東北 がんばろう


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第51(66)回 '12年1月の コダイ・ウォーキング レポート


神戸市の古代を歩く

神戸市の先史時代は、垂水区の大歳山から出土した石器などから、旧石器・縄文時代にさかのぼることができます。
2000年あまり前にアジア大陸から稲作や金属器がつたわり、弥生時代の新しい生活がはじまりました。1964年灘区桜ヶ丘で発掘された多くの銅鐸などがその時代を物語っています。
1500年ほど前になると、各地の豪族は古墳を築き、中期のものとしては県下一の大きさの五色塚古墳がよく知られています、やがて各地の有力な一族をしたがえて、大和の政権が国土を統一していきました。

国家統一の頃、大阪湾では浪速の津を出た船は、灘区にあった敏馬(みぬめ)の浦によって西に航海していましたが、奈良時代になると船が早く進むようになったので、湊川の河口の大輪田泊がにぎわい始めたそうです。この航路や有馬温泉の整備、農業用水のための長田の蓮池の建設に、僧・行基さんがが関わったと伝えられています。

兵庫県加古川の沿岸に縄文時代以前から人々が暮らしていたことは、2007年10月・8年10月・10年11月の兵庫ウォーキングによって知っていますが、神戸市のことは平家物語からこちらは誰でも知るところ、でも古代となると…、今回は古代の神戸市を歩くことにしました。
兵庫県は面積で最大の県ですからその遺跡の数も全国一、発掘された品々は全て加古郡播磨町の兵庫県立考古博物館に集められています。


お詫び:今回の画像はところどころ楕円になっています、私のデジカメはNikon D700と200の2台ですが、700の方の受像面は35mm版フイルムと同じ大きさを持ち、200の方はその半分の面積です。今回はD200を持っていくつもりで200専用のズームレンズ
を持って行きましたが、間違ってD700を持っていきましたので画面が楕円形にけられてしまいました。もっともD700には受像面を
半分にできる機能を持っていることを帰宅してから気付いた次第で、おかしなレポート画像になったことをお詫びします。


保久良(ほくら)神社

境内外に多数の磐座群が見られ古代祭祀の場でした。また石器時代、青銅器時代、弥生時代後期の土器や石斧、石剣など種々の遺物、特に有名な物として約20cmの銅戈(重要文化財)が出土しています。その何れもが儀礼的用途をもつものと考えられ、祝部土器、玻璃製勾玉も発見され祭祀は非常に古い時代から行われていたと考えられています。



阪急・岡本駅から30分急坂を登ったところにあります



古木と磐座


大歳山縄文遺跡


旧石器時代、縄文、弥生時代と様々な時代のものが出土して石器時代の人々が同じ地に長い間暮らしていた複合遺跡。公園内には復元された竪穴住居があり、また、周りは開発によって大歳山が削られて遺跡が高台になっていることから明石海峡大橋を望むビューポイントとして知られています。



竪穴住居があるだけで案内板もない公園


孫文記念館(移情閣)


大歳山遺跡から明石海峡大橋へと下ってくると、橋のたもとの東側に3階建ての八角形の塔が見えます、ここが孫文記念館で孫文を巡る歴史と人々をすべて知ることができます。私たちは辛亥革命の複雑な経緯は分からずとも、中国を知る一片とはなりました。以下はあちこちからの抜粋です。

2011年、辛亥革命100周年を迎えました。
1911年10月10日、長江中流の都市武昌の兵士たちの蜂起を狼煙として、中国各地に清朝に反対する運動が広がり、やがてそれは翌12年1月、中華民国の建国、2月・宣統帝退位による清朝の滅亡へと至りました。辛亥革命によって中国は、アジアで最初の共和国を樹立し、清朝260余年の支配と秦漢以来2000年にわたった皇帝専制の歴史にピリオドを打ち、変革への重要な一歩を踏み出しました。

辛亥革命は、20世紀の中国にとって最大の歴史的事件の一つであるだけでなく、アジアと世界にとっても大きな出来事でした。日本にとって巨大な隣国中国のこの革命への対応は革命支援と清朝擁護など多面的なものとなりました。

85年前にわが国に向かって発せられた「東洋の王道か西洋の覇道か」との孫文の問いに対して、アジアをけん引する日中両国夫々が相手の立場に思いを致し共に話し合う良い機会が訪れました。1911年、中国の近代化の出発点になる辛亥革命で日本人が官民挙げて孫文の事業を支援した精神は、辛亥革命成功後の孫文が理想的な国づくりに邁進し挫折した後も、20世紀半ばの不幸な戦禍と人民共和国の建国、さらには長い冷戦時代から日中国交回復を経て「アジアの時代」といわれる今日に至るまで、脈々と引き継がれてきました。

孫文記念館は、中国の革命家・政治家・思想家である孫文(号は中山・1866〜1925)を顕彰する日本で唯一の施設で、1984(昭和59)年11月に開設されました。
この建物は、もともと神戸で活躍していた中国人実業家・呉錦堂(1855〜1926)の別荘「松海別荘」を前身としている。1915(大正4)年春、その別荘の東側に八角三層の楼閣「移情閣」が建てられ、外観が六角に見えるところから、地元では長らく「舞子の六角堂」として親しまれました。
孫文と「松海別荘」(移情閣))の関わりは、孫文が1913(大正2)年3月14日に来神した際、神戸の中国人や政・財界有志が開いた歓迎の昼食会の会場になったときに始まり、その後1983(昭和58)年11月、兵庫県が「移情閣」を管理していた神戸華僑総会から寄贈をうけ、改修を行い、1984(昭和59)年11月12日、孫文生誕の日に「孫中山記念館」として一般公開を開始、1994(平成6)年3月、明石海峡大橋の建設にともない、いったん解体され、元の位置から西南方向200メートルの現在地に移転、復原工事が進められ、2000(平成12)年4月に完成しました。
2001(平成13)年11月、移情閣は、文部科学省より国の重要文化財に指定。
2005(平成17)年10月、孫中山記念館は、「孫文記念館」と改称され、日本と孫文、神戸と孫文の関わりを中心に、呉錦堂の生涯や移情閣の変遷などについての詳細な展示が行われています。



孫文記念館と明石海峡大橋



孫 中山 像



舞子海浜公園にあるおオーストラリアから運ばれてきた人工の渚


五色塚古墳


4世紀末〜5世紀初に築造された兵庫県最大の古墳、長さ194m高さ18m、1965〜75年に復元され、三段の墳丘には235万個のこぶし大の葺き石があり、淡路島の西南部の五色ヶ浜から運ばれました。すぐ隣に少し古い67m高さ9mの円墳・古壺古墳があり、いずれも国の史跡です。



前方部より見た前方後円墳の全景



陽の出入り時、五色に輝く葺き石



古代と現代


2月のウォーキングは11日(土)に「平城京より平安京へ」奈良から京都へ遷都した歴史を振り返ります、お楽しみにBye


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