東北 がんばろう

第47(58)回 9月の コダイ・ウォーキング レポート


超古代より古代へと訪ねる


東北支援第2回と名付けたこのウォーキングも東北よりの被災者は誰も参加がありませんでした、大阪・堺市役所や社会福祉協議会の関連部署にPRのため再三訪れていますが、被災者の多くが住んでおられる公営住宅や借り上げ住宅などの一般住民の意識が被災者の移住を歓迎しない状況のため、被災者が心苦しい生活を強いられておられ、役所側にどこから来たのか言わないでほしいとの要望が高く、予期せぬ状況下であることが分かってきました。

特に福島や宮城県の原発事故の被災者には、家具類の持ち込みまで反対する人たちがいて、自分たちさえよければ他人の不幸など知ったことじゃない関西人の情けない在りようが問われています。こんな次第ですから、被災者はウォーキングどころでない日常生活が想像に余りありますが、私たちの会としてはミニコミ新聞など、草の根運動によって支援を続けていきます。

ということで、7・8月は例年通りウォーキングは休みでしたが、9月より再開し足慣らしに奈良県橿原市より田原本町までミュージアムをつなぐプランとしました。残暑というには程遠い暑さにへとへとになり、いつもなら一本で足りる500mmlの飲料水を2本飲んでしまいました。ともあれ石器時代から奈良時代へと続く歴史と遺物を目の当たりにした貴重な一日でした。


奈良県立橿原考古学研究所付属博物館



どんな動物を狩っていたのか分かります



奈良県三郷町出土の石器、奥はマンモスの一種シガゾウの長い牙



土偶の数々、造った後は破壊していたことが分かります



縄文草創期の土器・奈良県山添村出土



同じ山添村の縄文後期の土器類、装飾的になりました



鳥装の巫女・弥生中期1世紀、天理市清水風遺跡は
唐古・鍵遺跡の衛星集落の一つで600m北々西側です

この巫女の復元像を見たい人はクリック



舟の絵・出土は上に同じ、こんなにたくさん櫂があるのは大型船ですね




纒向遺跡(まきむくいせき):奈良県桜井市三輪山の北西麓一帯に広がる弥生末期から古墳時代前期にかけての大集落遺跡。建設されたのは3世紀で前方後円墳発祥の地とされています。皆さんの記憶にも新しい大王の宮殿跡と推定される遺構も発見され、この遺跡を倭国連合の首都・邪馬台国に比定されてもいて、卑弥呼の墓といわれる箸墓古墳など大型古墳の発祥の地でもあります。

纒向に持ち込まれた土器の生産地を見ると、纒向が流通の中心地になっていることが分かり、大和が日本の中心になって
王権が発生していくのでしょう。大和は東国の西端であるとともに西国の東端であり、唐古・鍵のように衛星集落を抱えた大環濠集落の生産力と気候的にも安定し、河川を使った交通に恵まれた条件が人口を飛躍的に増やし、日本で初めての都市的性格を持つ纒向を生んだのでしょう。

遺跡の規模は東西2Km南北1.5Kmのだ円形の広さで、まだこの遺跡の発掘は5%程度とのことですから、今後の発掘発見を楽しみにしましょう。



室の宮山古墳(葛城襲津彦の墓とされています、全長238m・5世紀中)の埴輪群



新庄町出土の舟型埴輪・古墳中期5世紀



西暦178年から始まった倭国の争乱当時の武具の数々、乱が収まり卑弥呼が女王になりましたね



7世紀明日香村・牽牛子塚古墳出土の宝飾類、この古墳は天智・天武天皇の母・斉明天皇の陵墓とされています



奈良三彩・奈良時代8世紀



奈良時代9世紀の仏教遺物・右は天人文塼(せん)の
レプリカ


他にも第35回「キトラ古墳壁画と唐の壁画を訪ねる」にこの博物館の展示品があります



藤原京跡を掘る(日曜日で誰もいません)、左の低い山は香具山



今回のウォーキングで唯一の緑陰・藤原宮跡での涼しい昼食


唐古・鍵遺跡と纒向遺跡との位置関係、近鉄田原本駅とJR巻向駅との距離は約5.5Kmです


唐古・鍵 考古学ミュージアム


この項目は第23回「長岳寺のつつじと唐古・鍵遺跡そして巻向遺跡」に詳しい解説があります、先ずはそちらをご覧ください。



唐古池に土器片の絵から復元された楼閣('09/4月撮影)この辺りが集落の中心部でした


この遺跡の規模を詳しくすると、集落の面積は直径約400m、その外側に幅7~10mの環濠があり、その外側へと6重以上の環濠が幅150~200m内にドーナツ状に掘られています。これらの環濠は集落排水、洪水、動物の侵入を防ぐ、外敵への防備そして河川からの運搬舟を導く運河の役目を果たしていました。(この項は「ヤマト王権はいかにして始まったか」学生社刊より抜粋)



埋葬された遺骨より復元された弥生人・3世紀・20~30代男性('09/4月撮影)


古代人の寿命:古代は幼児期の死亡率が高く、縄文時代~弥生時代の死亡率は50~60%という数字も見えます、15年以上生きた人の平均死亡年齢の時代変遷は、人口問題研究家の小林和正氏によると、
縄文時代: 男31・1/女31.3才 弥生時代: 男30.0/女29.2才  古墳時代: 男30.5/女34.5才     (Yahoo知恵袋より抜粋)



美しい翡翠の勾玉
と宝石入れ、新潟県糸魚川市・姫川に産する翡翠は縄文時代には北海道から南は薩南諸島までくまなく
流通していました、日用必需品でないものまで交易していたことは、当時の日本の在りようが現代につながっています


次回は10月16日(日)に「当尾(とうのお)石仏と奈良の大仏」ウオークに行きます、岩船寺・浄瑠璃寺の美しい庭園と仏さま方にも再会して、石仏の素朴さとの対比をお楽しみいただきます。詳しいことは風来坊主の「おおさか物語」をご覧くださいBye

おまけ:Mさんは会の始まりからのメンバーですが、次々と大病を患ったにもかかわらず参加を続けておられます、今回も歩行困難のところ参加され、交通の便のあるところはそれを利用してもらっています。それで藤原京はパスし大和八木駅で合流ということにしたところ、橿原市の中心街にある今井寺内町を歩いてこられました。ここは江戸時からの天領でありその町並みが徹底的に保存されています。ここからMさんのホームページをご覧ください。http://michimyuu17.studio-web.net/matinami/imai/imai_jinaityou.html


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