歩く-Ⅰ


大和王権が飛鳥やなにわにあった頃、その中間にあった地方は現在、香芝市(奈良県)・柏原市・藤井寺市・羽曳野市(大阪府)など多くの市に分かれて存在しています、旧石器時代からの人々は縄文海進を経て、超古代大阪湾そして河内湖が干上がると生駒山麓・二上山以南の人々が住み始めて、豊かな河内平野が形成されていったことはご承知のとおりです。今月はその中から古代に関するミュージアムを持っている街を巡ってみましょう。
真冬のさなかとはいえ春のような温かい好天気に恵まれて、皆さんの足取りも軽く楽しい一日でした。

最近の新聞に桜井市の箸墓古墳に調査が入ると載っており、いよいよ歴史の解明に宮内庁も踏み出すのかと思いきや、ただ古墳の周りを歩いての調査だけということで、ばかばかしくなるとともに、歴史学者も一歩も踏み出せないことにあきれていますが、まあ纏向遺跡の重要な発掘に何らかの寄与があることを期待しましょう。


奈良県香芝市:二上山博物館


いまからおよそ2000万年前頃に大噴火した火山が二上山(ふたかみやま)。この噴火によって、さまざまな火成岩を生みだし、そのうちでも、サヌカイトと凝灰岩、ざくろ石(金剛砂)は、歴史的に興味深い存在。サヌカイトは、産出されるのが多久(佐賀県)、讃岐(香川県)とこの二上山だけで、旧石器時代より青銅器・鉄器時代になるまで使用されました。

サヌカイト=ガラス質の安山岩、打製・磨製石器の材料」 「凝灰岩=火砕流堆積物、藤の木・高松塚・平野塚穴山古墳などの石槨(せっかく)=棺を収める部屋の構築材、寺院や宮殿の礎石や基壇、五輪塔や石仏に利用」 「金剛砂=ガーネット=火山石が風化、鉄分が多く硬度が高く研磨剤として現在も利用」の三つの石によって、「二上山」は旧石器時代から今まで、山の美しい姿と大友皇子の悲劇の地として人々に感動を与え、万葉集に詠まれる古代を代表的する山としてだけでなく、人々の暮らしに深いかかわりと日本文化の形成に大きく寄与してきました。

香芝市は大阪府柏原市に隣り合うところ、二上山博物館はこれらの石材だけを展示する特殊性を持ち、特に旧石器時代を重点的に大変丁寧に構成されて楽しいミュージアムになっています、しかしながら、写真を写すには面倒な申請書が必要で、公的なミュージアムとしての性格を損なっている、反時代的なところでもありました。



サヌカイトの剥石片(香芝市指定文化財)



旧石器時代遺跡分布図



原石の剥ぎ方に地域によって縦と横があるそうです



二上山山麓の石器時代遺跡(二上山は右下)


石器について:
石器の始まりはエチオピアの260万年前のゴナ遺跡から発見された石器といわれ、ヨーロッパでは150万年前、中国では80万年前、日本では3~4万年前の石器が始まりのようです。

日本における石器の材料としては、北海道:黒曜石、東北地方:硬質頁岩、関東並びに中部地方:黒曜石で西日本以西はすべてサヌカイトです。



左:フランスの石器 右:フランスとイギリスの原石


大阪府柏原市:高井田横穴公園


6世紀中から7世紀前半にかけて、柏原市の大和川沿いにある高井田付近の丘陵の崖(凝灰岩層)を掘削して、横穴式石室に似た構造に造られた墓室が160基も構築され、横穴墓群の規模としても最大級のものであり、その多くに、古墳時代の線刻画(人物、船、鳥、馬、魚、樹木、花、渦巻文、太陽、家屋など)を伴うこと有名です。国指定の史跡公園「史跡高井田横穴公園」として整備されています。
この公園内に5世紀終わりに造られた高井田山円墳があり、横穴式石室をもち日本で2番目の火熨斗(ひのし=古代のアイロン)、鏡、武器武具が出土しました、石室の形や出土物から朝鮮半島とつながる人物の古墳とみられています。
公園内には柏原市立歴史資料館があって、この遺跡がいっぱいの地域を十分に体感できる小規模でも素晴らしいミュージアムになって楽しませてくれました。


1

古代へのいざない広場

2

古代への入口広場

3

歴史の道(遊歩道)

4

古代の道(遊歩道)

5

芝生休憩園地

6

出会いの広場

7

バラ園

8

展望所

9

ふるさと広場

10

屋外展示広場

11

竹林広場・杜若園

12

出会いの広場

13

歴史の広場

14

公開古墳

15

高井田山古墳

16

市立文化教室(柏陽庵)

17

市立歴史資料館

 

柏原市ホームページよりコピー




装飾古墳とは:(参考=朝日新聞013-1-28「装飾古墳」)
墓室の壁や石棺を線刻や彩色で装飾した古墳のことで、古墳時代(3~7世紀)に日本で造られた古墳や横穴墓は約30万基のうち装飾された墳墓は670基、このうち熊本県をを中心に九州が386基、次に鳥取、神奈川、千葉、大阪(30)となっています。
装飾古墳の白眉といわれるのは福岡県の王塚古墳で5色を使って豪華絢爛に文様や武器武具、騎馬人物などが描かれています、奈良県の高松塚・キトラ古墳が極彩色であり、岡山県の千足古墳の壁には浮彫があるそうです、茨城県の虎塚古墳の壁画は発見から40年経てもカビ被害がないそうですから、発見・発掘されることが大きな劣化やカビ被害の始まりとは言えない人災のようですね。



第3支群5号横穴「人物と舟」:公開古墳が2ヶ所あるその一つ、照明設備があります、
これは洞窟のすぐ中にある羨道の線画、全洞窟は5月と10月に一般公開されます



横穴の外に設けられたレプリカ



横穴墓室内の様子



高井田山古墳(5世紀末)の石室内部 土器・武具や火熨斗が見えます



柏原市立歴史資料館:火熨斗(5世紀)、向こうは三角縁神獣鏡(4世紀)



柏原市立歴史資料館:下段 鉄をつくる・左:ふいごの火口 中:鉄滓 右:砥石

鉄滓とは:たたら製鉄では砂鉄と木炭を炉にいれて燃焼し、砂鉄を還元して約半量が鉄になります。その際、砂鉄中に含まれる不純物は高温で熔融し、スラッグ(鉱滓、ノロ)として排出されます。



古代の生活用品





















左:江戸時代に氾濫を防ぐため北から西へ付替えられた大和川   右:実によく整備された資料館入り口



1704年にわずか8カ月で付替えられました (国交省大和川河川事務所HPよりコピー)



大和川より見る二上山


羽曳野市立綾南の森・歴史資料室


(公財)大阪観光コンベンション協会の案内によると「この資料室の魅力は、何といっても展示されている品々の質の高さ、古墳の多さでは日本有数の羽曳野市から出土した一級品ばかりが展示されている 」とありましたが、のぞいてみると銅鐸と土器のかけら、あとはパネル展示・パンフレットなしという寂しい限りの小さな部屋でした。一つだけ江戸時代に狩野探幽の描いた応神天皇の治世と崩御を描いた絵巻物は圧巻でした。



「興田宗庿御縁起絵」狩野探幽絵・土佐光信筆



袈裟襷文銅鐸(重文)  大阪府羽曳野市西浦出土



高鷲丸山古墳 雄略大王(倭王・武)の円墳(径76m)


雄略大王とは:418~479年、大泊瀬幼武尊・大悪天皇・有徳天皇とも。雄略天皇の事績は熊本県や埼玉県から出土した鉄剣銘に「獲加多支鹵大王(わかたける)」とあることからその武威は全国に及んでいたと考えられています、さらに高句麗の侵攻を受けた百済をたすけ朝鮮半島南部へ進出したと「日本書紀」にあり、雄略朝を大和王朝の勢力が拡大強化された歴史的な時期であったとみなされています。しかし彼は王権の強化のため、多くの有力皇族や豪族を殺してしまったので、誹謗されることも多かったのです。また、「宋書倭国伝」の「倭の五王」のうちの「倭王武」にあたるとされています。

「夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は こよひは鳴かず 寝ねにけらしも」 万葉集・巻九



恒例の反省会


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