東北 がんばろう

第57(72)回 9月の New コダイ・ウォーキング レポート


但馬の古代とコウノトリの里



朝来市(旧和田山町など)は兵庫県のほぼ中央に位置し、日本海にそそぐ丸山川・瀬戸内に下る市川の源流地、ここには遠い過去に但馬の王国があり、茶すり山古墳という近畿地方最大の円墳や池田古墳などに王たちが眠っており、古代遺跡が1600か所もあるそうです。茶すり山古墳の近くに「古代あさご館」が開設され発掘された数々が展示されています。

朝来市の北には豊岡市があり、野生コウノトリの国内での最後の生息地、「兵庫県立コウノトリの郷公園」を拠点にコウノトリを再び大空に帰す取り組みを進めて、放鳥された鳥たちが思い思いに住んでいる様子が見られます。

そして参加の皆さんのたってのご希望で「竹田城址」へも行きました。但馬地方では前日にJRも止まる集中豪雨で、今日も雨の予報ながら傘が不要の天気となり、雨に合わない記録をまた更新しました。

今回は僻遠の地で、JR特急を利用すると大阪〜和田山往復8780円、しかも一日ではまわりきれませんので10人乗りのワゴン車をレンタルして行きました、これだと総経費約3300円/人と安上がりでしたが、名神尼崎I.Cに着いたときは日がとっぷりと暮れて,方角音痴の私と船頭多くしてなんやらの体たらくになってしまいました。

9月からのウォーキングは古代だけにこだわらない、より楽しめる新企画を織り込んでゆきたいと思っています


朝来市埋蔵文化財センター「古代あさご館」





「但馬の古墳」最も古いのは若水古墳、AC250〜300年ころの造営で直径41mの円墳、棺内には中国製の銅鏡(飛禽文鏡・連弧文鏡)があり、王は中国大陸と関わりがあったと推定されています。次に古い城ノ山古墳は(円墳36m)は三角園神獣鏡など副葬品の収め方が大和の前期古墳と共通しており、この王が大和の王権の一員になったようです。
4〜5世紀に古墳は全国的に大型化しましたが、但馬でも墳丘全長141m(周濠を入れると170m)の但馬地方最大の前方後円墳で、それまで北と南に分かれていた但馬を統一した但馬王の墳墓です。古墳へは水鳥の埴輪が並ぶ道から入るようになっていました。この王の跡継ぎが茶すり山古墳(近畿最大の円墳、直径90m高さ18m)に祀られています。



一般展示室



特別展示室・王墓の埴輪





















          エントランスで竹田城址のポスターに見入る一行






















                  縄文時代のゴミの層                                     実物大のレプリカ・長持ち型石棺



奈良時代の炊事用品


茶すり山古墳



高さ18m・すぐ左を北近畿自動車道が通っています





















茶すり山古墳の頂上


兵庫県立コウノトリの郷公園



コウノトリ(2010年1月撮影分)

コウノトリが禁猟になったのは1908年頃、1900年には生息数が10羽に減っていましたが1930年(昭5)には100羽に増え、以後減少傾向をたどりました。
1955年(昭30)コウノトリ保護協賛会が発足し、以後官民一体となって保護運動が始まりました。1956年調査では23羽を確認して特別天然記念物に指定されましたが、1963年には14羽に減り人工飼育に踏み切りました。1971年には野外に残った最後の一羽が死んでしまいました、1986年には飼育されていた豊岡盆地生まれの最後の一羽が死亡して、日本のコウノトリは絶滅。
1989年にロシアのハバロフスク地方から飛来したコウノトリにヒナが誕生し、初の繁殖に成功以後毎年繁殖に成功しました。1992年に野生復帰計画がスタートし、翌年コウノトリの郷公園を開園。2002年には飼育数が100羽をこえ、2005年には試験放鳥を開始、2007年には野外繁殖によってヒナが誕生、巣立ちしました。公園内には公開ゾーンと非公開ゾーンがあって、コウノトリは守られており、豊岡市立コウノトリ文化館がセンターの役目を果たしています。




コウノトリ文化館の屋根にとまっている野生化した鳥



人工の巣にとまるコウノトリ



巣の模型


「コウノトリの概要」翼開長:2.0〜2.2m、体重:4〜5Kg、鳴き声:成鳥は声を出さないがクチバシをカタカタとクラッキングをします、餌:肉食性・ドジョウ、フナ、カエル、ミミズ、バッタなど、分布:極東を中心に約3000羽、近縁種のシュバシコウはヨーロッパを中心に850000以上。
2月頃雄雌一緒に巣作りを開始、3月下旬から4月上旬に3〜5個産卵、鶏の卵の約2倍、抱卵:雄雌交互に温めて同日にヒナがかえります、孵化:4月下旬〜5月上旬、巣立ち:孵化から約63日目6月下旬〜7月上旬、寿命:約30年以上と推定。


竹田城址


竹田城跡は標高353.7メートルの山腹に位置し、室町時代(1441〜43)に但馬の守護大名・山名宗全が基礎を築いたとされ、太田垣氏が5代にわたって城主となりましたが、織田信長の命による秀吉の但馬征伐で落城。しかし秀吉は最後の城主・赤松広秀に命じ豪壮な石積みの城郭を整備しましたが、徳川家康によって自刃させられました。
規模は南北400メートル、東西100メートルに及び、完存する石垣遺構としては全国屈指のもので、「日本百名城」に選定されています。城跡周辺では秋から冬にかけてのよく晴れた早朝に朝霧が発生し、雲海に包まれた竹田城跡は、まさに「天空に浮かぶ城」を思わせますので、近年観光資源として宣伝され、私は都合4度目の訪問ですが一方通行道路が整備され、大変な賑わいでしたこの日は私はお城へは登らず運転のため休憩していましたので、写真は2011年11月に撮ったものです。




穴太(あのう)積みの大手門より入ります



天守閣跡より南・市川沿いを見る



同じく北の方を見る


そして…



「今年の予定」:10月14日(日)大和路・11月22日(木)湖北路・12月22日(土)?を予定していますが確定ではありません


表紙に戻る


1