東北 がんばろう


東日本大震災支援
第50(65)回 12月の コダイ・ウォーキング レポート

コダイ・ウォーキング50回記念

飛鳥と近江をつなぐ奈良坂を越えて…


飛鳥にいた天智天皇が667年に近江大津宮に遷都したその時に、額田王が奈良坂より三輪山を振り返えり振りかえりして詠んだ和歌が「三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらむも 隠そうべしや」となって万葉集に残っています。
古来、大和と近江は山城を経由して密接な関係にあり、人々は奈良坂、般若坂と呼んでこの街道をたどりました、私たちは木津から平城京へと奈良坂を越えてみましたが、東大寺すら建物が林立して近くに来ないと見えず、ましてや遥かなる飛鳥の里は雲の彼方…、額田王の心がふと思えたことでした。



JR木津駅付近より奈良坂方面をのぞむ


元明・元正天皇陵



奈良坂の途中に大正時代の道標が立っていました


元明天皇(661〜721年)は第43代女帝、天智天皇の第四皇女、天武天皇と持統天皇の子・草壁の皇子の正妃、貨幣・和同開珎、藤原京から平城京へ遷都、古事記(712年)完成。
元正天皇(680〜748年)は44代女帝、元明天皇の子、独身で724年元明の孫・兄・文武天皇の子・聖武天皇に譲位、(720年)日本書紀完成、養老律令編纂など。
二つの御陵は並んで造られていて元明陵の方が大きいのですが、地形図で見ると同規模であったようです、いつの時代にか削られてしまったのでしょうか。



元正天皇陵左は元明陵・遥拝所は同じ方角にあります



元正天皇に一礼して昼食


般若寺


ほとんど昔の面影のない奈良坂町を過ぎたところが古いお寺でした。629年・高句麗僧・慧灌(えかん)の開山とされ、735年・聖武天皇が伽藍を建立し、十三重石塔を建てたと伝えられています、平安時代には千人の学僧が集う大寺でしたが、1180年平家の南都攻めにより全て焼失、鎌倉時代に楼門(国宝)をはじめ七堂伽藍が復興、その後も栄枯盛衰の世を渡り続けて、現在はコスモスの寺として有名です、門前の369号線は今も昔も伊勢に向かう街道です。年中何らかの花が咲いて冬の般若寺は水仙に囲まれ、あちこちに句碑が立っていて静かでした、うららかな陽光を浴びていつまでもおりたいようなところです。
句碑より
水仙や 寒き都の ここかしこ   与謝野蕪村

唐びとが 月をろがみし 笠塔婆  
水原秋桜子

般若寺の つり鐘ほそし 秋の風  
 正岡子規

秋の日の 十三塔や 日は西に    
高野素十

般若櫃 うつろの秋の ふかさかな  阿波野青畝



鎌倉時代の楼門・国宝:屋根の反り方が独特で美しいですね。



江戸時代の本堂:秘仏として聖武天皇が奉納した阿弥陀如来像がありますが、これは十三重塔の五重目に
納められていました、10月に公開されます。本尊は鎌倉時代の文殊菩薩(重文)です。



境内と十三重塔


十三重塔(重文):卒塔婆(スツーバ)、聖武天皇創建、現在のは1253年、南宋国明州の石工・伊行末が造りました、高さ14.2m、向こうは経堂。


笠塔婆:日本最古最大、上記伊行末の子・伊行吉が父母の供養に建てました(重文)。



水仙と観音菩薩の石仏群


東大寺



転害門(てがい門)・東大寺で残る天平時代の遺構(国宝)・この門の位置は大仏殿の西北にあり、
吉祥の位置で害を転ずる意から転害門と呼ばれました。



 やっと会えた大仏殿。



東大寺ミュージアム門前:圧巻は法華堂(三月堂・修理中)より移設された
不空羂索観音立像と日光・月光菩薩、そして誕生釈迦仏立像と潅仏盤(いずれも国宝)



南大門:962年平安時代に台風により倒壊、1192年鎌倉時代に復興
運慶・快慶による仁王像で有名(いずれも国宝)


そして恒例の反省会を13名の出席者で50回記念祝賀・忘年会として談論風発、そのままカラオケまで繰り込みました。
本年はご本人やご家族が体調を崩された会員もおられましたが、行事としてはつつがなく終えることができました、皆様のお陰と厚く御礼申し上げます。来年は1月22日(日)より始めます、良いお年をお迎えくださいBye


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