コダイ・ウオーキング番外編

纏向(まきむく)遺跡の現地説明会

アフリカの中央部から我々の先祖(ホモサピエンス)が東西へとあるいは陸路あるいは船路で出立を始めたのは約10〜20万年前、そして2万年前には陸地のほとんどの地域に到達し、現代では人の住まないところはないほどに拡散しました。

ホモサピエンスという生物は誠に探究心と冒険心に富んでいるといわざるを得ません、夢は果てしなく月に到着し、今度は火星に行こうとしています。宇宙の神様はどんな目的でこんな人類を誕生せしめたのでしょうか?

一方、過去を探る方向へも人々は全力を挙げ、ビッグバンや暗黒星雲の存在を確認するに至り、とどまるところはありません。私たちのコダイ・ウォーキングで行けるところは、せいぜい2万年前氷河期の旧石器時代(北海道千歳市)ですが、過去を振り返ることは、未来を夢見るに等しくそしてより現実的でもありますね。

2月3日(日)纏向遺跡で新たな発掘があり、現地説明会があるとの報道で、まだ現説に行ったことがなかったので、好天気に誘われて行ってきました。その様子は画像で見ていただきましょう。

纏向(まきむく)遺跡

JR桜井線「巻向」駅を中心に東西2km南北1.5kmに広がる纒向遺跡は、その面積は300万uに及びます。初期ヤマト政権発祥の地として、あるいは西の九州の諸遺跡群に対する邪馬台国東の候補地として全国的にも著名な遺跡です。

○この遺跡は藤原京や平城京に並ぶ広大な面積を有すること、
○他地域からの搬入土器の出土比率が全体の15%前後を占め、かつその範囲が九州から関東にいたる広範囲な地域から集まっていること、
○箸墓古墳を代表として、纒向型前方後円墳と呼ばれる纒向石塚・矢塚・勝山・東田大塚・ホケノ山・南飛塚古墳、前方後方墳であるメクリ1号墳などの発生期古墳が集中して築かれていること、
○農耕具が殆ど出土せず、土木工事用の工具が圧倒的に多いこと。

等々、他の一般的な集落とは異なる点が多く、巨木を使った導水設備(水洗トイレ)や巾6m深さ1.5mの運河などがあり、日本最初の「都市」、あるいは初期ヤマト政権最初の「都宮」とも目されています。
遺跡の発掘調査は1971年以降、桜井市教育委員会と県立橿原考古学研究所によって現在までに176次におよぶ調査が継続的に行われているものの、調査面積は広大な遺跡の5%にも足りず、未だ不明な部分も多いのが実情です。

第162次(2008年)・166次(2009年)の調査で、柵囲いされた居館とされる地域で南北19.2m東西12.4m床面積238uの及ぶ遺構が発掘され(図-2:建物D)、先に発見されていた建物と同軸上にあり、ここが卑弥呼の政治を執り行ったところだと、一時大騒ぎになったことはご記憶も新しいことでしょう。

今回の発掘は同軸上に新たな建物を探るためになされましたが、建物の遺構はなく柱穴群が見つかっており、何らかの建物があったものと推定されています。

現説が終われば、すぐに埋め戻して元の田んぼとして地権者に返すそうですが、桜井市教育委員会をはじめ考古学に携わる方々には、今後ともどえらい仕事が続くものだと思ったことでした。



巻向駅より現地説明会場を望む:線路の奥のほうが居館域


現地調査図(纏向遺跡第176次調査現地説明会資料よりコピー)


図−1



図−2



受付:資料配布、発掘品の展示と出版物の販売のテントです



今回発掘された柱穴群



発掘現場をのぞく大勢の人たち



発掘品:右端は木製のナイフ



田んぼを掘り返した現場:右奥は三輪山、ビニールシートの下は堀りだした土


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