第6回ブッダ・ウォーキングレポート


今回は710年に飛鳥の藤原京から遷都した平城京址を通って法華寺から三笠山を目当てに佐保川の堤を歩いて東大寺のそばまで来たとき、それまで曇っていた空が晴れ渡り、銀杏の黄葉が美しく照り映えました。

中国の古い都長安(現在は西安の駅前から連なる城壁の内部)に比べると、平城宮は東西1.4Km、南北1Km、周囲の長さ4.8Kmに対して、長安城は周囲の長さ14Kmと約三分の一の規模であり、南側に1998年に復元された正門である朱雀門は長安の3階建てになった巨大な南門(明徳門)とは比ぶべきもありませんが、一面の草原を踏んで東西に歩くとき、ここに都を建設した人々の情熱に感動を覚えずにはおれません。

これは一面の焼け野が原であった太平洋戦争敗戦後の日本の大都市が、復興する勢いにも似て人間の持つ英知のすばらしさを感じた一日でした。

この日は法華寺では見られないと思っていた国宝十一面観音を期間延長で何十年ぶりかで拝むことができたのは大変な喜びになりました、最後は奈良国立博物館での「正倉院展」の最終日を訪れることができ、しばし一千数百年前を満喫した一日でした。


平城宮址


1998年復元の朱雀門と平城宮内を走る近鉄奈良線



平城宮大極殿の復元図と建設現場


朱雀門を後ろに古を語り合う                        今日も(財)奈良文化財研究所の発掘は続きます




















法華寺
聖武天皇の妃光明皇后が750年頃、父・藤原不比等の屋敷跡に総国分寺尼寺として創建され隆盛を極めましたたが遷都とともに衰退、豊臣の淀君が現在の規模に整復しました、国宝本尊十一面観音立像はいつのころからか秘仏。その理由は線香の煙でますます黒ずんでくることと、お小さい体躯が間近で参拝客が照らし続ける懐中電灯がおいたわしいということ。

法華寺境内




「浴室」光明皇后が薬草を煎じた蒸気で多くの難病者に施療されたと言い伝えられ、建物は室町後期に改築
(重要有形民俗文化財指定)


海龍王寺

731年光明皇后が創建、重文の西金堂は鎌倉時代に大改修された天平時代の遺構です、残念ながら時間の都合で入れませんでした。

不退寺
俗名を業平寺といわれるごとく、平城天皇の隠居所を孫の在原業平が847年に寺に改めたところで南都十五大寺の一つ、、業平は六歌仙の一人として有名な人で「古今集」などに多くの和歌が入っています。
本尊は平安時代の木造・聖観世音菩薩で業平作ともいわれ、全身胡粉地で白く塗られて、他の観音像とは一線をかくしています。


「南都花の古寺」といわれ四季の花が美しい(重文)



南 門(重文)鎌倉末期、室町・桃山時代の様式の先駆をなしたといわれる


 
多宝塔(重文)鎌倉中期



光明皇后陵 西隣に夫の聖武天皇陵がある


東大寺に着く



いずれ劣らぬ健脚の猛者が東大寺転害門(てがいもん)を入る



疲れを忘れる紅葉・黄葉に映える東大寺大仏殿



終着の正倉院展会場



飛鳥時代に伝来した仏教は、日本国の基礎ができあがるに従い国政の中核に存在し、興福寺、東大寺などの大寺が建立されて、仏教学も各派に分かれて興隆してゆきます。

さて、12月は私の写真展もあってブッダ・ウォーキングはお休みですが、来年は1月22日(日)に般若寺・興福寺・東大寺・新薬師寺そして入江泰吉さんの奈良市写真美術館を訪ねます。

お正月以来の良い足慣らしになると思っていますし、恒例の反省会は新年会を兼ねることになり楽しみです。詳しいことは12月に発表します。

          ちょっと早いですが、良いお年をお迎えになりますようお祈りいたします。合掌


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